ボートに乗る
父とボクは、ふたりでボートに乗っていた。
向かい合うように座り、父だけが一所懸命に漕いでいる。
「ハッハッハ、楽しいなぁー」
「……そだねぇ」
スマホの画面をなでながら適当に答える。
ボクの素っ気なさを気にすることもなく、父はひとりでテンションを上げて、両手のオールで水をかく。
大きな音や力強い動きの割に、ボートは全く進んではいかない。
普通に漕げば十分で往復できる程度の小さな湖にもかかわらず、父を推進力にしたこの船は三十分以上かけてようやく湖の中間に到達したところだ。
そんな優雅に進むボートに向かって、横からパシャパシャという音が近づいてくる。
見ると、そこには犬がいた。
薄いベージュ色をした毛の短い雑種の老犬だ。
ゆっくりとした犬掻きだが、このボートよりは速かった。
老犬はボートに追いつくと、激しく動くオールを回避し、すかさず船上に飛び乗ってくる。
濡れたカラダを大きくふるって水を飛ばした。
「おぉ、珍しいお客さんだな」
反応した父には目もくれず、
「もしかして、あなたは、私の娘じゃないかしら?」
老犬が首をかしげてボクに話しかけてくる。
「ボクは生まれたときから人間だよ」
質問の意図がわからず、ボクはただ普通に返すことしかできなかった。
「そんなに耳が大きいのに?」
ボクの頭上にある毛深い耳を見ながら、老犬が問いかける。
「声が聞きやすいんだよ」
ボクは、頭部から生えている毛深い耳をぴこぴこと揺らした。
「おしりからしっぽが生えているのに?」
ボクのズボンを突き破って生えた毛深いしっぽを見ながら、老犬が問いかける。
「バランスが取りやすいんだよ」
ボクは、ズボンから出たシッポをパタパタと振ってみせる。
「そんなにおクチが大きいのに?」
「それはお前を食べるためだー」
言いながらボクは自前の牙をむき出しにする。
そして、老犬に食らいつくような動きをしてみせた。
「あらあら」
童話の『赤ずきん』めいたやり取りに老犬は全く動じることもなく、愉快そうに笑った。
ボクもつられて笑いながら答える。
「なんてね――それ以前に、ボクは男だよ」
「そうですわねぇ……でも――」
言いながらボクの顔をジロジロと眺めて、
「やっぱり娘の面影がありますわ」
――そんな事言われてもなぁ。
「……あ、もしかしてあなたのおかあさ――」
と、老犬が突然空に浮く。 父がうしろから持ち上げたのだ。
間髪入れずに湖の岸まで放り投げた。
思いもかけない出来事にボクはあっけにとられてしまう。
父はなんの表情も浮かべてはいなかった。
老犬はこちらを名残惜しそうに見ていたが、間もなく歩き去ってゆく。
それを見届けて、再びオールで勢いよく漕ぎ始める。
「……ハッハッハ、楽しいなぁー」
先程までのテンションの高い笑顔と変わらないようにも思えたが、 なにか目の奥に笑っていないものが感じられる。
「……そだねぇ」
ボクも再びスマホに目を落とす。