第2章「学生になりました」【9】
ついにその日がやってきた。
いつもなら軍兵が町のあちこちで巡回する姿を見かけるのだが、その日は朝から一人も道を通らない。
駐屯している兵の大半が休暇になった為、本日が勤務の兵は駐屯所に全員で詰めているのだ。
何かあった時には全員で動けるようにとの事だが、そもそも人数が足りるのかという懸念がある。
例えば悪党が町のあちこちで悪事を働いた場合、対応し切れずに悪党のやりたい放題にされてしまうのは容易に想像出来る。
もっと休暇を平均的にバラせば良いのではないかとウベキアの住民は軍に訴えるのだが、その意見がなかなか通らない。
こんな風に兵士皆んなで休める日がありますよ、と言って入隊希望者を増やそうという魂胆があるとかないとか。
もしそうだとしても、効果があるとは信じ難いものである。
ただ、今日は比較的静かに時が過ぎていった。
「ちょっと遅すぎるんじゃねえか?」
ザムニワ剣術道場での勤めを終えたエルスとゼオンは、腹を減らして宿へ戻ってきたのだが、夕食の時間になってもアミネが帰らないのだ。
外は既に真っ暗である。
テーブルの上には宿屋の主人が用意してくれた料理が所狭しと並べられている。
早く食べなくては、魅力的に立ち上る湯気が消えてしまいそうだ。
「先に食べちゃいますか」
エルスの提案に、ゼオンは手をひらひらと振って拒否する。
「それは違うぞ。メシは全員揃って食うのが一番美味いんだ」
「そうですか」
残念そうにエルスは呟いた。
今日の道場は盛況だったと言っていいだろう。
ヌーパル目当ての腕自慢が列を成していたのだ。
ゼオンだけでは捌き切れず、仕方なくエルスも甘い腰を上げた。
木刀を交えてみて分かったのは、大半が同じ流派であるという事だ。
これはおそらく、休暇の正規兵が一般市民のフリをしてヌーパルに挑戦しようと押しかけているのではないかとエルスは推測した。
もちろん鎧は着けていないが、太刀筋の鋭さや重さから、訓練を積んでいるに違いない。
骨折中のヌーパルに回す訳にはいかず、ゼオンとエルスは死に物狂いで強敵を退けていく。
エルスと試合をした者は、少年の見かけに油断して、気が付いた時には打ち負かされていた。
昼に一度休憩を挟んだものの、ほぼ連戦に次ぐ連戦である。
夕方になって道場も閉館の時間になり、ようやく打ち止めとなった。
ゼオンはまだまだやれそうであったが、エルスは床に倒れてしばらく咳き込んでいた。
「奴らがお前の言う通りに正規兵だとしたら、俺たちとんでもなく強くなってるんじゃねえか?」
天井とゼオンを交互に見上げながら、エルスはぼそぼそと答えた。
「あの人たちは遊びに来てただけですよ。お酒の匂いをさせてる人も何人かいましたから、本気ってのは少なかったんじゃないですか」
そうやってクタクタな状態で帰ってきたというのに、食事をお預けにされているのだ。
「迎えに行きましょうか」
「うむ、そうか。けど、邪魔したら怒るんじゃないのか?」
「終わるまで待たせてもらえはいいじゃないですか。ここで待ってるより、ずっといいですよ」
「お、おう」
「アミネさんも怒ったりしませんよ。むしろ、喜ぶと思いますけど」
「そうかな! じゃあ、行くか!」
「まだいらっしゃったんですか⁈」
素っ頓狂な声を上げたのは、ヤレンシャであった。
テキュンドとアミネが、彼の書斎で勉強を続けていたからなのだが。
「もう外は真っ暗ですよ! 急いで帰らなくちゃ!」
「喜びたまえ、ヤレンシャ。アミネがついにコツを掴んだのだ」
そういうアミネは口が半開きで、ぼーっとしているが。
「今の今まで何も理解出来ていなかった彼女が、不意に全ての文章を読めるようになったのだ。これならきっと『大いなる呪術』の翻訳も不可能ではなくなるぞ」
テキュンドは早口でまくし立てている。
教え子の急成長に興奮が隠し切れない様子だ。
「分かりましたから、今日の所は帰りましょう。アミネさんも意識がどこかへ行っちゃってるみたいだし」
「ヤレンシャ、君は何故残ってたんだ?」
「いいから、さっさと片付けてください」




