【短編】寡黙な戦士、この人だけは守りたい~あいつ、カタルシス止めるってよ~
以前、投稿した『【短編】寡黙な戦士、追放に同調する~だって、もう遅いが見たかったんだもん~』の最終話となります。
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前作を読まなくてもいいように書きたかったのですが、無理でした。(力不足が悲しいです)
申し訳ありませんが、先に↑をお読みくださいますようお願い申し上げます。
「きょ、今日からお世話になります」
ロウが一人暮らしをする家に、大荷物を抱えたリリィがやって来た。
「ああ……どうぞ」
ロウは扉を開けると、若干顔を逸らしつつリリィを招き入れた。彼女が背負う嘘みたいに大きなリュックサック、特に負荷軽減のためにクロスされた肩紐のおかげで体の一部の形状がよく分かるせいだ。
(今日から、新婚生活か……)
Sランク冒険者パーティー『鋼の絆』に所属する重戦士ロウと商人リリィは、このほど結婚する運びとなった。
王都に住まう人々には周知の事実だ。
ロウが万を超える群衆の前で、リリィに公開プロポーズを行ったせいである。
王太子夫妻の結婚を記念して開催された『武道大会』で優勝した際、賞金に『身代わりの指輪』という貴重なアクセサリーを求めるや、その場でリリィに指輪の交換を申し込んだのだ。
闘技場に集まった観客が固唾を飲む中、ロウはリリィの前で膝を突き、素朴ながら真摯な愛の言葉を紡ぐと、リリィの薬指に『身代わりの指輪』を付けた。
瞬間、割れんばかりの祝福の声が上がった。
王国最強の冒険者であり、王国最高の漢とも言われる冒険者ロウが敢行したロマンティックな告白は当然、話題となった。
王都では現在、闘技場で告白するのが大流行しているらしく、闘技場の入り口には連日、若いカップルが詰めかけ、長蛇の列をなしているという。一〇分刻みで行われる愛の告白。もはや何のための施設か分からない状態だ。
「荷物はこの部屋に……こっちもリリィの部屋にしてくれていい」
「二部屋もいいんですか?」
「部屋が余っているんだ」
ロウの住まいは冒険者ギルドにほど近い屋敷を借りていた。上級商人が家族で住まうことを想定した物件なので、使い切れない部屋が沢山ある。
「例の不文律ってやつですね」
「くだらないことだがな」
部屋が余るというのは、高位の冒険者には割とよくあることだった。
高位の冒険者には有事における従軍義務があるため、下級貴族と同レベルの身分が与えられる。また年金も入るため、一定水準以上の生活をしなくてはならない、という暗黙の了解が生まれた。後輩たちに夢を持たせ、モチベーションを高めるためにギルドが作ったルールという見方が濃厚だ。
そんなわけでロウは、未だに使い切れていない家の設備について説明をしていく。
「こんなものか……分からないことがあれば聞いてくれ」
「ありがとうございます……あの……」
「どうした?」
「あの、ロウさんのお部屋、お邪魔してもいいですか?」
(やはり、来たか……)
ロウは小さく息を飲む。
いわゆる『彼氏部屋チェック』という奴だ。初めて恋人の家を訪れた女性は、様々な観点から家の中を観察し、その男性のパーソナルデータを入手するのだという。例えば洗面台や食器棚から他の女性の存在が、水回りから清潔感が、本棚からは趣味趣向が見えてくる。
そう、趣味趣向が分かってしまうのだ。
「こっちだ」
「……凄い蔵書、まるで図書館みたい」
壁一面に並べられた書物を眺めながらリリィが呟く。
「本が好きなんだ」
「ダンジョンで書物を見つけると必ず持ち帰っていますもんね」
ダンジョンには何故か多くの旧時代の書物が眠っている。しかし、冒険者たちがそれらを持ち帰ることは稀だった。
理由は簡単。金にならないからだ。旧時代の書物で使われている言葉は古いため、読める者自体が少ない。特に文章のみで構成される小説は、よほど有名な作家でもないかぎり買値が付かない状態だ。そのため発見されてもそのまま放置されることがほとんどだった。
「読んでもいいですか?」
「もちろん、好きなものを……」
「あれ、この一角だけ、タイトルが妙に長くて……変わってますね?」
「そ、それは……」
ロウは慌てて本棚の前に立ち塞がった。
「へえ、これなんか面白そう。『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』ですって。ロウさん、こういうのも読まれるんですね」
「あ、ああ! そうなんだ。コメディも好きで……ほ、他に気になるものはないか? 遠慮なく言ってくれ」
珍しく長文を放つロウに、リリィは目を細めた。
「ふふ、大丈夫です……」
「ふぅ」
リリィが別の棚に移動し、ロウが大きく息を吐いたその時、
「隙ありです」
「ああ!」
リリィは素早く本棚から『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』を抜き取った。
「この厚み……なるほど、ロウさんらしくないラインナップだと思いました」
リリィはそう言うと、『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』を開いた。
「……やっぱり」
『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』の中から、桃色成分が強めな表紙の本が出て来た。
「そ、それは……も、もらったのだ……」
『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』の中から出てきたそれは俗にいう春画であった。旧時代風に言うならエロ漫画と呼ばれる類のもの。
「へぇ、誰から?」
「そ、それは……すまん、ダンジョンで落ちてたのを拾ってきた」
ロウが項垂れると、リリィはちょっと嬉しそうにする。
「ふぅん……へぇ……」
そうしてリリィは『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』に挟まれていた春画を珍しそうに眺めた。
「すぐに処分しよう……」
「大丈夫ですって、私だってもう立派なレディですよ。多少の理解はありますって……」
リリィは『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』の春画を開く。
(ふふ、かかったな)
一方、ロウは内心でほくそ笑んでいた。
ロウは、『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』を始めとする弱者が強者を見返す逆転劇、カタルシスを重視した物語を偏愛している。
それは旧時代の物語の中でも特殊ジャンルとされており、『もう遅い』や『婚約破棄』あるいは『覚醒チート』といった名前で呼ばれていた。
このことは誰にも知られてはならない絶対の秘密だった。しかし、リリィと共同生活をするにあたって自分の趣味を完全に隠し通すのは難しいことも分かっていた。
なのでロウは一つの策を講じた。『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』のようなカタルシス系小説をあえて目立つ場所に配置した上で『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』の中に春画を仕込んだのだ。
すると本来の趣味である『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』は、春画を隠すためのカモフラージュと認識される。
現にリリィは『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』のことなど少しも意識していない。『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』という一度聞いたら忘れられないようなタイトルであっても、すでにリリィは『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』のことなど忘れているだろう。
これ以降、リリィは『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』を見たとしても、春画を包むブックカバー程度にしか認識しなくなる。
そう、それはまるで千切り根菜一本を包んでいるだけで『ゴボウ巻き』と呼ばれた練り物のように、春画というゴボウ成分によって『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』はゴボウの一部として認識されてしまうのだ。大根なのに。
(さあ、Project Odin(オーディン計画)の始まりだ。リリィ、続けてこの一角を捜索するんだ……)
Project Odin。それは旧時代の北欧神話の隻眼の知恵神Odinにちなんで付けられた名前だ。知識の象徴たる書庫にエロを投げ込み、評価を得る。知識の泉に片目を捧げることで、膨大な知識という対価を得たOdinの名を冠するに相応しい壮大な計画なのである。
血なまぐさい北欧神話のそれように、Project Odinには代償が存在する。ひとたび発動すれば大量のエロ本を隠し持つむっつりスケベさんの謗りを受ける可能性があるのだ。
しかし、この趣味を隠すためならロウは代償を払うことを躊躇わない。
なぜなら、性欲は健全な成人男性なら普通に持ちうるもの。カタルシス系小説に耽溺にすることを知られるより、遥かにマシ。特にリリィのような男社会で暮らす女性の場合、被害は最小限で済む。
まさに策士だ、とロウは自画自賛する。伊達に本ばかり読んでいないのだ。その辺の知識量については学者にだって負けていないつもりである。
(ふ、今の俺なら軍師としても活躍できそうな気がするな……)
「あの……ロウさん……」
「どうした、リリィ」
やり遂げた笑みを浮かべながら、ロウは振り返った。
「これはちょっと……」
しかし、リリィは恐る恐るといった風情で声を掛けてくる。
いぶかしんでいたロウだが、その手に持たれた春画のタイトルを見た瞬間、顔をひきつらせた。
それは、
『オーガの苗床〜女騎士が『くっころ』しても俺のエレクチオンは止まらない〜』
まさかのモンスター転生凌辱物であった。
(隠しておく本を間違えたああぁぁあぁぁぁぁっ!)
ロウは灰のようになった。
*
新婚生活開始当日こそ大きく躓いたものの、その後は大きなトラブルもなく一週間が過ぎた。
「おはようございます、ロウさん」
ロウはリリィの鈴の音のような声と共に起床する。肩を揺らす小さな手があまりにも可愛らしくて、そのままベッドに引き込んでエレクチオンしてやろうかと思う。
「……おはよう、リリィ」
もちろん、小心者のロウはそんなことはしない。大人しく体を起こし、特注サイズのベッドから降りる。
「ご飯、今作りますから」
「すまんな」
リビングでくつろいでいると、朝食が運ばれてくる。切り分けられたバゲットにスクランブルエッグ、カリカリに焼かれたベーコン、サラダ、最後に温かい牛乳。
シンプルながら上品な朝食である。ロウの体格に合わせて一品一品が大皿にこんもりと盛られているため、二人なのにホテルのビュッフェ会場のようになっているのはご愛敬といえた。
「いただきます」
「お味、どうですか……?」
不安そうにこちらを窺うリリィ。
「リリィの料理はうまい……いつも」
ロウがそう言えば、リリィは相好を崩し、食事を開始する。まさに理想の新婚生活である。
同時にロウは思った。
(なんだ、この、満たされたような感覚は……)
ロウは生まれて初めて味わう温かい感情に戸惑っていた。
*
ギルド酒場。年中無休で雑然とした雰囲気のそこに、六人組の男女が座っている。
Sランク冒険者パーティー『鋼の絆』だ。王都では知らぬ者の居ない最高位の冒険者集団。メンバーはリーダーにして聖騎士のレオン、司教デビット、大魔法使いドーラン、斥候ダリル、重戦士ロウ、紅一点の女商人のリリィといずれ劣らぬ強者ばかりだ。
そんな彼らはジョッキを高々と掲げると、破顔した。
「二人の絆に!」
「「「乾杯!」」」
レオンの音頭に、むつくけき男共が唱和する。
「いやぁ、めでてぇ」
「本当にめでてぇな、そして酒が美味い!」
「ええ、本当に嬉しいですな、そして酒が美味い!」
「いつも美味いけど、やっぱり酒が美味い!」
「適当な理由を付けて飲みたいだけだろうが……」
ロウは呆れたように言う。
新婚生活からしばらく経ち、『鋼の絆』は活動を再開した。
『武道大会』前の修行もあって六人揃っての活動は二か月近く休止していた。しかし久しぶりのダンジョンアタックはそのブランクを少しも感じさせない安定ぶりだった。
「まあ、そう言ってやるな。みんな本当に嬉しいんだよ……」
レオンが肩を叩く。『鋼の絆』は全員が妻子持ちなため、ロウとも既婚者トークやパパトークができるようになると喜んでいるのだ。
「ようこそ、人生の墓場へってな!」
「馬鹿を言うな。リリィと居る場所が墓場のはずがない……普通に天国だ」
「もうっ、ロウさんったら私は天使なんかじゃありませんよ! もう、ロウさんったらもう!!」
リリィは顔を赤くしてバシバシと肩を叩いている。正式に夫婦となり、お酒も飲めるようになったこともあって彼女も随分と慣れてきているようだ。
「「「……天使?」」」
「あ? なんか言いました?」
「「「いえ、なんでもありません」」」
メンバーとの下らないやりとりも実に楽しそうである。
(いいことだ……リリィはいつも自信がなさそうだったからな)
ロウが頷いていると、小さな声が聞こえた。
(いい加減にしろよ。パーティから追放するぞ?)
「――ッ!?」
振り返る。雑然としたギルド酒場で耳を澄ます。ロウは持ち前の超人的な聴覚で僅かな音の余韻から声の主を特定した。
(あれは若手のCランク冒険者パーティ『緋色の道』。たしかリーダーの戦士と魔法使いの女が付き合ってたな……これは……もしや……)
ロウは、声の発生源たる三人組の男女を観察し始める。
「……アンタが罠があるってちゃんと言わなかったせいで、怪我したのよ?」
「お前のミスなのに、治療費を払いたくないなんて、それでも仲間かよ!」
「いや、普通は俺の後ろを歩くだろ? どうしてわざわざ二列になって歩いたんだよ」
状況を聞くに、パーティーリーダーの戦士が、ミスを斥候役のせいにして、仲間の治療費を払えと要求しているようだ。
あまりにも理不尽な内容だった。
(間違いない……この感じ……『もう遅い』の前兆だ……)
ロウはかつての失敗から『もう遅い』とは距離を置いている。しかし、ただ遠くから見るだけなら全く何も僅かたりとも問題はないはずなので、積極的に見守ることにした。
「どうせまた冒険中にいちゃつこうとしたんだろ?」
「う、うるさい! 違うわよ!」
「単なるお前のミスなんだ。さっさと治療費を払えよ!」
(ふむ……この二人、なかなか見込みがある)
興奮してか、徐々に声が大きくなっている。自分の凡ミスを仲間に押し付けようと声を荒げるのは、調子に乗ったアランたちにも見られた傾向だ。これは期待大である。
「はぁ、勘弁してくれよ」
一方、斥候役は呆れたようにため息を吐く。
「おい、聞いてるのか!」
「本当にパーティを追放してやるんだから!」
(まさか、もう始まるのか? 『もう遅い』が始まっちゃうのか!?)
カップルと野次馬一名がエキサイトする。ロウの興奮など知るよしもない二人は斥候役に罵詈雑言を投げつけている。
斥候役を追放したところで、悪評が立てば代わりの人材が見つからないというのに、周りが見えてない奴はある意味で最強といえた。
「ロウさん、あれ……」
事ここに至って、周囲も異変に気付き始める。
「ああ、恐らく……」
「そんな、酷い……」
ロウが首肯すると、リリィが今にも泣き出しそうな表情を浮かべた。かつて『第五の栄光』での出来事を思い出したのかも知れない。
瞬間、どうしようもない激情が全身を駆け抜けた。
(なんで、リリィが自分に自信がないのか……今、分かった)
アランたちは、リリィの働きを評価せず、些細なミスや己の失敗を押し付けてきた。
確かに加入当初こそ、新人で世間知らずのお嬢様だったリリィは役立たずだった。だからこそ、彼女は必死に仕事を覚えたのだ。重い荷物を抱えながら必死に付いて行き、野営の準備をし、斥候の仕事を覚え、街に戻ればギルドや商店に通っては伝手を作っては報告する。
しかし、どれだけ働いてもパーティーメンバーにはロウ以外には評価されなかった。ロウはそれを知りながら彼らの認識を改めようとはせず、放置してきた。
『もう遅い(カタルシス)』を味わうために。
ロウの目論見通り、リリィは仲間たちから評価されないまま役立たずの足手まといとして追放された。
その結果、リリィが受けた苦痛たるやどれほどのものだったろうか。それは深い心の傷となって今も彼女を苦しめている。他人の追放劇を見るだけで、顔を歪めるほどに蝕んでいるのだ。
愛するリリィを苦しめ、守るべき伴侶を傷つけた原因はロウにあるのだ。
(くそ、くそ、くそくそくそ!! 俺はリリィになんてことを!)
強い後悔にロウは歯噛みをする。
成り行きとはいえ、ロウはリリィに結婚を申し込み、生涯に渡って愛すると誓った。なれば約束は果たされなければならない。本当にリリィを愛しているのなら、物理的な攻撃はもちろん、精神的な苦痛からも守ってやれなければ意味がない。
「……俺に任せろ」
「ロウさん……」
ロウは立ち上がると、『緋色の道』のメンバーに近づいた。
「少しいいか?」
「あんたは」「背中のロウ!?」
「背中は止めろ!」
「え?」
「……あー、いや、少し話を聞かせてもらいたいのだが――」
ロウは顔を引きつらせるも、給仕を呼んで上等な酒を用意させる。
「おごりだ、飲め」
そうして舌が軽くなったところで事情聴取を行う。
二人の主張、斥候役の話を聞き、仲裁を始める。
「なるほどな……斥候は悪くないな」
「えっと、背中さん、どういうことすか?」
「だから背中はよせ、いや、つまりだな――」
正確には自分勝手な理屈を口にするカップルの認識を改めさせるべく、説教を開始する。
オーガを彷彿とさせる厳めしい容貌のせいで、頭が悪そうに見えるロウだが、これでも冒険者歴は長く、本の虫でもあるおかげで見識は深かった。更にSランク冒険者パーティー『鋼の絆』のエースにして『武道大会』の優勝者という肩書もあって説得力も抜群だ。
周りの見えていないバカップルに、常識を教えてやるくらいわけもないことであった。
「……すいませんでした」
「背中さん、あたしたちが間違ってました」
「謝るのは俺じゃないし、俺は背中でもない。そうだろう?」
カップルは顔を蒼ざめさせ、斥候役の男に謝罪をした。
「許せないなら、新しいパーティの口利きをしてもいい。腕のいい斥候役は引く手あまただ」
斥候役の男に尋ねれば、彼はしばらく考えて首を振った。
「いんや、これから気を付けてもらえりゃそれでいい……いい、です。これでも仲間なんで」
「そうか、お前はいい奴だな」
「今度、依頼とかでご一緒できたら……その時は、その背中——」
(いや、お前まで背中呼びすんの!?)
「その背中を、任せて貰えますか?」
「……んんっ!? も、もちろんだ! その時は是非、お願いしよう」
ロウは席を立つと、深々と頭を下げる斥候役に背を向けた。
「リリィ、すまん……遅くなった」
「……ロウさん」
リリィは目の端に浮かんだ涙を拭いながら、クリーム色の髪を揺らした。
「……最初からこうしておけばよかったな」
「いえ、ロウさんと一緒に居られるだけで、私は幸せですから」
リリィの控えめすぎる言葉が、ロウにはとても痛かった。
(俺はもう絶対に間違えない)
ロウは胸を抑える。
(もう、こんな思いはごめんだ)
そう思った時、自分の判断力を鈍らせるものがあることに気付く。
(カタルシス断ちじゃあああぁぁぁ――――っ!)
まるで罪を贖う咎人のような気持ちで、ロウは誓いを立てるのだった。
*
ロウは翌日の朝にはずっと大切にしてきたカタルシス系小説を片っ端から売り払う。
それからしばらくは何の問題もなく、ロウたち『鋼の絆』は順調にクエストをこなし続けた。
そんなある日、冒険者ギルドの窓口でクエスト完了報告をしていると、受付嬢のひとりがリリィに話しかけてきた。
「えっと、私に手紙ですか?」
「はい、ファーシル領の冒険者ギルド経由で届いたのですが……」
リリィが手紙の封を切る。
「どうした?」
「あの……えっと、結婚したんだから、夫婦そろって顔を見せろと……父上が」
「確か、家出同然に冒険者になったんだな?」
リリィが頷く。彼女はいまでこそ冒険者などをやっているが、元はアルバート男爵令嬢という立派なお嬢様である。
かつて、ワイバーンに襲われたところを、ロウたち『第五の栄光』に助けられたことで冒険者に憧れを抱き、家族の反対を押し切って冒険者になったということになっている。
しかし、実際には、強大なワイバーンに立ち向かい、自分を救い出してくれたロウに一目ぼれをしてしまい、押しかけ女房をしに行っただけというのは割と有名な話だった。なにせ公開プロポーズの時に本人がそう告白している。
「ソフィア様が取りなしてくれたおかげで何とか家名だけは名乗れていますが、あれ以来、一度も連絡なんて来なかったのです」
「ずっと関係修復をしたかったんだろう。行くぞ」
「でも、みなさんに迷惑をかけることに……」
リリィが言うと、レオンたちが声を荒げた。
「馬鹿言うな、娘に会いたいお父さんの気持ちを考えろ」
「そうだぜ、親父さんが可哀そうじゃねえか」
「今頃、後悔しておるわい!」
「特に娘がこんなオーガモドキに掴まったなんて心配で夜も眠れんわい!」
「「「違いねぇ!」」」
「そんなことありません! ロウさんは世界一、素敵な男性です!」
リリィが声を荒げると、レオンたちは途端に優しい笑みを浮かべた。
「何も気にすることはねえよ」
「行って来い、リリィ」
「お父様に元気な顔を見せてあげなさい」
「ワシらなら大丈夫じゃし」
「みなさん……ありがとうございます」
リリィはさっそく旅の準備をすべく、ギルドから出て行った。
「……助かった」
「気にすんな」
「仲間だろうが」
「ふふ、当然のことです」
「酒の一杯でも奢ってくれればよい」
「あと、オーガと言われたことも忘れない」
四人が一斉にそっぽを向き、下手くそな口笛を吹き始めた。
「……お土産、期待していてくれ」
ロウは小さく笑い、今度こそリリィを追いかけていった。
*
有能なリリィが全力で動いたことで、翌日には二人は王都を出発していた。
ガタゴトと馬車にゆられながら、のんびり二人旅だ。Sランク冒険者が二人もいて戦力不足に陥るわけもないので、気分はほとんど新婚旅行であった。
唯一、怖いのが野営時の強襲だ。国内トップクラスの冒険者とはいえ、就寝中にドラゴンの群れに襲われてはさすがに危険である。しかし、わずか二人で連日、寝ずの番を立てる訳にもいかない。
「ラヴィ、ゴー」
「わん」
そこで活躍するのが使い魔である。
リリィは『魔物使い』からテイムスキルを教わっており、コボルトという二足歩行する犬型モンスターと契約していた。名前は『ラヴィ』と言い、戦闘能力こそ低いが、従順で鼻が利くため、彼女を連れて行けば自然と襲撃に気付いてくれるというわけだ。
ラヴィは周辺一帯を走り回り、敵の有無を確認してから帰ってくる。
「よし、いい子だ。オーガ肉をやろう」
「きゃいん!」
ロウが声をかけるとラヴィは必要以上に腹を見せ、服従のポーズを取る。
「ロウさんにもようやく懐きましたね」
「ああ、さすがに二カ月も一緒にいればな」
当初こそ、ロウが自然と放つ武威に怯えていたラヴィだが、地道に餌付けを続けることでようやく警戒心を解いてくれた。
「ずいぶん、時間が掛かりましたね。『鋼の絆』の人たちにはすぐに懐いたのに」
「ああ、子供がいるから慣れているんじゃないか」
「くぅん」
ラヴィが何故か悲しそうに泣いた。ちなみにロウは、リリィに隠れて「本当は転生者なんだろう?」「全て分かってる、正直に話せ」と緊張しながら話しかけたせいで無駄に威圧していたことに気付いていない。そのせいで彼女が円形脱毛症を患ったということも。
そんな哀れな使い魔の苦労など知る由もなく、二人は旅は順調に進め、予定よりも三日早くファーシル侯爵領の都ファーランドに到着するのだった。
*
入場手続きを行い、城門をくぐり抜ける。
ファーシル領は王国きっての穀倉地帯だ。王国南部の経済の中心地というだけあって領都ファーランドの発展ぶりは目を見張るものがあった。赤い屋根にクリーム色の漆喰という目にも鮮やかな建物が並び、広場には市場が立って、すれ違うことすら苦労するような人込みである。
「一度、ギルドに寄って先触れを出してもらおう」
「はい。ついでに道中の成果も換金しましょうね」
リリィの実家であるアルバート家は男爵位を持つ歴とした王国貴族だ。いくら呼ばれたからとはいえ、来訪のお伺いも立てずにお邪魔することは出来ない。
街の入り口にある高級宿に部屋を取り、馬車や荷物を預けてから街へ出る。
「ロウさんといるとこういう時、楽ですよね」
「たまには役に立つだろう?」
リリィが楽しげに笑う。
二人の前だけぽっかりとスペースが開いているのだ。
いくら混んでいるとはいえ、オーガの如き厳めしい顔をした巨漢に近づこうとするものはいない。立ち上る武威は自然と人々を威圧し、更に旅マントの隙間から、身の丈ほどもある大剣の見え隠れしているものだから、すぐに道の端に寄ってくれるのだ。
そんな時、キャスケット帽をかぶったみすぼらしい少年が近づいて来た。
(これは――少年に見せかけた少女だな)
ロウはしなやかな体の動きから性別を見抜く。
少女から手が伸び、スリだと確信する。同時、みすぼらしい格好とは裏腹に、金色のチェーンネックレスをしていることにも気付いた。
(今でこそ盗賊に身をやつしているが、実は没落した貴族の令嬢ではないか)
ロウは一人でそんな妄想をする。上手いこと保護して事情を聞き出してやれば、彼女の家族を陥れた悪徳領主に一泡吹かせられるかもしれない、なんてところまで。
これまでロウは、子供のスリに遭遇すると、ひとまず成功させてやり、その後、追跡してアジトを突き止めるようにしていた。
大抵は貧困街で身を寄せ合って暮らす子供たちのコロニーに行き着くのでまとめて保護してやっていた。この中に政敵に嵌められて没落した貴族の子供がいるかと思えば無下に扱うことなんてできようはずもない。
ちなみに、保護した子供たちが元貴族だったことは今のところ一度もないが、万が一の可能性を見逃さないのがカタルシス愛好家の嗜みなのである。
「おっと、ごめんよ――ギャフッ!」
体を入れ替え、少女を躱す。足を引っかけて地べたに転ばせたところを上から踏みつける。
(もう、そういうことは出来んのだな……)
「そういうのは人を見てやることだ」
「う、うるせえ、離しやがれ――ヒッ!!」
軽く威圧する。単独でドラゴンとすら戦える化け物の脅しに、少女はガタガタと震え出し、最終的に泡を吹いて気絶する。
(……いかん、泡を吹かせる相手を間違えた)
悪徳領主が浮かべさせる顔だと自嘲気味に笑う。
ため息をひとつ。独身時代ならこんなカタルシス案件、絶対に見逃さなかった。しかし、カタルシス断ちをした今となってはおいそれと保護することも出来ない。
何だか寂しい気分になった。
「ロウさん、この子はいつものように孤児院に……?」
「いや、可哀そうだが、衛兵に引き渡そう」
「は、はい……でも、本当にいいんですか?」
「今はリリィ、君の親御さんに会うことが先決だ」
ロウは迷惑代に少女の手に金貨を一枚握らせてやると、そのまま担ぎ上げて詰め所まで連れて行った。
ちなみに街では『人攫いが出た』とちょっとした騒ぎになっていた。
*
大通りに面した冒険者ギルドに入る。気配を感じた冒険者たちが一斉に振り返り、驚いた顔をした。
(おい、あれ……)
(俺知ってる、あいつは背中のロウだ)
(背中、だと……なんでそんなビッグネームが!)
(……もはや王国に逃げ場はないのか)
ロウはため息を吐いた。なぜ王都から遠く離れたファーシル領にまで背中呼びが浸透しているのか。もう訳が分からない。
足取りも重く、窓口へ向かう。
「なんだと、もっぺん言ってみろ!」
「何度でも言ってやるよ、帰れ」
「ここはガキが来るところじゃねえんだよ」
中堅と思しき冒険者が、ギルド加入書を持っている少年に絡んでいた。
「俺がガキならお前はジジイだ! 引退しろ!」
「んだと、このガキ!」
「ぶちのめしてやろうか!?」
ロウは一瞬で状況を理解する。
少年は線こそ細いが、身のこなしは悪くなさそうだ。それにペンを握る手には剣ダコがある。腰に佩く剣も古いが、妙な雰囲気も感じる。
一方、中堅冒険者たちは酔っぱらっているようだ。腹も膨れていて、年齢的にも最盛期を過ぎていた。
(なるほど、才気あふれる主人公に絡む噛ませ犬の構図か……)
いわゆる新人いびりという奴だ。気の強そうな少年の鼻っ柱を折るべく、性質の悪いベテランが絡むのである。王都でも数え切れないくらい目にしてきた光景で、ほとんど通過儀礼のようなものだった。
このままいけば少年と中堅冒険者の代表が、ギルド裏の訓練場で決闘する流れになるだろう。物語なら新人冒険者の隠れた力が発揮され、中堅どもが返り討ちにされる。
こういった時、ロウは時間の許す限り、審判を買って出てきた。冒険者がやりすぎないよう、監視する名目でだ。もちろん、本当は調子に乗った冒険者共がぶちのめされるのを見て、カタルシスを味わいたいからだ。
しかし、現実は残酷で、決闘では少年が負ける。十中八九なんて比率じゃなく負ける。なんなら手も足も出せず、ただただ冒険者に痛めつけられて終わる。
単純に地力が違うのだ。多少酔っぱらっているくらいじゃ何のハンデにもならない。相手は腐っても中堅冒険者。村のガキ大将程度が、体長三メートルというオーガさえ単独で倒す人外をどうこう出来るはずもない。
しかし、何百回かに一回、少年が勝つ時がある。その時に見せる冒険者たちの表情が見物なのだ。それに今回の少年には見込みがある。かつて一度だけ、ロウに奇跡を見せてくれたアランを彷彿とさせる何かがあった。
あの光景が忘れられないからこそ、ロウはその場で仲裁をせず、審判なんて面倒くさいことをやっていたのだ。ほとんどが空振りに終わると分かっていても、万が一の可能性に賭けるのはカタルシス愛好家の本能といえた。
(しかし、こういうのも、もう止めだな)
中堅冒険者二人に近づくと頭を掴み、そのまま持ち上げた。
「誰だ、てめえごおおぉぉぉぉ!」
「わるがっだ、おでがああぁぁあぁぁ!」
頭蓋骨が軋む感覚が指先から伝わってくる。冒険者たちがどれだけ暴れようが、巨人と腕相撲しても勝つと言われるロウの体はびくともしない。
「目障りだ、飛べ」
このままだと握りつぶしてしまいそうなので、ギルドの出入り口に向けて中堅共を放り投げる。ギルドから飛び出した冒険者たちは、バウンドしながら歩道を滑っていった。
恐ろしい力で投げ飛ばされた冒険者たちは、当然のようにピクリともしない。
Sランク冒険者によって唐突に行われた惨劇に、ギルド内が静寂に包まれる。
(少しやり過ぎたか……まあ、手加減したし、リリィが追いかけていったから大丈夫だろ)
ロウは小さく頷くと、絡まれていた少年に向き直る。
「ずびば、ずびばべん……」
凶悪な魔獣と遭遇したかのように震える少年。
「もう大丈夫だ、怖い思いをしたな?」
ロウは出来るだけ優しい笑顔を作り、頭を撫でる。
(((アンタがそれ言うううぅぅぅぅ――!?)))
しかし、それは傍目から見ると、オーガが目の前の獲物に舌なめずりをしながら手を伸ばしているようにしか見えないことを本人だけが知らない。
少年がとうとう気を失うと、ロウは困ったように笑った。
(……ふむ、どこか体調が悪いのか)
ロウは病院代として手持ちの金貨を一枚握らせてやると、窓口で震えあがる受付嬢に声をかけた。
ちなみにギルドでは『魔王が出た』とちょっとした騒ぎになった。
*
翌朝、ロウは異様な喉の渇きで目を覚ました。
宿の朝食はいくら食べても味がせず、なのに腹も満たされない。
「……ロウさん、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
異様な食欲に、さしものリリィも不安そうな顔をする。
(……間違いない、これは……禁断症状だ)
愛するリリィを傷つけた罪を贖うべく、カタルシス断ちを誓ったロウは、これまで溜め込んできた旧時代のカタルシス小説を全て処分した。そればかりか、ギルドや街中でたまに発生するカタルシス案件に発展しそうな芳しいシチュエーションを自らの手で潰してきた。
信じられるだろうか。暇さえあれば物語の世界に没入し、現実世界に帰還すれば物語を再現すべく、あらゆる可能性に飛びついて物語に介入してきたあのカタルシスハンターがである。
そうやってロウは善き夫、善き冒険者を演じてきた。
結果、ストレスでハゲそうになっていた。
今思えば、ロウのあくなきカタルシスへの欲求は、彼なりの生存戦略ともいうべき行為だったのかも知れない。
ロウは小心者の自分がずっと嫌いだった。
嫌なことがあっても文句ひとつも言えず、周りに流されてしまう自分が恥ずかしかった。
体は誰より大きいのに、その心は誰よりも小さく臆病なのだ。鎧で着膨れしたスケルトンウォーリアみたく中身だけがスカスカで、普通に歩いているだけでガチャガチャと鎧が当たって心が痛む。
そんな隙間を埋めてくれたのが物語だ。特に読むだけでストレスをごっそり洗い流してくれる旧時代の物語に耽溺した。毎日のようにカタルシスを味わい、心の隙間を埋めることで、ようやく普通に生きられるようになったのだ。
(まさか、カタルシス欲求が肉体にまで影響を及ぼすとは……)
カタルシスはロウにとって正に生きる糧だったのだ。しかし、ロウは長年、自分を支え続けてくれたカタルシスを自らの手で封印した。心の均衡は当然のように崩れ、まるで流行り病にも似た症状が発症したのである。
「ロウさん……私、」
「大丈夫だ……リリィ、少し目を閉じてくれないか?」
リリィが黒目がちな瞳を閉じる。
ロウは少し突き出された唇に、自分のそれを合わせた。
「……ありがとう。少し、楽になった」
「もうっ! ロウさんったら私は飲み薬じゃありませんよ! エッチなんだから、もう! もう!」
リリィは牛のようにモーモーと照れながら、ロウの肩を叩いた。
(ふぅ、なんとか誤魔化せたな……)
「お客様、アルバート家の方がお越しです」
ロウが息を吐いていると、食堂に支配人らしき男がやって来る。
「ああ、通してくれるか?」
昨日、ギルド経由で先触れを出したせいだろう。
「セバスさん!」
「お嬢様、ご機嫌麗しゅうございます。ご立派になられて。お嬢様が家を出られた時は、このセバス、胸がはち切れんばかりでございました」
執事服を着た壮年男性が、泣き崩れる。
「セバスさん、ご迷惑をお掛けしました。でも、私なら大丈夫です。ずっとこの方に守ってもらえたから」
「なるほど、こちらの方が……」
「はい、旦那様のロウさんです」
リリィが、執事セバスを紹介してくれる。先代当主の時代からアルバート家に仕える使用人だそうだ。
「宜しくお願いする」
リリィからすれば第二の親と言うべき人だそうだ。
「な、なるほど噂以上の方ですな」
セバスは、ロウから立ち登る異様な武威に後ずさる。
(惜しい、一味足したらセバスチャンだったのに……)
その原因はロウが余計なことを考えてハッスルしたせいだ。禁断症状中なせいでこれまで以上に現実との境目が見えていなかったのである。
「ロウさん?」
「はっ、す、すまない、何でもない」
「ロウ様、大丈夫でしょうか? お加減が悪いのでしたら後日、日を改めますが……」
「大丈夫だ、何の問題もない」
「では、早速ですが旦那様にお会い頂けますか?」
「ああ、案内を頼みたい」
ロウは大きく息を吐くと宿を出た。のっそりとした動きで用意された馬車に乗り込む。
「ふぅ……」
禁断症状のせいで浅い呼吸を繰り返すロウを見て、リリィは少し嬉しそうに笑った。
「……ロウさんも、緊張するんですね」
「そんなことは、ない」
「ふふ、そういうことにしておきましょうか」
リリィは嬉しそうに足をばたつかせた。
相手が貴族だからと緊張するようなロウではない。ドラゴン相手でも怯むことなく戦いを挑み、大陸の覇権国家の王族相手でも一歩も引かない勇者なのに、自分の両親に会うというだけでこんなにもおかしくなっているのだ。
それにロウの変調はいまに始まったことじゃない。
普段ならスリの子供を見かけようものなら、貧困街のアジトを割り出し、そのコミュニティにいる子供たちをまとめて孤児院に連れて行くような男だ。もちろん子供たちが困らないよう大量のお布施と共に。更に背後に犯罪組織がいるようならさっくりと叩き潰して他の子供まで救い出す。
こうして全員を幸せにした後は、孤児院に月に一度は顔を出し、子供たちの様子を窺うのだ。
ギルドで頻発する新人いびりもそうだ。普段なら審判役を買って出て、やり過ぎないよう目を光らせる。鼻っ柱を折られた新人冒険者に飯を奢り、冒険のイロハを教えてあげるのは王都では風物詩となっている。場合によっては、相性のよさそうな仲間を紹介することさえあった。
ロウは本物の英雄だ。困っている人すべてを救わずにはいられない、究極のお人好し。既に英雄譚に名を刻まれていてもおかしくないこの人が、こんなささいなことで緊張してくれているという。
その人間くささが、リリィはたまらなく愛しいのだ。
もちろん、全てリリィの勘違いである。
ロウのこれまでの献身的な行動は、カタルシスへの布石であった。
スリの子供を保護するのは没落の原因となった悪徳領主をぎゃふんと言わせるためだし、犯罪組織を潰すのは悪徳領主へ繋がる情報を探るためである。定期的に孤児院に顔を出しているのだって、没落貴族の子供を見逃している可能性を捨てきれないだけだ。
新人いびりの審判役は中堅共の負け犬っぷりを間近で見たい一心であり、負けた新人の面倒を見るのは『覚醒チート』が発生しないかの見極めだ。上手く覚醒してくれれば後日、絡んできた中堅冒険者にきっちり復讐してくれるはずだ。仲間の紹介は覚醒を促す一助に過ぎない。
そう、全てはカタルシスのためなのだ。しかし、その勘違いはいつまでも解決されることのないまま、もはや逃げられない状況に来てしまっている。
ロウは小さくため息を吐いた。
本当の自分は、リリィが思うような優しい人間じゃない。
勇敢で公平な英雄などでは断じてなく、単に臆病で自分勝手な小心者なのだ。
すれ違う二人を乗せた馬車が小さく揺れた。
バランスを崩したリリィを、ロウが受け止める。
「ご、ごめんなさい」
「気にしなくていい」
リリィは顔を赤らめるので、ロウは自然と笑ってしまった。
(偽物の俺だが……)
この胸から溢れるような感情だけは本物だと思う。
(だから……リリィだけは守りたい)
「愛してるぞ、リリィ」
こうしてロウは、モーモーと牛のように肩を叩かれながら、アルバート家の門をくぐるのだった。
*
ロウたちが通されたのは、ダークブラウンを基調とした落ち着いた応接間だった。
そこには既に大柄な男性と、小柄な女性が立ち上がって待っていた。
「初めてお目にかかる。リリィの父ファンサ・アルバートである。こちらは妻のローザ」
テーブルを挟んで立つ父ファンサがバリトン声を響かせる。クリーム色の髪を短く切りそろえた偉丈夫だ。左腕を前に出す癖があり、盾を使う騎士だろうと当たりを付けた。
「ロウ様のお噂はファーシルまで届いております。遠路はるばるお越し頂き、感謝の念に絶えません」
淑女の礼をする母ローザは、黒目がちの瞳と美しい金髪の持ち主だ。リリィのような大きな子供がいるとは思えないほどの若々しい美人で、姉と言われたら信じてしまいそうである。
「ロウと申します。リリィさんには世話になっています。もっと早く顔を見せるべきところ、遅れてしまい、申し訳ありません」
「こちらこそ、お忙しい中、呼び付ける形になってしまい申し訳ない」
ファンサと握手を交わす。商人だてらに前線に立つリリィの父親だけあって、相当に強いようだ。鍛え上げられた体躯には一部の隙もなく、硬くて分厚い手の平は歴戦の戦士のそれ。そもそもロウを前にして怯えも無ければ、構えた様子も取らないのだからその時点で一流と言える。
「どうぞ、お座りくださいな。少しロウ様には狭いかも知れませんけど。あ、すぐにお茶を用意いたしますわ」
ローザに勧められ、ソファーに座る。広いはずの応接間も、大柄な二人がいると幾分か手狭に感じられるから不思議だった。
「ロウ殿には感謝を」
「家出同然に飛び出した娘を保護してくださったこと、言葉もございません、と言いたいそうです」
「こちらこそ」
「やだ、ロウさん、今の自分があるのは全て彼女のおかげだなんて言い過ぎです」
「ふふ、リリィ。素敵な方ね」
「はい、ロウさんは見た目はもちろん、内面までかっこよくて」
「分かるわ、親子ですもの」
(なぜ、リリィが俺を選んでくれたのか、ちょっと分かる気がするな)
父親に似た男性を選ぶという。物静かで誠実そうな騎士然としたファンサを若返らせ、魔物成分を添加するとロウになる。つまりそっくりなのだ。顔立ちや体型。さらに身にまとう佇まいまでも。
その証拠にロウを見るローザの視線は好意的で、普通の女性なら卒倒しているはずのところ、王子様に出会った少女みたいに目を輝かせていた。
「てっきり結婚に反対しているものだと思ってました」
「まさか」
「ええ、リリィも立派な大人ですもの。今さら反対などしないわ」
「……よかった」
「しかもこんな素敵な男性を選んだんですもの。反対する理由がありませんわ」
「ろ、ロウさんはダメですからね!」
「ふふ、心配いりませんわよ。野生的な殿方も素敵だけれど、やっぱり旦那様のような知的な男性が一番だもの」
「でも、ロウさんはこれで可愛いところがあって――」
リリィとローザの夫自慢が続く。可愛い、見映えがいい、美丈夫、容姿端麗、およそ人生で言われたことのない美辞麗句が並べられ、ロウとファンサは眉を顰めた。ちなみに、世間一般では二人ともオーガと揶揄される厳めしい容姿の持ち主だ。知的や野生的と分類されているが、オーガよりの人間か、人間よりのオーガぐらいの差しかない。
「じゃあ何で私たちを呼び寄せたの?」
「旦那様が一度、ロウ様とお話ししてみたかったんですって」
「父上、どこの馬の骨とか言い出したら怒りますからね」
「そんな失礼な真似はしないわよ。ただ、リリィをお任せする相手だから、一度、腹を割って話をしてみたかったんですって。ね、旦那様」
「ああ、ロウ殿。いいだろうか?」
「ええ、望むところです」
ファンサとロウは同時に席を立った。母子の間で交わされる自慢話に居たたまれなくなった、というのが正直なところだった。
*
ロウは、ファンサの執務室に案内される。窓はなく、壁を覆いつくす本棚だけがあった。それは執務室というより書庫といったほうが正しい作りであった。
「凄い蔵書だ」
「ありがとう。好きな作品を読んでくれ。貴重な旧時代の書物を多数、蒐集している君だが、手元にない蔵書だってあるだろう」
「なぜそれを……」
ロウは自分の趣味を秘密にしている。伴侶であるリリィさえ、結婚後に見せたくらいだ。しかも方向性を変える形で紹介している。そもそもリリィは実家とは連絡を取り合っていなかったとのことだから、彼女が知らせたという線はない。
「単刀直入に言おう。冒険者ロウ、君には我々の組織に加わって貰いたいのだ」
「組織?」
ファンサは名刺を差し出す。
「……旧書教団『Re:マザー』……王国南支部長?」
(Re:は旧語では……何々に『ついて』……いや、違うな。返信、つまり逆さ読み……か?)
「……『ザマァ』」
『ザマァ』とは、ロウが耽溺する『もう遅い』や『婚約破棄』、『覚醒チート』といった旧時代のカタルシス系小説を総称した呼び名である。
「素晴らしい! 自力でそこに行き着くとは! そう、我々は旧時代の書物を嗜好し、その蒐集と発展、啓蒙活動を秘密裏に行う組織なのだ!」
ファンサは破顔したが、ロウは少し恥ずかしいネーミングだな、と思った。
「安心してくれたまえ。我々は旧時代の書物のために犯罪に手を染めるような真似はしない。気に入った物語を組織員に紹介したり、複製して交換したりするだけの健全な組織なのだ」
同好の士ということもあって饒舌に喋るファンサ。寡黙な設定はロウと同じく、世を忍ぶ仮の姿なのだろう。あるいは、趣味の話の時だけやたらと饒舌になるタイプの人なのかもしれない。
「つまり、旧時代の書物の蒐集家の集まりということか……」
「その通り!」
「なるほど……真っ当な組織であることは分かった。しかし、なぜ、秘密組織にしているんだ?」
「だ、だって……ザマァ系が好きとか恥ずかしいじゃないか」
「わかる」
「それに何か秘密組織ってかっこいいし」
「たしかに」
「ご理解頂けて嬉しいよ。我々『Re:マザー』は、王国全土に一〇〇〇名という組織員を抱える巨大組織だ。我らほどの組織力があれば自然と君が旧時代のザマァ系に耽溺していることは分かってしまうのだよ」
「ん、一〇〇〇名? 意外と少ない……?」
大陸の覇権国家のひとつである王国の人口は一億人を超えている。
「あ、その……ひ、秘密組織だし……宣伝とかしていないし、知名度は若干、低めかもしれない………し、しかし、旧時代の書物を読める知識層と考えればかなりのシェアではないか? 有名どころだと王都で一番の古本屋『知識の泉亭』の店長だって組織員なんだぞ」
「完全にそこから俺の情報が漏れてるじゃねえか!」
ファンサは『やっべ』という顔をした。
「とにかく!」
なので、大きな声を出して誤魔化しはじめる。
「我等は早くからロウ殿を組織にスカウトすべく動いていた。しかし、『第五の栄光』における追放時における振舞いを聞いて思いとどまった。ピンときたんだよ。君の行動は、まるで『もう遅い』を誘発しているようじゃないかと、ね。そして昨年の卒業パーティで起きた『婚約破棄』で、ソフィア嬢を擁護したことから確信を得た」
「……な、に」
「君は旧書の物語を再現しようとしているね? 犯罪組織に使われていた子供たちの保護していたのも、冒険者ギルドで行われる新人いびりで審判を務めていたのも、全てカタルシスへの布石だ」
ロウはフラフラと後ずさり、ソファーへと座り込んだ。
「そう恐ろしい、失礼、恐い顔をしないでくれ。我々は君の味方だ。いや、むしろ、君の信者と言っていい」
ファンサは静かな声で「実は私もその一人なんだ」と続けた。
「……信者? それは一体、どういう……?」
ロウが尋ねると、ファンサは自嘲するように笑う。
「人間、誰しも心に不満を抱えているだろうが、私はその傾向が強くてね。いつも、何のために生きているのだろうと、心の奥底でそんなことを思っていたよ。
特に我々のような口下手な小心者は文句のひとつも言えず、いい人に見られたくて、敵を作りたくなくて、何も言えないまま周りに流されてしまう。
そんな時、出逢ったのが旧時代の物語だった。文章力は低い、物語性だってない、時にはご都合主義と揶揄されるような作品だってある。
ただ、この物語にはストレスがないんだ。あるとすればそれはカタルシスへの布石に過ぎず、その後の普通なら有り得ないような超展開が、不思議と溜め込んだ心の澱まで洗い流してくれる。小心者の私は、気が付いたらこの物語に耽溺していたよ。
五〇ページにも満たない世界で生み出されるカタルシス。手早くストレスを解消する点において『ザマァ』は他の追従を許さない。そうは思わないかね?」
「……ああ、その通りだ」
「ありがとう。しかし、我々は基本的に受動的な存在だった。仲間内で物語を読み回し、語り合う程度のことしかしてこなかった。支部長である私でさえ、ダンジョンに潜った際に見つけた書物を持ち帰る程度さ。まるで生まれたばかりの雛鳥のように、与えられたカタルシスを待つだけの存在だった。
しかし、君は違う。君はただ独り、持ち前の理性と行動力を武器に、自らの手でカタルシスを生み出そうとしていた。あらゆる可能性に手を伸ばし、カタルシスの種を拾い集め、大切に育ててきた」
「それは単に生で『もう遅い』が見たかっただけで……」
「それさ。正直、その手があったかと頭を殴られたような衝撃だったよ。私自身、真似してみようと思った。しかし、それが出来ない。普通の人にはそんなこと、できないのだよ。君はまるで物語の作り手のように、自然と物語に介入し、カタルシスチャンスを作り上げる。
だからこそ、我々は君の信者、いや、君の読者になったんだ。君の行動を支え、君が生み出す物語を、喜びを共有したいと思ったんだ。
同志ロウよ、どうか我々も君の仲間に加えてはくれないだろうか?」
ロウは思わず頷いてしまいそうになり、すんでのところで堪えた。
「……しかし、俺は……俺は、もうカタルシスを辞めたんだ……」
「なにっ……り、理由を聞いても……いいかね?」
ロウは頷くと、懺悔するように言葉を吐いた。
「俺は間違えたんだ」
ロウはかつて大きな過ちを犯した。『もう遅い』が見たいという自分勝手な理由でリリィの評価を改めさせず、彼女を傷つけたのだ。それは、今もなおトラウマとして残り、リリィを苦しめ続けている。
「俺は、リリィが思うような勇者じゃない。臆病で自分勝手な小心者だ。みんなが言う英雄にはほど遠いだろう……しかし、リリィだけは守りたいと思った。だから、止めたんだ。俺はカタルシスを前にすれば、また間違える。判断を狂わされる。きっと欲望に流される。俺が間違えたせいで、またリリィを傷つけでもしたら、今度こそ俺は彼女の隣に立つ資格を失うだろう……」
ファンサは深く頷くと、ロウの肩に手を置いた。
「ありがとう。娘のことをこれほど愛してくれて……」
「お義父さん……」
「確かにロウ君、君は間違えたのかもしれない。しかし、それでいいじゃないか。誰にだって間違いはある。それに卑怯だろうが、偽物だろうが、口下手だろうが、君の行動が多くの人を救って来たのは間違いない事実だ」
「でもそのせいで」
「勘違いをしないでくれ。今のリリィはきっと誰よりも幸せだ。君に助けられた人々もそうだ。ソフィア嬢も、子供たちも新人冒険者たちだって、君の行動で幸せを掴めたんだ。それが間違いだったなんて言わせない」
「でも、それは全部の勘違いで……」
ファンサは首を横に振ると、優しく笑った。
「いいじゃないか、『勘違い』。私の好きなジャンルだよ」
「……勘違い? 旧時代の書物の?」
ファンサは頷く。
『勘違い』。それは旧時代の遺跡などで発掘される書物のストーリ形態のひとつだ。ロウが耽溺する強いカタルシスが売りのザマァ系とは趣の異なるシリーズとなっている。
この物語の主人公は容姿や経歴のせいで大物のように『勘違い』される。しかし、実は内気で小心者だったり、経歴自体が偽物だったりする。しかし、言い回しや状況が奇跡的に重なることで、周囲から好意的に捉えられてしまうという物語だ。
主人公の犯すあらゆる失敗が『勘違い』フィルターを通すことで超人的な偉業へと変換され、周囲から認められていくのだ。しかし、小心者の主人公は周囲の過大評価に戦々恐々とし『どうしてこうなった!?』と嘆き続けるのである。
『勘違い』とは、つまり周囲と本人との評価のギャップが笑いを誘う、気持ちのいい喜劇なのである。
「多くの『勘違い』では主人公とその周囲が漏れなく幸せになっていく。読者は声をあげて笑ったあと、ひっそりと心を温めるんだ。嫌いな相手を見返したり、復讐したりするカタルシス系物語を私は心から愛している。しかし、たまにはこういう優しい物語が無性に読みたくなる時があるんだ。
だから、無理に取り繕わなくていい。ただ周りが幸せであったならそれを誇ればいいじゃないか。ちょっと『勘違い』が起きただけだと思えばいいのさ」
「つまり、俺は、こんな俺のままでいろと?」
「強制なんてしない。でも、我々が共に歩みたいと思った君は、私の娘が愛した君は、カタルシス趣味に没頭する冒険者ロウだったんだ。ただ今の君やその周囲が幸せなら、わざわざ無理に方針を変えようとする必要はないんじゃないかな?」
「俺は……」
「同志ロウ……いや、我が息子ロウ。もっと自分の心に素直になるといい。誰も君に変われなんて思っちゃいない。きっと君は、あるがままの君でいいんだ」
「お義父さん」
「それにロウ君がカタルシスを味わいながら、みんなが幸せになれる未来だってあるかも知れない。だから君は夢をあきめなくていい。あきめたらそこで試合終了だよ」
「……お義父さん……俺……」
ロウは涙を堪えながらファンサを見た。
全てを包みこむような表情に、膝が崩れた。
「カタルシスが見たいです……」
こうしてロウは初めて本当の気持ちを吐露することが出来たのだった。
*
両親への挨拶を終え、王都の自宅へと帰ってくる。
「一か月ぶりの我が家か……すまないな、付き合わせてしまって」
「いえいえ、父上も楽しそうでしたから……ちょっと妬けちゃいましたけど」
ファンサに説得され、『カタルシス断ち断ち』をしたロウは、カタルシス教団『Re:マザー』の特別顧問に就任。ファンサやファーシル支部の組織員の蔵書を借りたり、意見を交わしたりして心行くまでカタルシスを堪能した。
ちなみにロウとファンサが同好の士であり、意気投合したことは娘であるリリィにも伝えている。
その事実を告げた際の『まあ、趣味は人それぞれですから』と諦めたようなリリィの表情が印象的であった。
(さあて、『第五の栄光』の女共でも探すかな、いい具合に没落しているといいけど……あ、男爵令嬢マリアの居所も並行して調べておくか……手近に王太子の元側近に近づくのもいいな……)
パートナーたるリリィからの理解も得られたことで、これからは思う存分カタルシスを堪能できるとロウはウキウキである。
それから二人は手分けして屋敷の掃除を行った。一通り、区切りがついたところで、リリィが街に出かけるというので見送り、自室に戻った。何でも王都を出る前に注文していた物があるそうだ。
(ずいぶんと書庫も寂しくなったな……)
ロウはお気に入りのソファーに腰かけ、本棚の一角、旧時代の書物をまとめていたスペースを見やった。旧時代の物語の多くがダンジョンで発掘されることもあり、かつてのロウのコレクションは、組織幹部であるファンサにも匹敵するほどの質と量を誇っていたのだ。
(まだ残っているか……?)
売り払った先でまだ残っていれば買い戻すことも可能だろう。
明日にも顔を出そうとロウは心に決める。
その内、リリィも帰って来て、食事を終え、風呂に入り、後は就寝するだけとなった。
寝室で一人横になっていると、暗がりの中、荷物を抱えたリリィがやって来るのが見えた。
「この荷物は?」
「…………別に」
「どうした、怒っているのか?」
「ええ、少し」
そう言うわりに、リリィは荷物を丁寧にテーブルに置いた。
「それは……本か?」
「はい、先日、ロウさんが『知識の泉亭』さんに売りに出した本です……」
「まさか……」
「はい、多少、売れてしまっていましたけど八割がたは買い戻せました」
「なぜそんなことを……」
リリィは腰に手を当て、ため息を吐いた。
「ロウさん、私はいつ、ロウさんにご自分の趣味を我慢してくださいなんていいました?」
リリィは、ロウの鼻先に指を突き付ける。
「ロウさんは今のままでいいんです! だって私は、ありのままのロウさんが一番好きなんですから! 私の為に、ロウさんが我慢する必要なんてないんです! だって、私たちはパートナーじゃないですか。良いところも悪いところも認め合って、生きていくってそう決めたじゃないですか!」
「いや、それはそうなのだが……」
「大切にしている本を捨てちゃうなんて……ロウさんが自分を押し殺してしまうなんて許せませんよ……それって、私を信用していないってことじゃないですか」
「違うんだ、それは……」
「ロウさんが、趣味の物語の世界を再現したがっているって、父上から聞きました。ちょっと不安ですけど、私は受け入れてみせます。だって、そう誓ったから。たとえどんな隠れた趣味を持っていても構いません。だってパートナーですもん。たとえ、世界中の誰もがロウさんの趣味を否定したって、私だけは味方でいます」
「……すまなかった、リリィ……」
「謝ってなんて欲しくないです。私は、ただ信頼して欲しいだけで……だから、今から私の覚悟をお見せしようと思います!」
リリィは意気込んで拳を握ると、手にしていた書物を差し出した。
「どうぞ!」
「あ、ありがとう……?」
「で、でも、私以外にはこういうこと、したらダメですからね!?」
「は?」
リリィは恥ずかしそうに告げると、バスローブを取り払った。そこには一糸まとわぬ少女の姿ではなく、
白銀の戦鎧を見事に着こなす勇ましい女騎士の姿があった。
「そ、それは……?」
嫌な予感を覚えたロウは、震えながらも渡された本の表紙を見た。
そのタイトルはもちろん――
『オーガの苗床〜女騎士が『くっころ』しても俺のエレクチオンは止まらない〜』
悪質なモンスター転生凌辱物であった。
(そういえば『勘違い』されたままだったあぁぁぁぁぁっ!!)
「さあ、ロウさん! まずは冒頭のシーンから始めましょう!!」
いそいそと自ら手首を縛り始めるリリィを見て、ロウは慌てて誤解を解くのだった。
完
読了、ありがとうございました。
本シリーズはこれにて完結となります。
最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
参考文献
『大根ですが、おでんパーティから追放されました。パーティの野菜成分を俺が一手に担っていたんだが、大丈夫かな』
https://ncode.syosetu.com/n8618gu/
『オーガの苗床〜女騎士が『くっころ』しても俺のエレクチオンは止まらない〜』
https://novel18.syosetu.com/n5305gv/
著者様から快く許可を頂きました。
ありがとうございました。