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鬼禍刻  作者: 亥乃沢桜那
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清舟の覚悟

世界から音が消え 一瞬 「誰か」と意識が繋がった


其れは 直ぐに途切れたが

ふと気が付くと 腕から黒い蝶が一匹 ふわりと身を擡げ 見守るうちに 二匹 三匹 と現われ

黒い痣が生あるものの様に肌を這い 腐敗してゆく自分の躰から 黒い蝶が 次々と孵化して闇の中を乱れ飛んだ

幾ら叫んでも 干涸らびた喉から声は出ない


もう 何も見たくない ―


歪んだ世界を映す此の眼が 永遠に閉ざされる事を ただ強く望んだ

意識が遠離ってゆく

躰から 無数の黒い蝶が ざあ と灰色の空に舞い上がると 何もかもが 消え失せた




「お邪魔しても宜しいですかね」

障子戸が開け放しであったので 側壁を軽く叩きながら、形式張った台詞を物憂げに発して 青陽は顔を覗かせた。

「此処の長なら《《奥》》に居るよ」

「鬼師会」の名医、源清舟は レコードから流れている罅割れた歌謡曲に聴き入り、調剤に勤しんで 顔を向けるのすら億劫そうに答えた。

「分かってますよ」

青陽は苦い顔になった。最奥の間が黒鬼の寝床になっている事も 必要なら、寝た鬼を起こす事に因って受けるであろう甚大な被害の予測も出来ており 触らぬ「鬼」に祟りなし、と誰より分かっている。

「そうかい? 其れなら

「是れ以上此処に居ても 何の解決にも為らない と言うのも分かって貰えるだろうな」

医者は澄んだ青色の液体が入った試験管を目の前に掲げて、矯めつ眇めつしている。

青陽は苦り切り 高音に掛かると酷く音割れのする人生賛歌にさえ、苛立ちを覚え始めていた。

無論、そんな事も分かっている。分かってはいるのだが ―

「監視役殿はそろそろ診断書が必要らしい

「良かったら何時でも書くよ」

医者は此処に来て 漸く数多の患者を安堵させて来た優しい微笑を向けた。

青陽は出掛かった言葉を飲み込むと 虚空を仰いで、腕を組み 観念したと言わんばかりに壁に凭れ掛かった。

全く以て 此の医者は、驚嘆に値する程人を診る目に長けている。

顔に嘘は無いが 青陽が受け取らない事を承知の上での発言に違いない。

其の通りだ。残念ながら まだ受け取る訳にはいかない。

確かに 御墨付きの診断書を貰って、遙か彼方に逃亡したくなる様な事態ではあった。

医者の言う通り 何度謁見しようが状況は何も変わらず 寧ろ悪化の一途を辿っている。

毎回徒労に終わり 其れでも 此の不快な悪の地に足を運ばざるを得ない。

今日来させられたのも 悪巫山戯の過ぎる長が自ら凶行に及んで 威風も堂々としでかしてくれたからだ。

其ればかりか 「封域」事件の証拠が手元に在る事迄、臆面もなく知らしめた。最早蒼蓮会では万人の知るところとなり 末端の者の口にまで上っている。

あの男が何を考えているのか 分かる様な、分かりたく無い様な。

「魂癒しの宿」の最上階に消えられるものなら消えたいが 其の間に事態が急変するかも知れず ― 其れは

簡単に想像がつき 何なら最悪の結末まで見えている。

何処に逃げても、一時も心が安まらない様に仕向けられ 片がつくまで、此の不快な面が顔から離れる事はないだろう。

青陽は深く嘆息すると

「先生はどう診てるんです」

あの日 清舟が招かれたのは「堕鬼」を診る為では無かった。真の目的は別にあったのだ。

どう診断を下したとしても 何れ「回収」しなければならないのは同じだが。

医者は調剤の手を止め 悪戯な笑みをくれた。

「おや もう知っているものと思っていたが

青陽は冷淡に清舟を見返した。

「ええ まあ

聞きたかったのはそんな言葉では無い。

清舟はもう何もかも見通している筈だ。あの少年の「正体」と 近い未来に起こるであろう悲劇を ―

其れで居て 此処に居る誰もが 白を切って真実を口にしない。

内心ウンザリしながら ― 表情には 十分過ぎる程現われていたが。

「存在」が明るみに出た事に因り 今此の瞬間にも 少年を巡ってあらゆる「組織」が動き出し、熾烈な争奪戦が始まろうとしている。

「覚悟して下さいよ」

そうだ。此処に来たのは監視役としての仕事であって 情など挟む余地は無い。

「はは 怖いな」

清舟はしれっとしたもので 他人事の様に微笑っている。

自らも巻き添えに遭うかも知れない、と分かっていながら 呼ばれる儘に此処に来たのは、それなりの覚悟を決めての事だろう。其処には 揺るぎない信念が在る。

無駄足なのは分かっていながら 青陽自身もまた 自らの意志で此処に来ている。

何をしているんだか ― 

此れ以上関われば 自身も相応の覚悟が必要だ。

「如何して其処までするんです」

問う言葉は自然に口から出て 言ってしまってから内心驚いた。

「可笑しいかい?」

穏やかに笑う清舟の返答は最後まで変わらなかった。

あの少年の何が 此処まで人を動かすのか。知ってみたい気もしたが 好奇心は青陽の仕事に必要無い。


少年が此の地に導かれたのは、決して玖牙のお膳立てだけではない。

敵軍勢が攻めて来ると知れば 正門を開け放って迎え討ち 罠だと知っても壮烈な迄に乗り込んで返り討つ


何ものをも恐れない「鬼」を養父に選ぶとは 「千里眼」はさておき 危機回避能力の高さには目を見張るものがある。




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