第六章・終戦 〜興安丸と復員〜(6)重いペダル
翌朝、鹿児島本線の下りは満員だったが、何とか乗車できてほっとした。久留米駅で戦友と別れ、僕は羽犬塚駅で下車し弟の良則が八女中学にいるだろうと思い、訪ねて用務員さんに呼び出して貰った。出て来た弟はびっくりしていた。僕は無事を伝えた。バスの時間もまばらでどうしようかと話していたら、弟が「自分の自転車に乗って帰ってもいい」と言うので、通学用に使っていたものを借りて帰る事にした。
7年前と故郷は何も変わりなく、田舎の事とて爆撃もなく至極平和な山間だった。ゆっくりペダルを踏んで、父母のいる我が家へと砂利道を進んだ。父母もびっくりするだろう。満州にいた姉兄達はどうしているだろう。いろいろ思いながら北川内に入った。まず役場に寄って復員した事を伝えた。役場には大石茂氏と小川亀吉氏の二人がいて、無事復員した事を喜んでくださった。
一刻も早く父母を喜ばしたい気持ちで家へと急いだが、なぜかペダルを踏む足が重くゆっくりだ。確実に故郷は目前なのに、ペダルは重たくなるばかりだった。何かしら嬉しさがない。『敗軍の将は兵を語らず』ますますペダルは重くなる。父母の顔も見たい。喜ばせたいが敗戦の兵として、また別の感情も心のどこかにこびりついている。
いろいろな複雑な気持ちを抑えて、やっと家の前に着いた。自転車を止め家を見上げた。玄関までの数歩に鼓動が高鳴っていた。玄関の引き戸に手をかけた。7年前と変わらぬ音を響かせ現れた薄暗い室内に、我が家の匂いを感じた。復員の報告をしている僕の目の前に慌てて現れた父母も祖母も満面の喜びの顔だったので、ほっとした気持ちになった。