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リーラが無事家に帰って一か月と少し。エリカは相変わらずフリッチの店の針子をしていた。
しかし今現在、自分がいるのは育った男爵領の町ではなく、遠く離れたクロエ子爵領のクロエ子爵家屋敷。なにがやにやら頭が追い付かない。
リーラが帰り少し寂しくなったなと思いながらも、いつも通り過ごしていた一週間前。
突然町長がクロエ家の使者を連れて自宅に突撃をかましてきた。最初は驚いたものの、詳細を聞けば先日のお礼のため子爵家に招待したく迎えに来たのだという。
そもそも、お礼目的で助けたわけではないので、そんなことしないでくれと言ってみたが、子爵から是非屋敷に招きたいので連れてきてくれと言われているので、それは出来ないと断られてしまった。
結局、貴族様の招待という命令に逆らえず、町長にフリッチ宛の伝言を頼み、適当に準備をして共に来ていた馬車に乗り込み今に至る。
やや現実逃避でテーブルに置いてあるいかにも高価そうなカップを見つめ、エリカは内心頭を抱えていた。
お礼なんていいから早く帰りたい。そもそも、なんでこんないい部屋に通されているんだ。
目の前にはいかにも人のよさそうな男性と、どこかリーラに似ている女性。子爵と子爵夫人の二人が、ニコニコと笑いながら「娘が世話になったね」と世間話でもするかのようにしゃべっている。
そんなことはいいので、お礼は言われたし帰っていいですか!?と叫びそうになる。
そんなことをすれば、一発で性別がバレてしまうし、男一人の所に大事な娘が世話になっていたと卒倒か怒りだすこと確実だ。エリカはただただ黙って聞き役に徹するしかなかった。
「それで今日君を招待したのは、お礼を言うことの他に、君にある提案をしようと思っていてね」
そう言うと子爵の目配せに、後ろにいた初老の使用人が見覚えのある紙袋を運びテーブルの上に置いた。
「これは娘が帰って来た時に護衛の者が持たされたものなんだが、破れていたドレスが実に見事に繕われ刺繍までされていてね。あまりにも素晴らしかったので、妻にも見せてしまったのだよ」
「初めて見た時に驚いたものですわ。あの事故でかなり破れた箇所が多かったようなのに、丁寧に繕われていたのですもの。それにシンプルなドレスが、刺繍により華やかな妖精のドレスのようで、わたくし年甲斐にもなくはしゃいでしまったのですよ」
「お恥ずかしいですわ」と微笑む夫人に、エリカは喜んでいいのか分からず曖昧に笑う。自分の仕事を褒めてくれるのは嬉しいが、それと今回の招待と何か関係でもあるのだろうか。
もしかして、話に聞く貴族特有の遠回しな貶しを、今言われたのではないか。これを訳すと、「大事なドレスになんてことしてくれたんだ」と言われてるのだろうか。
もしそうなら、あの時の自分を殴ってやりたい。なんで繕い物を渡してしまったんだ。
ビクビク震えるエリカに、夫人は「あらあら」とのんびりした声音で、「違いますのよ」と言った。
「そんなに怖がらないでくださいな。わたくし達は本当に貴女にお礼を言いたくて招待したのですわ。娘が無事だったのも、今こうして我が家が幸せなのも、貴女が助けてくださったからです。それに感謝こそすれ、怒るようなことはありませんわ。
ただこのドレスを見て、貴女の素晴らしい刺繍が小さな町で埋もれてしまうのは忍びなくて。貴女のその腕前を見込んで我が家のお針子になってくれないかしらと、夫と相談しておりましたの」
「……っ!?」
思わず声が出るところだった。エリカは目を見開き、慌てて手振りでそれを辞退しようとした。
貴族お抱えの針子など、よほどのことがない限り得られない職業だ。
大抵は衣服専門の商家に頼み仕立て上げる。自前で召し抱えるなど、よっぽど裕福な家でなければできない。クロエ子爵家はそれができるだけの財力を持っているということなんだろう。
普通ならこの幸運に喜ぶところだが、しかし、エリカにとってそれは喜びと戸惑いと恐怖以外なんでもなかった。
田舎町の人間でも知っている。専属の針子となると好待遇を約束された、針子たちにとっては栄誉のようなもの。しかも屋敷に住まうことが許される。
立場的には使用人らしいが、主の世話を焼くのではなく、主の要望通りの服を仕立てるのが仕事で、主人家族以外にも主の命で使用人たちの服なども仕立てることもあるという。
使用人だが普通の使用人とは少し立場が違う、それが専属針子だ。
あのドレスの刺繍を褒めてくれ、専属にならないかと勧誘してくれたのも嬉しい。しかし、専属ともなれば当然屋敷住まい。
今現在性別を偽って生活しているエリカは、女性として雇用され、部屋割りも女性として当てがわれる。当然、同室者は女性となる。
リーラを預かっている間、細心の注意を払い生活していたあの苦労と、バレてしまった後に待ち受ける扱いに、知らず体が震えてしまう。
「まあ!そんなに震えないでくださいませ。とって食べようなどとするわけでも、無理な注文をするために雇う訳でもありませんのよ?」
「君の腕に惚れこみ、実際君を見て我々が考えた結果、このお礼をしようと思ったんだよ」
夫妻が言葉を重ね「どうだ?」と聞いてくる。
自分が本当に女性だったのなら、こんな好待遇飛びつく。しかし現実は無常で、女性とは別の性別。今日まで女装してきた罰でも当たったのだろうか。
エリカは事前に筆談用として出されていた紙とペンをとり、素早く『ありがとうございます。お気持ちだけお受け取りします』と書き二人にさし出した。
「そんな頑なにならずとも……。そうだ!針子ではなく侍女ならばどうだろうか?リーラも君に懐いている。年も近いことだ娘の話し相手にでも」
「!!」
それこそ無理過ぎる!
エリカは必死に頭を左右に振り断る。その必死さに夫妻は何か思う所でもあったのか、そうかと残念そうに呟いた。
「君の恩に報いるには、よいと思ったんだが……。仕方ない」
「そうですわね。こんなに嫌がられているのに、無理強いなどできませんわね」
別に心の底から嫌がっているわけではない。けれど、嫌がる理由が言えない以上、誤解をとくのは難しく曖昧に微笑むしかできない。
「ではこうしたらどうでしょう?」
沈む子爵夫妻の後ろで控えていた初老の使用人が、どこからともなく紙の束を持ち子爵の前にさし出した。
「専属針子ではありませんが、契約次第ではエリカ様を我が子爵家の針子とできるやもしれません」
「ブルーム、そんなことが可能なのか?」
「ええ、少々特例とはなるでしょうが可能でしょう。しかし、これは本当に特殊なこと。この資料をご覧になって、それからお考え願えればと思います」
「資料?もしや例のヤツか?しかしなぜ今……」
首を傾げる子爵に、初老の使用人は何も答えない。それを不審に思いつつも、渡された紙に目を通すことにした。子爵夫人も同じく首を傾げ、子爵の持つ資料を覗き込む。
急に始まった三人の会話について行けず、エリカは温くなってしまったお茶に口をつけ、早く時間過ぎろと念じることしかできなかった。




