剣道2
素振りはまず水沢部長のとても美しいお手本を見せてもらう所から始まった。
最初は動きを覚える為に、ゆっくりと動く。竹刀を下ろすたびに足がスッと前へ出る。その動きが洗練されていて、まるで部長が宙に浮いてるんじゃないかと思うほど滑らかだ。
竹刀が部長の手によって移動する動線も、何度繰り返しても少しのズレもない。機械のように一定の速度、一定の幅で動いている。
「素振りは単に上から下に下ろす動作ではなく、同じ位置に正確に竹刀を導く為の練習です。一つ一つ丁寧に振り下ろし、また同じ位置に竹刀を戻してください。そして、同時に足の動きにも気を配らなければなりません。滑らかにステップを踏むことで、相手に隙を与えず、こちらから攻撃を繰り出すタイミングを窺います。」
ほぅほぅ。なるほどね。
部長の説明はとても丁寧で分かりやすい。
お手本を披露してくれた部長は私と園田さんを横に並ばせ、最初に基本の正面素振りを行うようにと指示を出す。
最初は見様見真似だったけれど、さっき部長が見せてくれた素振りと同じように竹刀を上下に振り下ろしてみる。
こ、こんな感じかな?
私的には様になっていると思ったのだけれど・・・・
「如月さん、ちょっと止まって。」
部長からストップがかかった。何か間違っていたのかと不安になりながら竹刀の動きを止める。構えを解き。水沢部長の方へ振り返ると、
「全然ダメだね。」
とても美しい笑顔でダメだしを頂いてしまった。
にっこりと微笑んだ部長が私の側に近づいてきた。
「構えて。」
言われた通り竹刀を構え直す。部長は竹刀の先を指先で掴むと、高い位置に上げる。そのまま動線を確認するようにゆっくりと竹刀を下に下げていく。
「ここからここまで。真っ直ぐに下ろして。如月さんは竹刀の動線がブレていて正確ではないから、この位置を覚えるまで繰り返し素振りを行うこと。・・・・・あぁ、スピードは5割落としてゆっくりね。」
言われた通り竹刀を振ってみる。通常のスピードよりも遅く振ったほうが腕にくる!動線を覚えるまで続けてって言われたけど、いつまでだろう?
とりあえず、20回ほど振ったところでチラッと水沢部長を見た。私の視線に気づいた部長は
「うん?どうしたの?まだ動き覚えてないよね?続けて。」
また笑顔でそう言われた。
うん、20回くらいじゃまだまだだよね。そう思い、更に30回素振りを続ける。そろそろ腕がプルプルしてきた。もう一度部長の方を向くと、
「う~ん。もう少しだね。あと100回くらいかな。」
「うぇ!!?」
思わず変な声が出てしまった。部長はニッコリとしながら首を傾げる。何?出来ないの?と言われているようだ。
むぅぅぅっぅ。
なんだか悔しくて無言で素振りを再開する。
1、2、3、・・・・・・・・・・・・56、57・・・・・・・・・。
つ、辛すぎる・・・。でも、あと40回くらいだ。は、半分超えた・・・。
隣を見ると、園田さんも同じようにゆっくり素振りを繰り返していた。その額には汗が滲み、苦悶の表情を浮かべている。
水沢部長はというと、私と園田さんの前で同じように素振りを繰り返していた。
さすが部長!と言うべきか、同じ・・・いや、それ以上に数をこなしているのに全然汗をかいていない。それどころか、とても涼しい顔で爽やかに竹刀を振っている。
・・・98・・99・・・・・・100!
や、やっと終わった!もう腕も足もプルプルする。隣の園田さんも目標回数を達成したようで、肩で息をしながら一息ついている。
「2人ともよく頑張ったね。形もとても良くなってるよ。」
部長がニッコリ笑いながら褒めてくれた。頑張った甲斐があったよ。きっとまた明日も筋肉痛になるんだろうけど、やりきった達成感に心が満たされた気がした。
この後は少し休んでから違う練習をするのかな?
他の先輩たちはとっくに面を着けての打ち合い稽古に入っている。私たちもきっと次に進むのだろう。そう思ったのだけれど・・・・・・・
「じゃあ、次は通常のスピードで更に100回。その次は上下素振りを同じ回数。続いて、左右素振り、小手打ち素振りだよ。もちろん型が正確に出来ていなければやり直しだからね。」
またニッコリと笑う。
何故だろう・・・。笑顔と口調はとても優しげなのに・・・悪魔に見える。
水沢部長の発言に私と園田さんが同時に固まる。園田さんは信じられないものでも見るように部長を見つめたまま動かない。
さっき褒められた喜びが一瞬でかき消された瞬間だった。
********************
な、なんとか部長に言われた素振りメニューをこなしました!途中、あまりにも部長が鬼畜・・・・いえ、厳しくて泣きそうになったりしたけど、園田さんと2人で一生懸命耐えた!もう腕を上げるのも辛い。
水沢部長は私たちが素振りをしている間、隣で同じメニューをこなしていた。それでも、少しも辛そうな顔を見せず平然としている。怖すぎる!!ずっと笑顔だし。
素振りのフルコースを終えた頃には、もう部活終了時間が近づいていた。昨日と同じように整理運動を行い酷使した体を揉みほぐす。絶対に明日も筋肉痛だと分かっているけれど、少しでも軽くなるよう最後の悪あがきだ。
そして今日の終礼では、2日間で薙刀と剣道の両方に触れた1年生4人に先輩たちから感想が求められた。練習は辛くなかったかとか、部長と副部長は怖くないかとか、どっちが楽しかったかとか。
練習は辛かったし、部長と副部長はめちゃくちゃ怖かった・・・特に部長が。
でも、もちろん正直には言わずふんわりと濁して答えた。答えてる時に部長と目があったんだけど、全部見透かされてそうで慌てて目をそらしてしまった。
終礼後は1年生中心に片付けだ。昨日教えてもらったことを思い出しながら防具を倉庫に片付けたり、モップで道場の床を磨いたりした。人数が少ないから大変かなと思ったけど、先輩たちが結構手伝ってくれたので思ったよりも早く終わった。
「2人ともお疲れ様。最初だから覚えることたくさんあって大変だったでしょう?最後までよく頑張ったね。」
片付けの後、水沢部長が労いの言葉をかけに来てくれた。
正直、もう腕も足も上がらないほど限界だ。昨日の日原先輩の指導の方がまだ楽だったかもしれない。日原先輩は、所々休憩を挟んだり、無理そうなら難易度を下げてくれたりといろいろ加減をしてくれていたと思う。
しかし、水沢部長は・・・そう、なんというか・・・・・・・鬼だ。
表情と言葉は優しいけれど、とにかく容赦がない。少しでも竹刀の動線がブレるとやり直しや追加で回数が増える。
部長も一緒に素振りをしていたので少しくらい大丈夫かなと思って気を抜くと・・・・・
笑顔でボーナスステージを追加されるのだ。
ほんと・・・・鬼だ・・・・・・・。
とりあえず、お疲れ様でしたと挨拶をしてそそくさと道場を出る。これ以上ここにいて何か言われたり、無茶ぶりされないよう逃げなければ。
更衣室で制服に着替えると、急いで武道館の入り口へ向かう。今日もあーくんとはるちゃんが待っていてくれてるはずだ。昨日は待たせて心配かけてしまったから、今日は出来るだけ早く向かわないと!
ロッカーを閉め、鞄を肩に掛けたところで園田さんから声がかかった。
「如月さん。今日は門まで一緒に帰らない?」
なんと、初めて園田さんに誘われてしまった。自宅は反対方向なので裏門までになってしまうけど、そこまで一緒に行こうと。
嬉しくてすぐに了解の返事をしようとしたところでふと考える。
一緒に帰りたいけど、あーくんとはるちゃんが一緒なのだ。2人はいいよって言ってくれそうだけど、園田さんにもちゃんと確認とらなきゃだよね。
「あのね、私も是非一緒に帰りたいんだけど・・。実は、幼馴染が迎えに来てるの。園田さんがそれでも大丈夫なら一緒に帰ろう。」
「私は大丈夫よ。幼馴染って元宮先輩たちよね?」
「うん。あっ、はるちゃんにはこの前会ったね。お兄ちゃんの方は初めましてかな?」
「・・じつは昨日武道館の前に元宮先輩がいて、少し挨拶したの。その時、お兄さんの生徒会長もいらしたわ。」
そうなんだ!?まぁ、入り口で待ってたら会うよね。それなら一緒に帰っても大丈夫そうだと納得する。私だったら初対面の人と歩くの緊張して無理だもん。
思いがけず部活の友達と一緒に帰れることに嬉しくなる。園田さんとはまだあんまり話したことないから、少しでも話せるといいな。
鞄をを持ち直し、園田さんと2人で武道館の入り口へ向かった。
入口の前にはすでに2人が待っていてくれていた。少し小走りになりながら近づくと、はるちゃんが私の後ろに園田さんがいることに気づいたようで首を傾げる。
「あのね、門の所まで一緒に行こうって誘われたの。いいかな?」
「もちろんいいよ。園田さん、家はどの辺なの?」
はるちゃんが訪ねると、園田さんが最寄駅の名前を教えてくれた。隣街のようだ。
「では、駅へ向かうのか。門から反対方向だな。」
「はい。裏門までですけどご一緒させてください。」
あーくんに笑顔で返事をした園田さんは、私を通り越して2人の間に並んだ。一瞬、あーくんが目を見開いた気がする。
あーくん、園田さん、はるちゃんの順番で横一列に並んだので、私はその一歩後ろを歩くことにした。
さすがに4人で横並びで歩くわけにいかないもんね。
歩き始めると、園田さんが楽しそうに両隣の2人に話しかけていた。
部活の練習が結構キツいけどやりがいがあるとか、生徒会はいそがしいのか・・とか。
終始笑顔だ。
私はというと、前を歩く3人の背中を見つめながら話しかけるタイミングを見計らっていた。
後ろから話しかけて聞こえるか、迷惑じゃないか。
そんなことが気になってしまい、なかなか話かけられない。
学園は広いので、武道館から裏門までそれなりに距離はある。それでも、多く見積もっても5分くらいで着いてしまう。
このまま何も話さないで着いてしまったらヤだな・・・。
そわそわと焦りながら前を歩く3人を見つめると、こちらに振り向いたあーくんと目があった。
「真珠紅、せっかく友達と帰るんだろう?こっちおいで。」
!!
一人で寂しそうにしている私に気づいたあーくんが話しかけてくれた。
あーくんの言葉に他の2人もこちらに振り返る。一気に視線が集中してしまって少しだけ緊張した。
「あ・・・・うん・・。えと・・・。」
「ほら、おいで。」
グイ
どうすれば良いか分からずにモジモジしていると、あーくんが私の背中に手を添え軽く引き寄せた。自然と園田さんの隣に来てしまう。そのまま彼女と目が合ったのでニコっと笑ってみた。気恥ずかしくて少し口が引きつってしまったかもしれない。
「・・・・・如月さん、今日の部活すごく大変だったよね。」
隣に来た私を確認すると、普通に話しかけてくれた。
水沢部長の指導は厳しいとか、笑顔で注意されると逆に怖いとか、山本先生は声が大きすぎるとか。私と同じようなことを考えていたようで、ほとんど同意しかなかった。全力で頷いたよ。
園田さんの話は面白く、あっという間に裏門まで来てしまった。
もっと話したかったけれど、園田さんはこれから駅に行って電車に乗らなければならない。引き留めるわけにもいかず、名残惜しい気持ちを抑える。
「じゃあ、如月さんまた明日ね。・・・先輩たちも、少しの時間だったけど楽しかったです。さようなら。」
両手で鞄を前に持ち、可愛らしく笑った園田さんに私たちからも声をかけた。
「また明日ね。」
「ばいばい。」
********************
園田さんと別れた後は、いつも通り3人で並んで帰る。あーくんとはるちゃんの間という定位置に来るとやっぱり落ち着く。こんなこと言ったら失礼かもしれないけど・・・バリアを張っている気分だ。
「真珠紅、今日の部活も厳しかったの?」
「明日も筋肉痛になりそうか?」
2人に話しかけられ、私は全力で頷いた。
「水沢部長がすっっっっっっっっごく怖かった!」
今日一番の感想を力の限り2人に伝えた。すると、はるちゃんには思いあたる節があるように、人差し指で頬をかきながら苦笑いしている。
「あー、水沢ね。あいつ完璧主義なとこあって、自分にも人にも厳しいからね。しかもずっと笑顔だから余計怖いっていう・・・・。」
そう!それ!!
はるちゃんの言葉がスッと入ってくる。まさにその通り。笑顔が怖いの。部活以外ではそうでもないんだけど、剣道になると厳しい。部長になるくらいだからそれが普通なのかな・・。
「あまり辛いようなら無理して続けることないよ?」
私たちの会話を横で聞いていたあーくんが、心配そうに私を見つめながら言ってきた。
またあーくんの心配性が発動してしまった。
「辛いけど・・楽しいから大丈夫だよ!筋肉痛はしばらく続くだろうけど、きっとそのうち慣れてくるよ。金曜日のアーチェリーも今から楽しみだし!それに、2、3ヶ月後くらいには私ムキムキになってるかもしれないよ!」
「あっはは、真珠紅のムキムキは全然想像できないよ。」
はるちゃんに笑われてしまった。冗談じゃなくて本気でシックスパック欲しいのに・・・。
悔しくてはるちゃんに言い返す。
「わ、私絶対に腹筋割るから!縦に線入れるから!」
「あははははっ。ちょっ、し、真珠紅!笑わせないでっ。」
「真珠紅、お前はそんなことしなくていい。そのままで十分だ。」
むぅぅぅぅぅ・・・。
全然本気にしてくれない2人に頬を膨らませた。
家に着くと、部屋に鞄を置いてまずはお風呂へ向かう。たくさん素振りをしたので汗をかいたし、筋肉を少しでも揉みほぐさないと明日が辛い。
脱衣所で服を脱ぎ洗濯カゴへ放り込んだ。パサッという洋服が落ちる音を聞きながらお風呂のドアを開ける。
シャンプー、リンスを終えたところでボディーソープを手に取り、スポンジに泡を馴染ませる。何気なく正面の鏡に目を向けると
あ・・・・・・。
いつも通りの紅い瞳があった。
最近気づいたことがある。
瞳が紅くなるのは感情が揺れ動いたときが一番多い。夢を見た日は決まって切なくなる。懐かしいような、悲しいような、嬉しいような・・・そんな感情でぐちゃぐちゃになるのだ。
また、何かいつもと違う出来事が起きた時も変化する。今日は部活で初めてのことばかりだった。まだ気持ちが高ぶっていてドキドキしている。そのせいで瞳が紅いのだろう・・・。
もうこの紅い瞳に慣れてしまい、これが私なんだと思い始めてしまっていた。不安ももちろんあるけど、なぜだか自然と受け入れてしまっている自分がいる。・・・怖い。
私以外の人がこの瞳を見たときどんな反応をするのだろう。気持ち悪がられるだろうか。
あーくんとはるちゃんは?
ずっと一緒にいる2人なら受け入れてくれるかな?
2人とも優しいから・・・きっと・・今まで通り接してくれるはずだ。そう信じているけれど、怖くて言い出せない。
身体を洗い終え、浴槽に浸かった。暖かいお湯に肩まで沈めると、フーっと深く息を吐く。今日の疲れが抜けていくようでほっとする。
体育座りの体勢でお湯に浸かり、両手でお湯をすくうと、手のひらに溜まった水面に自分の顔が映った。
たぶん・・・・私の顔だ。
水鏡にいる紅い瞳の彼女と目が合い、時間が止まったかのようにじっと見つめ続けた。
ポチャン
その時、水が弾く音がした。お風呂なんだから当たり前、すくっていたお湯が手のひらから零れたのだろうと思った。しかし、
・・・ポチャン・・・ポチャッ・・・ポチャン。
明らかに自分の手のひら以外の場所から鳴っている。キョロキョロと見回すと・・・
ポチャ・・・・ポチャ・・・ポ・・・・ボコボコボコ。
え!?何これ!??
手のひらのお湯の溢れ落ちる音ではなく、伸ばした足の先の方の湯船が沸騰したようにボコボコと鳴り始めていた。
「何!?分かんない!怖い!!どうしたら良いの!?」
この異常事態にパニックになりながらも急いで湯船から出ようとした。しかし、焦っているせいかうまく立ち上がれない。その間もボコボコと沸き上がる湯船が激しさを増してきた。
なんとか浴槽の手すりに手を置いて、力を込め自分の身体を持ち上げる。ようやく立ち上がることができ、逃げるように右足を上げようとした。
しかし・・・・・
お風呂にあったお湯が全て宙に浮きだし、逃げようとする私の頭上に覆い被さる。恐怖に声を出すことも出来ない私を意思を持ったような動きで捕まえに来ていた。
助けて!!
心の中でしか叫ぶことが出来ず、ギュッと目をつむる。
お湯の塊はもうすでに私の目の前まで迫っていた・・・。




