ギター・マンドリン部はダメで、弦楽器部はよくて
ソ、レ、ラ、ミ。 ソ、レ、ラ、ミ。 ソ、レ、ラ、ミ。
全弦ダウンを繰り返し、下から上の弦に向むかって順番に音を鳴らす『全弦アップ』に切り替えようとしたとき、不意に予鈴が鳴り響いた。
「え」
見ると、朝礼の10分前になっていた。
「やっべ」
急いでマンドリンを拭き上げ、ケースに入れて教室を飛び出す。旧校舎はこの学園の端に存在する為、管理棟や実技棟も超えた先にある高等部の教室までは、全力疾走で10分かかるかどうかだった。
走りながら、頭に浮かんだ言葉を口に出す。
「今日、カナミさん来なかったな」
まだ練習が始まって1週間しか経っていないが、毎日当たり前のように朝・夕と、憎まれ口を叩きながらも練習に付き合ってくれたカナミさんが来なかったことに、すこし不安は隠せなかった。体調不良とかだろうか。
「いや、幽霊って言ってたし、それはないか」
正直なところ、幽霊だとは微塵も思っていなかった。だけど、あの人に対して、尊敬の感情を抱いていることだけは紛れもない事実だ。そんな人が発言した言葉を、後輩である俺が疑うなんておこがましいこと、あまりしたくなかった。
「よし、セーフ」
開いていた扉から教室に滑り込み、教壇に立つサカキ先生に「おはようございます」と声をかける。
「うん、おはよ……」
そう言って、挨拶が途中で途切れる。自分の席に向かってまっすぐに進んでいたが、違和感に気づき、ふっと振り返ると、担任はなにやら青い顔でこちらを指指していた。
「ま、松永くん、それって……」
見ると、指は俺ではなく、俺の右手を指していた。
「あ、やらかした。いつも部室においてるのに」
みると、今日の朝弾いていたマンドリンを、そのまま教室に持ってきてしまっていた。
まあ、いつも使わないから持ってきていないだけで軽音楽部の奴らがロッカーの隙間に立てかけているギターのように大きくスペースを取るわけでも、固いハードケースに入れているから床において壊れる怖さがあるわけでもないから何とかなるだろう。
「すみません、邪魔にはならないようにするんで」
そう言って自分の席に近づき、窓と机の隙間にマンドリンを寝かせて置く。
「いやいやいや、ちょっと待って」
そう言って担任がこちらに向かってくる。
「それ、マンドリンだよね」
「はい、そうですけど。先生にギター・マンドリン部の入部届出したし、俺がギタマンでマンドリン弾いているの、先生もご存じですよね」
「いや、あの、その名前はあんまり……」
一体何なのだろうか。
「とにかく!」
パンと手が叩かれる。何なんだこの人は。
「それ、絶対に他の先生に見つかっちゃだめだから」
「もし、何部か聞かれたら、ギター・マンドリン部じゃなくて『弦楽器部』って答えるんだよ。絶対に」
肩をがしッと掴まれてグイッと近づけられた顔に、思わず「は、はい」と答えた。一体何なんだ。そんな疑問をぶつける前に、朝礼の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
教室中から集まる視線に、担任はハッとして俺を解放した。
「じゃあ、朝礼するね」
気まずさを誤魔化すみたいに、マンドリンを抱きしめて椅子に座った。
横で先生の言葉なんて一つも気にしてないみたいに机に突っ伏して熟睡するアツシが、今は恨めしくてたまらなかった。
桜谷学園高等部。
ハヤテをはじめとする、ギター・マンドリン部の部員達が所属する高校。それぞれキャンパスは違うものの、学園には幼児部から大学部まで存在し、ギター・マンドリン部の部員やコウダイなどの野球部員も含め、大半の生徒は中等部からの持ち上がりである。
ハヤテやアツシ、ダイチなどの『外部生』は、授業の進度についていけなかったり、顔なじみ同士の団結から『よそ者』としてアウェイ感に悩むことが多いが、ハヤテたちは、アツシのカリスマ性を知っていたコウダイたちにより、いさかいなくクラスになじむことができた。
エスカレーターで大学に進学できる為、勉強に対する危機感を持っていない生徒もいるが、学部選択の際に内申の評価が大きく影響すること、生徒の質に対して大学側から高等部に送られてくる調書が教師の評価に直結する為、一部の人間の間では「成績至上主義」とも評されている。