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「エリカさんスープができました。味見をお願いいたしますわ!」


 少女特有の少し高めの声に振り向く。

 緩やかに波打つ金髪を項で一括りにし、質素なワンピースを纏う少女にエリカはコクリと頷いた。

 少女の名はリーラ。彼女はエリカが川から助け出したあの少女だ。

 助けた初日に熱をだし、それから三日間はベッドの住人だった彼女は、現在エリカの家にお世話になっていた。というのも、彼女の家から迎えが来るまで一週間はかかるらしいからだ。

 エリカの予想通り、リーラは貴族の女性だった。

 現町長に領主を通し彼女の家に連絡を頼んだ時大層驚かれたが、彼女の家はここからかなり離れているとその時初めて知った。

 町長には貴族を助けたことにも驚かれ、彼女の身柄を引き受けようと申し出てくれたが、その時には既にリーラに懐かれエリカの所にいたいという要望に渋々折れていた。

 それでも貴族様を預かるのだからと、少しばかりの金銭と困ったことがあれば直ぐに頼る様にと厳命されてしまったが。

 預かると決まった時、リーラから今回の出来事と、彼女自身の身分の話を聞くことができた。

 彼女の本名はリーラ・クロエ。クロエ子爵家の二女で、つい一週間前に婚約者である子爵令息から婚約を一方的に破棄されたそうだ。

 そんなことを話していいのかと戸惑うエリカに、リーラは力なく微笑んで「いいのです」と返してきた。すでに終わったことであり、婚約者であった男に未練などないらしい。

 ただ小さいころに婚約したので、破棄した今は空しさがこみ上げてくるのだそう。彼女は現在一五歳。婚約を結んだのは五歳ごろらしいので、令息とは十年の付き合いがある。

 婚約者として常に隣にいた令息のことは、二つ年上の幼馴染として慕っていたという。

 もちろん結婚すれば夫婦となり寄り添って共に子爵家を盛り立てていく覚悟はあった。しかし、常に近くにいたことで幼馴染以上には思えなかったらしい。

 それでも、長い年月を経れば、恋愛感情は抱けずとも家族愛は育めると思っていた。

 それが覆ったのは今年のこと。貴族は学院という学び舎に通う義務があるそうで、彼女たちも学んでいた。詳しいことは濁されたが、今年入ったある新入生によって二人の仲が拗れついに婚約破棄を言われたらしい。

 そうして、やるせなさと虚しさを抱えたまま王都から自領に帰る途中で今回の事故に遭ってしまったという。

 貴族というものは、しがらみが多くて面倒くさそうだなとエリカは思う。

 平民でも家同士の婚姻はあるが口約束に近いもので、家同士の契約は書面で交わす。つまり重要なのは契約であり、婚約事態にあまり意味はない。

 当人同士の相性が悪ければ、口約束のように解消も簡単にできるくらい軽いのが平民の婚約なのだ。

 解消したからと言って契約不履行にはならない。ただし一度解消した者同士、及びその親族間での婚姻はしないという暗黙の了解はある。例え円満解消であれ新たなトラブルを招きかねないからという理由らしい。

 そんな感じで平民のエリカにとって、婚約とは小さい頃に「結婚しようね」と約束した程度の認識なのだ。

 ついこの間の会話を思い出しながら、受け取った小皿に口をつける。

 塩辛くなく丁度いい塩梅の仕上がりに頷くと、リーラは手を合わせ「良かったですわ」と笑った。

 最初に作ったスープは塩の入れ過ぎで飲めたものではなかった。

 そもそも料理などしたことのないお貴族さまなのだから、仕方がないと諦めて次からはしなくていいと伝えたものの、世話になっているのだからと手伝いを申し出た彼女の誠意を無下にもできず、こうして簡単な料理を教えている。


「あとは何をすればよろしいですか?」


 こてんと首を傾げるリーラに、器によそうよう指さしで指示を出し、自分は昨日買ってきていたパンをバスケットに盛る。

 貴族が食べているような白くて柔らかいものではないが、普段平民が食べる物に比べ柔らかいパンだ。

 おそらく初めて平民の黒パンを食べただろうリーラが、嚙み切ることに四苦八苦しているのを見て買ってきた。少々値は張るが、お貴族様の口に入れる物だし金を貰っているので奮発してみた。それに苦労して食事をするよりはいいだろう。

 固いパンを一生懸命口を動かし食べる様子は、子リスのようで可愛らしかったけれども。

 二人用の小さくて狭いテーブルに、パンが入ったバスケットと人気食堂の自家製リンゴジャム。簡単なサラダとスープを置き、神に祈りを捧げ食事を始める。

 やはり柔らかいパンは美味しい。それにこのリンゴジャムも程よい甘みで食が進む。一人ならば口にしなかっただろうパンを有難く咀嚼しながら、チラリと前に座っているリーラを見てみた。

 彼女はその小さい口を一生懸命動かしながら、楽しそうに食事をしている。パンもサラダも、スープ。なんの変哲もない平民の食事なのに、彼女は不平不満を言うことなく、いつも楽しそうに食事をしている。

 居候が決まり三日が過ぎたが、こうして共に生活していると、貴族と平民という越えられない差を感じてしまう。

 生活も教養も何もかもが違うのだな……と彼女の食事の所作や、見る物全てが珍しいと興味津々で訊ねてくる姿に、どことなく壁を感じてしまうのだ。

 それでも彼女が動くと子リスのようで愛らしいと思うし、興味のあるものに目を輝かせ聞いてくる姿は好感がもてる。

 まるで妹ができたようで、彼女の家から迎えが来るまでの間だけ妹のように可愛がろうと思えてしまうほど、いつの間にかエリカはリーラを気に入っていた。

 それに母が亡くなり、どことなく寂しさが残る我が家に、陽だまりのような温かさを運んできてくれている気もして、妖精のような愛らしい彼女は本当に妖精なのではないかと何度も思ったほどだった。


「……」


 リーラの質問にエリカは首を振りすることはないと断りをいれる。精々後片付けくらいなものだ。貴族令嬢のリーラにはさせられない。

 預かりが決まった時、水仕事全般はエリカが行うので、それ以外を頼むと約束していた。

 声が出せない設定上すぐに返事はできなので、手元に置いてある目の粗い粗末な紙を引き寄せ、今日の予定を書き込んでいく。

 今日は依頼されている刺繍作業をほぼほぼ終わらせようと思っている。リーラを預かるということで、店には行かず在宅でできる依頼だけを引き受けていた。今日一日使えばあらかた目途はつくだろう。

 ただそれはエリカの都合であり、リーラに針子仕事はさせられない。彼女に何をさせればいいだろうか。


「あの……その仕事のお手伝いはしてはいけないのですか?」


 リーラの申し出に首を振る。これは仕事であり、正当な報酬を貰っているので自分で仕上げなければならないのだと説明すると、「差し出がましいマネをしてすみません」と謝られてしまった。

 慌てて迷惑ではなかったし、手伝おうとしてくれてありがとうとお礼を書き込む。そしてどうして手伝おうとしたのかと聞くと、身につけている借り物の服の裾を持ち上げエリカの刺繍に感動したのだと言った。


「こんなに丁寧で細かい刺繍は初めて見たのです。王都で見かけるのもの以上に美しくて、エリカさんの針仕事は王都のお針子たちにも劣りませんわ」


 ぐっと手を握りしめ微笑むリーラに、エリカは思わずキョトンとした間抜け顔を晒してしまった。

 だって、こんなに力いっぱい褒めてくれる人など周りにはいなかったからだ。

 腕前を披露しても所詮田舎町。平民ばかりのこの町では「綺麗ね」程度の褒め言葉を貰うことはあれど、「王都と遜色ない」と褒めることはまずない。

 しかも貴族は領主である男爵くらいしか来ない上に、その男爵は刺繍のことなど門外漢で素通りしていく。

 男爵夫人は元平民ということもあり、あまり社交に積極的ではないという。それに社交用のドレスも別の所に発注するらしく、こんな辺鄙な所にまで目を向けることは皆無。

 つまり生れてはじめて、王都で目の肥えた貴族令嬢に褒めてもらえたのだ。

 そのことに気がついたエリカは、徐々に顔を赤らめ勢いよく後ろに顔を背けた。にやけそうな口元は右手で塞ぎ、うるさく騒ぐ心臓の音が耳に響く。


(マジか!?腕に自信はあったけど、まさか王都の職人と遜色ないって!?え?めちゃくちゃ嬉しいんだけど!)


 針仕事に自信はあった。特に刺繍作業は天職だとも思っていた。でもそれは所詮井の中の蛙のようなものだろうとも思ってもいて、王都の洗練された職人技には到底及ばないだろうと諦念していた。

 それがどうだ。王都で様々なドレスやそれに装飾された刺繍を見てきたであろう令嬢に手放しで褒められている。

 今までのことが無駄ではなかったのだと言われたようで、こみ上げてくるものがある。

 初めは母の仕事を見よう見真似でやり始め、性分に合ったのかめきめきと上達していった。凝り性でもあったので、僅かな小遣いから本屋にあった型遅れの刺繍集を買いアレンジして刺し方を研究もした。

 そんな努力を認めてくれた。ただそれだけなのに、なぜこんなにも嬉しいのか。


「あの?エリカさん?」


 戸惑うリーラの声にハッと意識を戻し、誤魔化すよう咳で答える。

 紅潮した顔はまだそのままだが、なんとか平静を装おうと深呼吸を繰り返しなんとかリーラに向き直る。

 彼女はその美し顔を不安げに歪め、心配そうに問いかけてきた。


「どこかお加減でも悪いのですか?」

「……っ」


 「違う」と言いかけ慌てて手を振る。危なかった。この三日間の努力を無駄にするところだった。

 なんとか心を落ち着かせ、嬉しかったから照れてしまったと書くと、リーラは嬉しそうに「本当に素晴らしいくて、私のドレスに施していただきたいくらいですわ!」と無邪気に言ってくるので、また顔に熱が集まってきてしまった。


「実は手伝うとは申し出ましたが、刺繍は貴族令嬢の教養の一つなのですが、私……その少々不器用なのかあまり上達することはなく……婚約者だった方にハンカチの一つも贈ることができなかったのです。そのことも破棄の理由だったのかもしれないと思うと……。

ですので少しでも上達するコツでもあったならと思いまして、近くで見ていたら何か分かるかもと」


(ヤバイ!刺繍地雷だったのか!)


 刺繍はセンスは勿論のこと技術も求められるものだ。料理などの手伝いを通して彼女を見てきたが、センスは良い方だと思う。彼女の問題点は技術面なのだろう。

 人差し指を口元に持っていきながらやや考え、エリカはおもむろに立ち上がる。

 急に立ち上がったエリカに驚くリーラに、そのまま待つよう伝えると、自室から少し古びた小箱を持ち出した。


「これは?」


 リーラは興味津々に覗き込んでくるのを微笑ましく思いながら、深緑色の小箱の蓋を持ち上げる。

 中身は端切れに刺繍枠と刺繍糸、そして手書きの説明書が一つ。手書きの説明書は拙い字で書かれてある。これらはエリカが刺繍をやり始めた時に使っていた品々たちだ。

 母のように上手くいかなくて、悔しくて、何度も何度も練習した思い出の品々に目元が緩む。


『これは私が昔使っていたものです。仕事の手伝いはムリですが、教えることはできますから、あなたの手習い用に使ってみてはと思って』

「え……?あの教えてくださるのですか?」

『差し出がましいとは思いますが……』

「そんなことはありません!ぜひお願いいたしますわ!」


 やや食い気味で頷くリーラに、いらぬお節介にならずに済んだとほっと胸を撫で下ろす。

 小箱の端切れ二枚を取り出し、ふっと息を吐き出すとそれをリーラの前に置いた。


『これを手本にしてください』

「これ?ですか……」


 置いた二枚のうち一枚は、誰の目から見ても上出来の仕上がりで、もう一枚は糸が絡まり飛び出したりと散々な出来栄えの物。驚くのも無理はない。


『こちらは母が見本で刺した物です。もう片方は私が刺した物です。見ての通り散々な出来栄えですよね。私も初めてはこうでした。それを何度も練習し今のように刺せるようになったのです。

私ですらできたのですから、リーラ様も練習すればできるようになりますよ』

「……練習してきました。それでも上達できなかったのですよ?そんなに簡単に言わないでくださいませ」

『そうですね。練習はされてしたのでしょう。ですがそれを今も続けていらっしゃいますか?途中で投げ出したり諦めたりしていませんか?

この世にある素晴らしいと思う品々は、そんな簡単に出来上がらないものなのですよ』


 そう。そんな簡単ではない。

 初めて刺したコレは、それを自分に教えてくれた。小さな指で一刺し一刺し一生懸命に仕上げたのに、やればやるほど糸は絡まり、それをどうにかしようと引っ張ったりもした。

 引っ張ったそこからまた糸が出てきて、綺麗だったところもぐちゃぐちゃに、躍起になった末、針で指を刺したこともある。少々赤黒いシミはその証拠。

 何度も何度も悔し涙を流して、やっと一枚を仕上げた思い出の品に感傷的な気持ちになってしまう。

 母は男である自分に針仕事をさせることに、躊躇いをもっていたと思う。きっと他の子たちのように野山を駆けまわって欲しかったのだろう。

 それでも針仕事をさせたのは、きっと母なりの親心。本当ならこの時は既に――。

 ともあれ、これを目標に彼女の腕前を向上させ、その自信のなさを取り戻してあげたい。

 エリカはしょんぼりと項垂れているリーラの髪を梳きながらそう思う。

 無意識に触れていたので、俯くリーラの頬が赤くなっていることに気づかなかった。



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