第1章「私は翻訳家じゃない」【2】
その男は酒を一杯飲み干した後、掲示板の前に立ち、貼ってある掲示物に目を通している。
施政者から住民への連絡事項等もあるが、それは僅か二枚ほどで、大半は指名手配された者、いわゆる賞金首に関する情報であった。
目撃した、捕まえた、殺した、それぞれに報酬が支払われる。
目撃した、は最も安い。
しかもその情報が正しかったと確認されてから、報酬が支払われるのだ。
捕まえたと殺したは、どちらか一方となる。
それぞれの賞金首には、生かして捕まえろとか殺しても構わない等の条件が添えられる。
フードの男は一瞬首を傾げ、懐から紙を一枚取り出したかと思うと、それをこっそりと掲示板に貼り付けた。
それから何事も無かったかのように、酒場を立ち去った。
彼が貼り付けた紙には、次のように記されている。
『連続殺人犯。これまでに十二名殺している。最新の目撃情報は、ウベキアより北にあるホミレートで複数の住民から寄せられている。特徴:肌が異様に白い』
大通りと並行して西には幅の狭い通りがある。
そこを痩せた男が歩いている。
背中を丸め、がっくりと項垂れながら歩く様は、この世の終わりでも来たかのよう。
男の名はフガン、仕事帰りである。
「お父さん! どうしたの⁈」
背中をバン、と叩かれて痩せた男は我に帰って振り返る。
「ああ、ニルマか。学校の帰りか?」
視線を下ろすと、満面の笑みを浮かべた男の子が立っていた。
息子のニルマである。
「そうだよ! 今日はクラスの誰よりも教科書を上手く読めたんだ!」
学校での出来事を得意げに語る息子を誇らしくも思うが、羨ましいとの妬みも。
「それよりさ、お父さんはどうして元気がないの? また失敗したの?」
「えっ、いや………そうなんだよ、またやらかしちゃって」
自分の事だけではなく、父親の事まで気にかけてくれる息子に、人として負けていると心の中で自嘲するしかない。
「会社の人に叱られたんだ」
「まあね、凄く長い時間叱られたよ」
「どうりで、帰りが僕と同じなんだ」
「ははっ、ニルマは鋭いな」
息子がじっと顔を見てくるので、思わず視線を逸らしてしまった。
「まさか、会社をクビになったの?」
「そ、そんな事はないよ。次は無いぞって言われたから、ギリギリだけどね」
「ギリギリかぁ、ヤバいじゃん」
「ヤバいよな、確かに」
「どうりで、帰りが遅いと思ったわ」
妻のマニーサもだいたい予想はついていたようで、呆れ顔で迎えられた。
「すまない、洗濯や掃除をしなくちゃいけなかったのに」
「帰ったら誰もいないから、仕方なく私がやっておいたわよ」
会社での失敗を息子に白状した以上、妻に黙っておく訳にもいかず、フガンは平謝りに徹した。
「まあまあ、次は失敗しないように頑張るんだって。ね、お父さん!」
「あ、ああ、もちろん」
息子の後押しに救われる。
「当然、頑張ってもらわなきゃ困るわ」
三人での夕食が始まったが、フガンの気は沈んだままだった。
脳裏をよぎるのは今日の失敗ではなく、昔の事であった。
あの時、あんな事さえ起きなければ、今も悠々自適に暮らせていたはずなのに。
翌日、宿のベッドで目を覚ましたエルスたちは、朝食を済ませると早速ノルマルキ・ウベキア大学へ向かう事とした。
老馬トズラーダはまだ出かける気にはなっていなかったのだが、何とか足を前へ出させた。
荷台に積まれた『大いなる呪術』全十三巻を運んでもらわなくてはいけないからだ。
何しろ大きくて分厚い為、一冊だけでもかなりの重量となる。
トズラーダに頑張ってもらうしかないので、三人で必死にご機嫌を取ったという訳なのだ。
いつものように、エルスとゼオンは徒歩でついていく。
目的地が同じなのだろう、大学へ通ずる通りは若者で溢れていた。
そんな中、人より遅いトズラーダの歩みは、学生たちにとってもいい迷惑である。
こちらを睨んでくる学生もいるが、そこはゼオンが睨み返して撃退していた。
「喧嘩にならないようにしてね。大学に行けなくなっちゃうから」
「心配するなって。何か言ってきても、すぐに黙らせてやるからよ」