金髪少女の正体2
つい先ほど自分が発した言葉が、部屋の中に消えて行く。
ただ、静寂の中でお互いにじっと見つめ合う。何とも言えない空気だけが静かに流れた後、女の人は静かにため息をついて口を開いた。
「幽霊よ、私」
は?
あっけに取られて、何も言葉を返せない俺に、女の人はまた淡々と言葉を投げつけた。
「幽霊よ、幽霊」
言葉の意味が分からないんじゃない。言っている意味が分からないのだ。
「え、だって足もあるし、マンドラも触ってたし……」
そう言って指を指す俺に、また女の人は大きくため息をついた。
「あんたが信じないならそれでいいけど。もう帰るわ」
そう言って女の人はパッと立ち上がると、くるっと窓とは反対の壁に向かって歩き始めた。まずい、幽霊だということは、壁も通り抜けられるのか、この人、いや、この幽霊。
「待って、待ってください。信じる、信じますから!帰らないで!」
慌てて伸ばした手は空を切ったが、くるっと振り返った幽霊はパッと避けてにっこりと笑った。
「そう?良かったわ。じゃあ、飽きるまであんたの相手してあげる」
そう言うと、彼女はぺたんと床に座ると、ほらほらと手で床を指して俺にも座るようにと促した。なんとなく、マンドリンをぎゅっと抱きしめて、彼女の真正面に位置する椅子の横に、あぐらをかいて座った。
不機嫌なのか、ご機嫌なのか。「腹減った」と思っているアツシと同じような、感情の読み取りずらい表情を浮かべるこの人は、今何を考えているのだろうか。カラスの鳴き声が響く静けさの中で、マンドリンの合奏の音が聞こえてくる前に、と思い切って口を開いた。
「あなた……、幽霊さんはどうやってマンドラが弾けようになったんですか」
「『カナミ』で良いわよ。私の名前」
そう言って、幽霊もといカナミさんはこちらを向いた。まっすぐ向けられた目に、言葉が続かなくなる。だが、俺の言葉なんか必要としてないと言わんばかりに、カナミさんは一方的に口を開いた。
「それより、あんたはなんでこの部活に入ろうと思ったの。長年続けてきた野球部でも、フワフワと内申の評価が貰える弦楽器部でもなく。この学校から邪魔者として不遇な扱いを受ける『ギター・マンドリン部』に」
ただ、睨むような視線を受けながらも、逃げちゃだめだと覚悟を決めて、ぎゅっと拳を握った。
「きっかけはカノンさんなんですけど」
その言葉に反応して、鋭い視線が、失望を含んだものに変わったのが分かった。言葉を口にしてから、俺にも分かった。
「カノンさん目当ての奴を許さない」とまで口にしていたこの人に対して、今のは、良くない。
緊張感を取り戻しつつ、だが、自分のことはきちんと伝えようと、もう一度口を開いた。
「いや、あの。放課後、歩いていたところ、カノンさんに声をかけられたんです。『今、時間あるか?』って。それで、引っ張られてついてきたら、この旧校舎でギタマンが新歓の演奏をしてくれて。
最初の説明を聞いているうちは、見たこともない楽器だし、名前も聞いたことないし、何のこっちゃ分からなかったんですけど。演奏が始まったら、こうブワ―って音の世界が広がって行って。
あ、最初に演奏してくれたのは[ALEXANDROS]の『ワタリドリ』だったんですけど、最初のギターの出だしからの、弦をはじいた、あれなんて音なんでしょうか。弦を叩くみたいな、『パンッ』っていう乾いた音からの切り替えが本当にかっこよくて。かと思えばメロディーにはいるチェロがめちゃくちゃかっこいいし、飛び出してくるマンドリンの勢いの良さもすごく好きで。その次の曲は—」
最初は、なんて話せばいいのか緊張しかしていなかったが、一度話始めると止まらなかった。そうだ、俺はあの時の感動が忘れられなくて、今ここに居る。下手くそだけど、練習を続ける理由はいつだってここにあったのだ。
ベラベラと話しを続ける俺に、カナミさんは
「へぇ」
「そうなの」
と相槌を打ちながら、時に驚いたり、笑ったり、
「うんうん、『ダウン』かな?多分」
などと時に答えをくれながら、ただ話を静かに聞いてくれた。
「それで言うなら、カナミさんが今日演奏してた曲も、自分はすごく好きでした。なんていうんですか。あの曲」
「え?」
言ってから、はっと我に返った。今、自分が話し始めてから何分が経ったのだろうか。
ずっと話を聞かせて、飽きていたところに、詮索なんて入れたらまた嫌気が差して帰ってしまうかもしれない。
ドキドキしながら、何を言うでもなくじっと見つめる自分の予想に反して、カナミさんは少し照れたように口を開いた。
「今日、あんたが来た時に弾いてた曲なら『海辺の時計台』かな。多分。それより前にも何曲か弾いてたけど……」
「絶対それです!あの、波の行き来みたいな、穏やかでゆったりしたメロディーに、転調してからの夕暮れを見つめるみたいな壮大さ。マンドラの優しい音と合致して、海みたいなものを見つめる『何か』みたいなイメージは伝わってきたんですけど、時計台だったんですね。確かに、時間の流れを感じさせる部分も多くて、なんて言うか。やっぱりマンドリンオーケストラってすごいですよね」
語り始めそうになって、またハッと口をつぐんだ。
目の前に立つカナミさんは、あっけに取られたような表情でこちらを見て固まっていた。
「す、すみません。俺……」
俺の言葉を聞かずに、またカナミさんは口を開いた。
「音楽を知らない、ミーハーな奴の気まぐれなのかと思ってたけど」
「あんた、すごいね」
それだけ言うと、カナミさんはスカートのポケットからスマホを取り出し、こちらに見せてくれた。
「多分、オーケストラ全体で曲を聞いてたらもっと『時計台』らしさは伝わると思うよ。ほら、これ」
そう言って映された画面では、20人ほどのマンドリンオーケストラがカナミさんが演奏していたのと同じメロディーを奏でていた。
なんて言うか、やっぱりマンドラの優しさが前面に出されているが、色々な音が重なると壮大さの中に、色々な感情が含まれているように感じる。
マンドラが主役である部分も多いが、反対に今日の朝の演奏では気づいていなかった、マンドラが「他者の優しい時の流れを支える」パートも多い曲だと感じた。「主役である」というのは、「メロディーを弾く」ということではない。一定の音調を保つマンドラの中にアクセントを加える、優しいベースの低音と、リズムを刻みながら寄り添うギター。たくましくも、その行く先を邪魔することはないよう、ただ支え続けるマンドロンチェロの強さに、人間の生き方を感じる。そんな人間たちの海辺でのひと時を、そっと未来も含めて見守る時計台。果たして彼がどんなことを思うのか。そんな気持ちに寄り添って奏でられた曲だと、俺は感じた。
演奏が終わり、ぱっと画面が切り替わるタイミングで「どう?」とカナミさんがこちらを伺う。
「なんて言うか、優しくて、大切な時間の流れを抱きしめながら見守る『時計台』の気持ちが、伝わった気がします」
上手く言葉がまとめられなくて、今の自分にはそれしか言えなかった。
いや、もっとうまい言葉があったんじゃないか。と、ワタワタとする俺を見て、しばらく固まっていたカナミさんから、ブハッと笑う声が漏れ出た。
「なんなの、才能ないくせに、変な奴」
ハハハと笑い続けるカナミさんと、再生される広告動画を交互に見つめるしかできない俺に、さらにツボったのか、カナミさんは「ひーっ」っとひとしきり笑うと滲んだ涙をぬぐいながら、こちらを覗いた。
「いいよ、あんたのマンドリン指導、引き受けてあげる」
え?聞き間違いだろうか。そんな俺の不安もよそに、カナミさんは
「私はもともとマンドリンからマンドラに転向して教えられるだけだから、他のマンドラの先輩に『形似てるから』って理由で「マンドリン教えて」とか口が裂けても言っちゃだめだからね」
と、思い出したようにこちらを指さした。
やっぱり夢ではなかった。胸の高鳴りを押さえるみたいに、マンドリンを抱えたまま「ありがとうございます」と頭を下げると、やっぱりカナミさんはただ可笑しそうに笑い続けていた。
こうして、俺のマンドリン人生は、おそばせながら、やっと動き出したのだ。