第一章・入隊 〜軍隊生活と飛行兵志願〜(8)平和なノモハンの日々
ノモハン事件に出動した僕等の飛行場大隊は、平和そのものの日々が続いた。僕は第一中隊で、第二中隊が隣の兵舎にいた。この二個中隊合わせて飛行場大隊といい、第七飛行戦隊(九五式水冷複葉戦闘機の部隊)の後方支援をしている。九五式戦闘機は空中戦が得意(つまり旋回性能が良い)で、離着陸の滑走距離が短く、小飛行場での使用が可能なため愛用されていた。尾輪が鉄の橇板で、地面に食い込んで滑走するため、その尾橇の補修は金属班の重要な仕事だったが、僕等初年兵の仕事にはならなかった。空ではこの単機戦闘訓練が時々見られた。僕は手に汗握る思いでそれを観戦し満喫した。
飛行場の北側500m余りの所に豆満江が流れ、そこがソ連との国境となっていた。特別の設備もなく無造作に川に入る事ができた。
ある日曜日、戦友と二人で向こう岸まで渡った。別にソ連からの発砲も警告もなく、地元民が木材で組んだ筏を操っているのみ。3隻、4隻と連なって下っている。川は浅く1m位しかない。流れも河口のため緩く、歩いて渡って越境したが不安は消せない。喜声もそこそこに引き揚げたひとときだった。平和に見える朝鮮とソ連国境が不思議だった。ただお互いの監視哨から見ていたのではと思うと、ぞっとしたものだ。
兵舎の周りは地元民のマクワ瓜畑が広がっていた。ある夜、こっそり第二中隊の兵が2、3名そのマクワ瓜を盗みに行ったとか。だが夜番に発見され逃げ帰ったまでは良かったが、軍帽を落としてしまった。万事休す。軍帽に名札がついているので地元民の届出で犯人が分かり、持ち主の兵隊は厳重な処置として重営倉入りしたようだった。
飛行場には塀がないため簡単に外部に出られるようになっていた。そんな無防備の部隊だったので、敵のスパイの好餌になっていた事だろう。
部隊から30分余り歩くと会寧の町があった。二度ほど外出したが、憲兵(上等兵)が馬で巡回していたり、出会う上官には敬礼せねばならず緊張の連続であった。