第1章「私は翻訳家じゃない」【5】
馬車二台分の教科書を倉庫へ運んで、皆が体力を消耗した所にこの態度だ。
「わがままが過ぎるんじゃねえか、コイツ」
口にしたのはゼオンだけだったが、誰も異論を挟まなかった。
アミネでさえも。
ただ、深刻な状況ではない。
何故なら、トズラーダが欠けたとしてもまだ馬は二頭いるからである。
ハモリオ印刷所の馬車から、一頭をアミネの馬車へ移し替える。
「馬車が二台あれば、あとひと往復で終わる。さあ、行こうぜ」
一方トズラーダは倉庫の側の木に手綱を括られ、そこで留守番となった。
「暴れたり、騒いだりしないでね」
アミネはそれだけ彼に告げると、そそくさと馬車二台の後を追った。
ゼオンの言った通り、ハモリオ印刷所に残っていた教科書を全て積む事が出来た。
そして大学へ戻り、倉庫へ全てを運び込んで、ようやくこの件は片がついたのだ。
「ご協力頂き、誠にありがとうございました。テキュンド教授には改めてお詫びに参ります」
フガンはまた頭を下げていた。
「もうそんなにぺこぺこしなくたっていいんじゃねえか。なあ、ヤレンシャ?」
「そうですよ、フガンさんだって凄く頑張ってくれたじゃないですか」
「いや、私なんてこんな失敗ばかりで、クビにならないのが不思議なくらいです。本当に自分が情け無いです」
心なしかフガンの声は震えているように聞こえた。
「私、教授に教科書が届いた事を知らせに行ってきます!」
見ていられないとばかりに、ヤレンシャはその場から走り去った。
残されたエルスたちは、ちょっと気まずい。
「情け無いなんて自分の事を思っちまったらお終いだぜ。ミスした穴を埋める為にあんたは頑張った、褒めてやれ」
こういう時の慰めの言葉を、エルスはまるで知らない。
「私は他国のお城で働いていたんです。それなのに、こんなに落ちぶれてしまって、それが情け無いのです」
分かったからとにかく帰れとゼオンに促され、フガンは馬車に乗って大学を後にした。
見送った三人の誰からともなく腹の虫が鳴り始めた。
「次は腹ごしらえだな。ひと仕事終えた後のメシは美味えぞ!」
大学の門の前、壁に寄りかかって呆然とするゼオンがいた。
教科書を運ぶ時はヤレンシャの口添えもあり、中へ入れさせてもらえたのだが、やはり大学構内へは入れさせられぬと門番の正規兵に断られ、残念ながらゼオンは再びこの場で待たされる事となった。
もちろんトズラーダも一緒である。
「さすがに可哀想に思えてきたわ」
アミネも本心からそう思ったのだろう。
「後で優しい言葉でもかけてあげれば良いんじゃないですか」
「………そうね」
再びテキュンド教授の書斎を訪れた。
すると今度はヤレンシャだけではなく、この部屋の主人も在席していたのだ。
アミネの気持ちがふと高揚したのはそれだけではなく、テキュンドが『大いなる呪術』を手にしていた事だ。
「先生、例のお二人です」
ヤレンシャに紹介され、アミネたちは挨拶を交わす。
「いやいや、荷物を運ぶのを手伝ってくれたんだってね。助かったよ」
テキュンドは機嫌が良さそうに笑みを浮かべている。
「いいえ、ヤレンシャさんが困っているようでしたので、ちょっとだけお手伝いをさせてもらっただけなんですよ」
「ああ、ヤレンシャから話は聞いてる。コレなんだよね?」
テキュンドは手にしている『大いなる呪術』を持ち上げた。
「そ、そうなんです。私にはその本に何が書いてあるのか全く分からなくて」
アミネは自分が呪術師だと告げる。
「なるほど、それなら気になるよねえ」
本を開き、テキュンドはぱらぱらとページをめくる。
「ふむ、これなら解読法は確立されているから、内容を知るのは問題ないね」
「それじゃあ、翻訳して頂けるのですね!」
ぱたん、とテキュンドは本を閉じた。
「今回の件では相当世話になったからね」
アミネは両手を上げて喜びを表現する所であった。
「喜んで、この本の解読法を伝授して差し上げよう」
「………………え?」
上げかけた両手が中途半端な位置で固まっている。
エルスも目を丸くしていた。