第1章「私は翻訳家じゃない」【1】
フェリノアと周辺十一ヶ国。
この世界で圧倒的に広大な国土を誇るのがフェリノア王国である。
圧倒しているのは国土だけではなく、人口も資源も他の国々では到底太刀打ち出来ないのだ。
その次に大きいのがトミア国。
とはいってもその国土はフェリノア王国の十分の一に満たないと言われている。
この国では先頃、十二ヶ国による会合が開かれたばかりで、盛大に人々が流れて経済は多いに潤った。
逆に憂いごとといえば、国王ラボネシが長く病床に就いたままであり、先は長くないと言われている事であろうか。
そういったトミア国の事情など、あまり気にせず旅を続けているのは、エルスとゼオン、アミネの三人である。
彼らは現在トミアの首都ディアザから南に下った辺りの町ウベキアに到着したところである。
彼らが何故この町に来たかというと、この町にある大学の教授に会う為である。
目指す大学はノルマルキ・ウベキア大学といい、周りの町や村には大学が無い為、多くの若者が集まってくる。
エルスたちはこの大学に勤めるテキュンドという教授に会いに来たのだ。
「ホミレートとは全く違うな。同じトミアだとは思えねえ」
ホミレートとはトミアの町の名であり、ここに来る前に彼らが滞在していたのだ。
「建物からして華やかよね。明るい色ばかりよ」
壁の色使いが地味なホミレートとのそれとはまるで違い、歩いているだけでアミネの心はウキウキしてくるようだ。
「屋台が並んでますね。食べ物も売ってるみたいです」
さすがのエルスもこの町の雰囲気に乗って、気分が高まっているように見えなくもない。
乗ってきた馬車を道の脇に停め、老馬トズラーダに留守を任せる。
それから三人は一目散に屋台へ赴き、めいめいに好きな食べ物を買って舌鼓を打つ。
エルスは炒めた卵を挟んだパン、アミネは小麦で出来た生地の上に刻んだ野菜を乗せて調味料をかけた後に釜で焼いたもの、ゼオンは大きな肉の塊を薄く切ったものを三十枚ほど。
どれもホミレートではお目にかかれなかったものばかりであった。
「エルス、そんなパン一個で腹が膨れるのかよ?」
「でも卵がふんわりしてて、美味しいですよ」
「ゼオンこそ、同じものを三十枚だなんて、よく飽きないわね」
「これこそ俺の追い求めていたもんだ。ずっと我慢してきたんだからな! それよりアミネは野菜ばっかりで大丈夫なのか?」
「あれは食生活が原因じゃないって何度も言ってるでしょ、しつこいわね」
何にしても、三人とも笑顔であった。
食事を楽しむ彼らがいる大通りの向こうから歩いてくる、四人組の男たちがいる。
年齢はおよそ十代から五十代、身長も体格もバラバラである。
「思ったよりデカい町でしたね」
「ホントそう、予想の五倍はデカいよ」
「浮かれた連中ばかりだしな」
「とにかく、目処が立つまではお行儀良くしていてくれよ」
エルスたちの横を、四人は通り過ぎた。
「おや…?」
五十代と思しき男が歩きつつも振り返る。
「どうしたんです?」
「いや、あそこにいた二刀流、賞金稼ぎだと思ってな」
「へー、よく分かるね」
「同業者のは、ピンとくるってだけだ」
「どうする、俺らの邪魔をするなって釘でも刺しとくか?」
「やめとけ、目立つだけだ」
「お行儀良くしなよー!」
「チッ」
肉を笑顔で頬張りながら、ゼオンがエルスに囁いた。
「今すれ違った連中、覚えておけよ」
「えっ?」
「見んなって」
「知り合いですか?」
「丸々アカの他人だ。だが一人だけ殺気をプンプンさせてる奴がいやがった」
「そうなんですか」
「何も感じなかったのか?」
「もう一つ同じのを食べようかどうしようか迷ってたので」
「けっ」
「何をコソコソ喋ってるの? また良からぬ企みしようって訳じゃないわよね?」
「しねえよ。もうあんな騒ぎはこりごりだ」
大通りには酒場も数軒ある。
そのうちの一軒に、マントを羽織り、フードをすっぽりと被っている男がいる。
目元は隠れてしまっているが、鼻と口はかろうじて見えていた。
だがその皮膚は人のものとは思えぬほど真っ白であった。