鬼女の夜 泣き蟲女
「!!
「夜彦丸!!」
甜伽の体は黒い疾風に乗って、蠢く大地に飲み込まれる前に上空へと退避していた。
幻影の巨象に踏み潰された地面がべこんと凹み、黒い髪の様なものがうねりながら キチキチキチと小さな音を立ててざわめく。
中程に ぽつんと白い顔が現れると
ぐぐ、と持ち上がり 棘に覆われた異様に長い蜘蛛の足の、先端の鎌をかつんと地面に引っ掛けて 甜伽に救いを求めた少女が裸身を起こす。下半身から伸びる脚の構造は蟲其のものだった。
「如何して … ?
「如何して 見ようとしないの?」
球状に立てられた黒い足の檻の中から のろのろとした虚な声で非難し
「見て。私の体
「貴方達と同じ
「私にも 血が流れてる
伸ばした手の先の 紅い雫が地面に落ちる。
「見て。私の目
「貴方達と同じ
「私にも 心があるの」
黒水晶の様に美しい眸に 甜伽の目は吸い寄せられた。
其の眼から 目を離せない ―
まずい
囚われる
震える唇を強く噛み締め 戦慄く体を押さえつけたが 目だけが如何しても離せない。
まるでブラックホールだ。自身を喰らおうとしている醜悪な巨大蜘蛛女になど 一抹の憐れみも感じないのに。
「ぐうぅ …
夜彦丸も甜伽と同じく少女の眼に囚われているのか 瓦礫に降り立った後、牙を剥いて低い唸り声を上げている。
夜彦丸
此の儘じゃ 二人とも ―
「コラあッ!!鵺杜守!!授業中にボケッとしてるんじゃない!」
「きゃーーーッ!!?
「は、はい!!すいませ
突如、眼前に現われた巨体の鬼教師が落とした雷に 甜伽の呪縛は解けたが
「んわあッ?!
総毛立った夜彦丸の黒い体毛の中に体が埋まった。
また、未来の幻影に助けられてしまったではないか、と不甲斐ない自身に立腹する前に 蒼い炎のボーリング玉が真横を走り抜け 迫り来る鎌蜘蛛の群れをピン宛らに吹っ飛ばすと 見えない観客からストライクへの喝采が巻き起こった。
「やっかみちゃん、真面目にやって下さぁい」
噴き出した汗で、全身がぐっしょりと濡れている。甜伽の体から力が抜けて 学級委員口調の未来の厭味に対抗する気力も湧き起こらない。
未来の姿は相変わらず何処にも見えなかったが 其の声音から、此の戦いを愉しんでいるのは分かった。
「そう言えば、泣き蟲女を探してたんですよね~?
「何か、みくるんの級友と合体しちゃったっぽいし
「折角だから、半分こしません?
「わ 怖~い!」
長い鎌が戯ける闇を一閃し 未来の小馬鹿にした笑い声が高らかに響いた。
少女の黒い髪から ぱらぱらと髪の様に細く、長い蟲が地面に落とされると キチキチと鳴き、体をくねらせながら這い回った。
「あ、其れ 寄生虫ですから。気を付けた方が良いですよぉ?
「卯乃ちゃん、お友達を渇望するあまり
強硬手段に出ちゃうんです
「遣り口超エグくないですか~?」
今にも吹き出しそうな口調だ。未来は全然恐れて等いない。
其れだけの「力」が 未来にはある。
ギギン!
蜘蛛女の鎌に弾かれた甜伽の鎖は 弧を描いて戻りながら、邪魔な鎌蜘蛛の残党を薙ぎ払った。
「予知」に関して言うなれば
ちゃちな代物で、当人も己の視たものに着目せず 余り役立ててはいない様だった。唯 回避能力だけはずば抜けていて 後々驚くべき行動力を見せつけた。「鬼」は動体視力に特化しており 動くものに真っ先に反応する。裏を返せば 動きのないものには目が行かない。百鬼弐弧は 自身が動けずにいる事を、臆病だと恥じていたが 其のお陰で眞輪の援護は成功し、自身もずたずたにされずに済んだのだ。回避行動だと思っていない辺りは 如何にも思慮の無さを思わせる。自身への反発心が強過ぎるのだろう。
鬼は非情な生き物だ、と言われ様と 感情がない訳では無い。
蜘蛛女の気を惹き付けてくれるのは有り難いが 此方まで挙動に目を奪われてしまい、正に自身への憤りを感じている最中だ。
「んもう~、やっかみちゃん!うろちょろしないで下さぁい!
「少しはお行儀良くしてられないんですかぁ?」
苛立たしげに頬を膨らませた未来の言葉が 騒がしい子供を叱咤するものだと捉えた甜伽は
「はあッ?!援護ならしてくれなくても間に合ってるわよ!」
的外れな答えを返した。
「そんなボケ要らないんですけど~?
「わ、何。キモ~い!」
未来を捕らえた透明な糸を 巨大な鋏が断ち切る。
「あ !?
蜘蛛女の鎌に巻き付いた甜伽の鎖は、へし折る前に粘ついた糸に絡み取られて ぴんと張った儘動かなくなった。びくともしない。
夜彦丸が炎を吐き付けると 脆くも糸は溶けたが
何時の間にか 闇の中に巨大な蜘蛛の巣が出来上がっている。
キチキチキチと言う鳴声が 巣の中央から聞こえて来た。
「あれって嗤ってるんじゃありません?
「やっぱ 頭カチ割っとくしかないみたいですね♡」
蒼い炎が烈しく上がると 其の中から未来が姿を現した。
「さぁ、とっておきのショーをお見せしますよ~?」




