魔物化二日目の症状
「まあ、やってみればいいよ」
家に帰ってから少し緊張しつつ、祖父に言われた通り話せば返ってきた言葉は拍子抜けするぐらいとても軽かった。
今日分かったこと、自分がやりたいこと。祖父に言われて結構危険な橋を渡っているのではないかと気がついた。
だからもう少し注意とか、苦言とか来ると思っていた。場合によっては説得しなければいけないかもしれないと思っていたのだ。
「迷惑はかけてない?」
「僕は親だもの。迷惑は気にしなくていいよ。王都の方の情報を得るぐらいなら簡単だしね。それにアメリアの宣言はちゃんと聞いていて、特に止めなかっただろう? こんなに早く動き回って仮説を立てて来るとは思わなかったけれど」
「ありがとう、父さん」
あっさりと親だからで引き受けてくれる父に私はお礼を言う。どっしりと構えて無条件で受け入れてくれる父は、本当に最高の父だと思う。
「後、欲しいのは蜜蝋と蜜だっけ? 量は多くはないけど、在庫があるから売れるよ」
「じゃあ、セオにそう伝えるね。私が確認するって言ったから」
祖父は近づきすぎるなと言ったけれど、請け負ったのは私だ。この件に関してはちゃんと間に入るべきだろう。
「金額は定価通りでいいけど、絶対ここで買ったことは口にしないことを条件につけておいてくれるかい? ここまで買い付けにくる人が出ても困るからね」
「了解」
定価で値引きなし交渉なら私でも問題ない。口に出させない理由は、結局の所、希少だから起こるもめ事に巻き込まれない為だ。
どれだけ品薄商品でも値をつり上げないので商売っ気がないと商人からは言われているけれど、面倒ごとを抱える方が大変なのだ。
定価でも十分稼いでる父からしたら問題ないのだろう。
こうして蜜蝋と蜜の販売交渉を請け負った次の日、私は再び祖父の診療所に向かった。
昨日は肉体強化の連続だったため、今日は朝から体が筋肉痛でぷるぷるしている。起床直後は生まれたての子鹿状態だった。仕事なので痛みを我慢するが、まだ早く動くのは無理そうだ。
「こんにちは。セオさん達いますか?」
「あら? アメリアちゃん、早いわね。今、朝食が終わったところよ。先生は、店に食べに行っているわ」
診療所の朝食は近所の定食屋の女将さんが注文すると運んでくれる。この診療所はほぼほぼ入院する患者がいないので調理場がない。
その為入院患者がいるときは賃金を払い、患者の食事の面倒は定食屋にお願いしていた。その間に祖父も食事をするために出かける。
「いつもありがとうございます」
「いいわよ。ちゃんとお代はもらっているもの。それに朝から面白いものを見たわ」
「面白いものですか?」
そんな面白いものなどあっただろうかと私は首をかしげる。
「今回の入院患者さん。美男子なのに、原木にしがみついて手をしばられてたのよ。金髪美男子のキノコのものまねとか普通は見られないでしょ?」
「……そうですね」
見られないし、私は見たいとあまり思えない。
その光景を笑っていられる女将さんは肝が据わっている。それにしてもまだ一夜しか経っていないのに、木にしばられたのか……。金髪と言うことは神官のアルフィーの方だろう。隣のベッドのセオが気の毒になる。
「あっ。でも手をしばられていたら食べられなくないですか?」
「食べ物が置いてある間は、今のところしばってあるのを外しても食欲が勝るようね。先生もキノコ病にかかってからの時間から考えて、食欲や尿意を追いやるほどの衝動はないと言っていたわ。トイレに行きたくなったらちゃんと伝えるらしいわ。ただ何もやることがないとキノコを植えだしてしまうだけで」
あまりにもキノコを植えたい衝動が出るのが早かったが、食欲などはあってほっとする。
飲食をしないと体が衰弱してしまうので、緊急事態だったとはいえキノコ病に感染させた手前、罪悪感があるのだ。
「失礼します。セオさん、アルフィーさん、おはようございます」
部屋の中に入れば、患者服を着てベッドで体を起こしているセオと木にしばられているアルフィーがいた。アルフィーはしばられたまま目を閉じ幸せそうだが、セオはそれを視界に入れないようにしているようだ。うん。あれが自分の未来かもしれないと思うとすごく嫌だろう。
「アメリア、おはよう」
「調子はどうですか?」
「俺は魔物化している感覚もないし、キノコを植えたい症状もでていないから、頭に生えている以外は気にならないな」
「怪我はどうです?」
「先生はまだ薄い皮膚が張っただけだから本来なら痒みと痛みが酷いと言われたが、あまり感覚がないな」
なるほど。魔物化すると痒みの方も感じにくくなるようだ。
一度怪我の様子を見たいところだけれど、これを今お願いすると祖父にまた怒られそうなので黙っておく。後で祖父に詳しい観察経過を聞こう。
「それならよかったです。魔物化はやっかいですが、怪我の治りが早いのは幸運でしたね。食欲はありますか?」
「ああ。とてもおいしかった。あまり動いてないが、夜中もおなかがすいていたんだ」
キノコ病が進むと本来ならば食欲はなくなる。だから食欲があるのならばこちらの進行は止まっているのだろう。でも通常より食欲があるのか……。もしかして魔力製造器官の異常が引き起こしているのだろうか? 魔力はマナでできるが、マナから魔力に変換するにはそれだけのエネルギーがいる。
だとすると魔物化をすると通常よりもエネルギーを必要としてもおかしくはない。
「色々気をつかってくれてありがとう。アメリアは優しいな」
「へ?」
唐突にお礼を言われて、私は目をしばたたかせた。
「アメリアのおかげで助けられただけじゃなく、こんなに体のことを気づかってもらえるなんて。本当に感謝している」
「あっ。大丈夫。これは私が優しいからではなく、魔物化の症状の確認をしているだけだから。お礼は言わないで」
私はお礼を言われるようなことをしているわけではない。
ただ観察しているにすぎないのだ。お礼を言われるとやりにくい。
しかし私がそう言うと、気を悪くする様子もなくセオは笑った。日に焼けた顔に浮かぶ笑みは、とても爽やかだ。
「そっか。変に気を回してごめんな。それで、今日はどうしたんだ?」
「昨日話していた、蜜蝋と蜜の確認をとったからその報告をしに来たの。父に確認したけど、少量だけど在庫はあるって。金額は定価で売っていいけれど、父が売ったことは絶対漏らさないことが条件よ。ここまでとりにくれば売って貰えると思われても困るから」
王都まで送るのは父にとってはまったく手間ではない。
ただ売ったことによる後々の問題が面倒なだけなのだ。だからわざわざその問題を村まで持ってこられるのは非常に嫌うし、私も御免被る。
「漏らさないようにか……。分かった。偶然山で会った人が持っていたから売ってもらったと言って、名前は出さないようにするよ」
何処の山かは調べれば分かってしまうので、出会った人が父の可能性感じる人はいるだろうが、山で偶然会って譲ってもらっただけならば、問い合わせはあってもわざわざここまで来ることはないだろう。
「うん。それでお願い。素材はどうする? 今渡してもいいし、後日王都に帰ってから一度だけしかつかえない魔方陣を設置してもらってこちらから送ってもいいけれど」
「一度だけしか使えない魔方陣があるのか?」
「ええ。父が商売をする上で作ったのよ。一方通行で使用時にそっちで受け取り可能のサインとして血をつけてもらう必要があるし、こっちから送るしかできないのだけど、運ぶ際の劣化や紛失は抑えられるわ。ただし蜜蝋と蜂蜜代に魔方陣代を追加することになるけれど」
盗賊対策にもなるので父の魔方陣による輸送はとても画期的となっているけれど、自分で持ち帰ればその分安い。移動費を考えて、大抵の人が魔方陣による輸送を選ぶけれど、すでにセオはこの村にいるのだ。持ち帰っても問題ない。
「劣化は困るから送ってもらっていいか? 俺もどうやって美容に使うか分かってないんだ」
男の人はそこまで美容にこだわりがある人も少ないので知らなくてもおかしくはない。確かにどう使うか分からないならば下手に劣化したら困るので送った方がいいだろう。
「分かったわ。分量はどれぐらい欲しい? うーん。王都に帰る前に見てもらって、そのとき請求書も作ろうか?」
「そうしてもらえると助かるけど、多分売ってもらえるだけ買うことになると思う」
一体どう使うのか分からないが、聖女のお使いは大変だなと思いながら請け負った。