第7章「フリエダクの葛藤」【2】
「私の耳には何も入って来なかったが」
まだゴネている国王に、ユーメシアは付け加える。
「恋の話など、所詮は若者同士の戯れ。父上たるものが気にする必要はございません」
「そんなものかのう…」
もはや戯れなどでは済まされない状況であるのは明白だが。
「姉様」
マクミンがユーメシアに顔を向ける。
「父上にはまだ話していない事が…」
そう言ってマクミンは下を向いた。
「えっ、まだだったの?」
なるほど、まだ父王が大人しく話を聞いているはずだ。
それならこの親子がここまで無事に来られた事も、今更ながら納得出来る。
「父上、重要なのはここからです」
「何だ、まだ何かあるのか?」
陛下、と汗だくのセンティオロが口を開く。
ユーメシアは、開かれた扉の陰で聞き耳を立てているインバイと目が合った。
第一王女は老いたる侍女へ向けて、小さく口を動かした。
視力の落ちているインバイには酷な合図だったが、彼女も歴戦、何となく閃いた。
「キューボ…?」
ユーメシアが最も頼りにする諜報員を呼んでいるのだ。
だが彼はセンティオロが所属する部隊の駐屯所へ出向いているはず。
「マクミン姫の身体には、新しい命が宿っております」
微かに震えた声でセンティオロが、とうとう告げた。
目を見開き、口を真一文字に結んだまま、フリエダクはしばらく固まっている。
理解が追いつかないのか。
追いついてからが大変なのだが。
「マクミンに…子供が…⁈」
フリエダクの顔面が、みるみる紅く染まっていく。
激昂の兆候である。
「私の、子で…ございます」
玉座の隣に置いてある背の低い棚から、フリエダクは自身の剣を取り出した。
「父上!」
娘の制止などに耳は貸さない。
剣を抜き、鞘を絨毯に投げ捨てた。
慌てたマクミンがフリエダクとセンティオロの間に入ろうとした。
その前に彼女を止めたのはユーメシアであった。
「やめなさい、危ないわ」
「だって、姉様!」
「鎧を着ているから、よっぽど大丈夫だと思うけど」
しかし兜は被っていない、つまり頭は無防備なのだ。
すると、今まで絨毯に顔を埋めていたムリューシアが立ち上がり、センティオロの前に飛び出して両手を広げた。
「申し訳ございません、国王様! どうかお気を鎮めてくださいまし! 悪いのは卑しい身分の私の躾が至らなかったからでございます! どうか、どうか!」
ムリューシアはただのドレスを着ているだけなのだ。
どこを斬られても大怪我を負う。
下手をすれば…
「吾は、吾は亡き妻と約束したのだ! 病床の妻が最後まで気にかけていたのは、娘たちの事であった! だから吾は娘たちを必死に守ってきた! それを、簡単に命を宿したなどと! ふざけおって、親子共々斬り捨ててくれるわ!」
本気か、本当に斬ってしまうのか。
その刹那、フリエダクの背後にキューボが立っていた。
彼は国王の顔の前に白い粉を撒き散らす。
その粉を吸ったフリエダクは、ふらっと目を閉じてガクンと膝から崩れ落ちた。
キューボは分かっていたかのように、国王をそっと受け止めた。
扉の向こうで、インバイが親指を立てている。
「キューボ、ありがとう」
「遅くなりましたな、姫様」
「いいのよ、助かったわ」
フリエダクは寝息を立てている。
「お許しください、陛下」
ムリューシアは、へなへなと絨毯に腰から落ちていった。
「母上」
「もう駄目かと思ったわ。寿命が五年は縮まったわね」
マクミンは真っ青になっていた。
今度は遠慮なくインバイが入ってきた。
いつの間にか医師のホッテテも、その後からマクミンの元へ駆け付けた。
万が一の時の為に、インバイが呼び付けたらしい。
「貧血の症状が出ておりますな。さあマクミン姫、医務室へ参りましょう」
ホッテテの指示に、マクミンは素直に従った。
「ホッテテ、後で父上の方もお願い」
「言わずもがな、ですぞ姫様。全てこのホッテテにお任せくだされ」
ムリューシアとセンティオロも客間へ下がらせ、この場は一旦平静を取り戻した。
フリエダクは一度ああなると、機嫌を直すまでに相当時間がかかる。
取り敢えず、父王の周囲から武器になりそうな物を撤去しなくてはならない。




