第六章・終戦 〜興安丸と復員〜(5)国破れて廃墟あり
『国破れて山河あり』そんな気持ちはしない、「国破れて廃虚あり」。ここから見る博多の街は瓦礫の山だ。よくもこんなにやられたものだ。焼夷弾の雨に防火の手なく、焼け落ちた瓦礫が遠くまで続いている。昭和20年6月19日が福岡大空襲だったようだ。大阪市の空襲跡は上空を飛んでいる時に見たが、実感は余りなかった。博多の地に着いて初めてその惨さに驚いた。多くの市民が犠牲になり傷ついた事だろう。
こんな惨い傷跡を残して戦争は終わっていった。何でもっと早く講話条約が結べなかったのか。上層部は何を考え、本土決戦と息巻いたのか。何百という都市が爆撃の対象とされ、次第に小都市へと移りつつあったのだろう。遅すぎた終戦詔勅だった。参謀本部の統帥の誤りとしか考えられない。しかし今更いくら愚痴っても、どうにもならない。早く故郷に帰りたい。
久留米、熊本方面へ帰る者が7、8名いた。僕等は今から汽車に乗っても夜中になるので一泊をして帰る事に決し、駅前で旅館を探し宿泊を乞う。米がないとの理由で断られたが、おのおの米を残していたので皆で出し合い、夕食と朝食分を頼んでその旅館に宿泊した。
ところが夕食後、旅館内で酒を飲んでいるのか、大騒ぎで歌声がするようになった。何事か不審に思い尋ねると、朝鮮へ帰国する集団が嬉しさの余り騒いでいるとの事。いささか癪に障るが、事を起こしてもまずいので皆、我慢していた。若者達が半強制的に徴要工として、内地の工場で働かされていたのだろう。終戦となり彼等も朝鮮に帰れる喜びなのだろう。