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今日を乗り切れば、細かな作業を残すのみと意気込んで針を刺していくが、どうにも近くで刺繍をするリーラの様子が気になって作業が進まない。
初めはあれこれとアドバイスを聞いてきたはずだった。けれど気がつけば、一人黙々と練習用の端切れに刺しては、ため息をついている。
かと思えば、今度は顔を赤くさせ、またため息。これで何度目のため息なのか。
やはり彼女は刺繍に向いていないのか。ちらりと見た練習布は、黄色の小さな花のようなものが出来上がっていた。いや花というより黄色の塊といった方が正しいか。
最初に教えた時は確かに花だったはずなのだが……。
完成目標の図案はタンポポ。ただ初めから刺すのは難しいだろうからと、黄色い名もなき花を練習用にしたいたのだが、これも難しかったのだろうか。
エリカは一瞬ためらい、今日はこれ以上やらせてもムダだろうと切り上げさせることにした。
紙に手早く『今日は終わりましょう』と書き、リーラの前にさし出す。
考え事をしながらでは、針を刺して傷をつくってしまいかねない。
「え?ですが……まだ始めたばかりでは」
『集中力が切れてしまったみたいですから、今日の所はここまでにしておきましょう』
「も、申し訳ありません!私が言いだしたことですのに」
『気にしなしでください。それより何か気になっていうことがあるようですが』
今までため息などなかったというのに、今日はよくため息をつき心ここにあらずの様子。
居候が決まってからずっとこの家にいるから、気疲れでもしたのだろうか。
ここで育ち、あまり人付き合いがないようにと生活してきたエリカにとっては、誰にも邪魔されず一人静かにいられるのはとても気楽なものだ。
特に外では性別がバレないよういつも気を張っているので、気にもしていなかった。だが、彼女にとっては見知らぬ土地で二人っきりの生活は、息が詰まるのかもしれない。
自分としたことが、あまり人と接してこなかったのが裏目に出た。
ひとり自己嫌悪で頭を抱えるエリカに、リーラは「いえ、なにもありません」と小さく笑む。何もないわけない。
エリカから視線を外し、再び刺繍に取り掛かるリーラにエリカは少し考えると彼女から練習の端切れを取り上げた。
黄色の塊が点在る作品が、リーラの心のようでなぜか胸が苦しい。
『今日は終わりです。町に行きましょう』
「え?でも」
『考えてみれば、今日までずっと家にいましたから気分転換です』
ニコリと笑いおしまいと言わんばかりに端切れを仕舞う。自分の仕事布も仕舞い、窓の外を指さす。
『天気がいいので屋台も出てるはずです。気になりませんか?』
「屋台……。気になります!」
先ほどまでの憂い顔と打って変わり、歳相応の好奇心と笑みエリカはほっと胸を撫で下ろした。やはり彼女は笑っていたほうがいい。
身元引受の際、滞在許可の他外出も許可をしてくれた男爵にお礼を言いたい。
乗り気のリーラを微笑ましくみながら、そうと決まれば外出着を出さなければと、数年前まで自分が着ていたワンピースをリストアップする。
あの頃は成長期にさしかかった頃だったので、外出着など一回袖を通しただけの物があったはず。
彼女には何が似合うだろうか。自分には可愛い系の物は似合わないと、シンプルな物ばかり仕立てていたはずなので、可愛らしいものは二着ほどしかなかったと思う。
とりあえず、二着出してみてリーラに選んでもらえばいいか。
エリカがひとり服に頭を悩ませている隣で、リーラが頬を染め嬉しそうに笑っていることに彼は気づかなかった。