第五章・教官〜戦況悪化と特攻隊の出撃〜(6)出丸中尉の思い出
内地では盛んに空襲が報じられ市街地が焼土となって行くのに、ここ京城は全く別天地で余所事と楽観していた。
ある日、訓練の最中に空襲警報が発せられた。敵のB29が一機、上空5,000〜6,000mの高度で進入して来た。偵察に来たようだ。しかし、僕等の訓練部隊は武装をしていない。あれよあれよと見上げている間に敵機は平壌方面へと飛び去った。その体験から何機かを武装して待機させる事になった。
翌日、またもや敵のB29一機が南方大田方面から北方(京城)に向かっているという報告があった。後に特攻隊の指揮官として出陣した出丸中尉と僕が、そのB29を攻撃する命を受け離陸した。出丸中尉は初陣である。自信もなく不安だったのか、「原口、頼むぞ」と先立った。僕も「はい!」と短く返事したものの、使い古したこの隼機では速度も出ないし、ガタガタの飛行機では立ち向かってもとても勝ち目はないが、ひたすら上空に現れる敵機を探して上昇した。高度4,000mに上がっても敵機は現われない。不審に思いながら上昇したが、ついに敵機を発見する事はできなかった。
着陸して分かった事だったが、敵機は電波探知機を作動させ、攻撃に上昇してくる機を探知して方向を変え、京城上空に進入しなかったと知らされた。
2、3日後、また敵機の来襲が告げられた。ただちに僕は一機で離陸を命ぜられた。滑走路に出て出発する一刻も待てない。誘導路からいきなり滑走路を横切り海岸上空へと上昇した後、2、300mの高度で機関砲を海へ向け試射し、弾の出る事を確かめた。敵B29一機は5、6,000mの高度で平壌方面へ向かっている。全速で上昇するが機能が落ちているので思うようにならず、やっと5,000mに達した時、敵機は遙か一点となって平壌方向へ去ってしまった。
京城上空を大きく一旋回して感じる事は、空気が薄いため操縦桿がガタガタで動作が鈍く、大空に上がった凧のようにただ浮いているようだ。飛行機には与圧高度が調整されていて、隼機は3,000mの高度の空気に合わせてエンジンの状態が最良になるよう、燃料の噴射が調整されているが、5,000mの上空では空気が薄いのに燃料が濃すぎて、エンジンの機能が発揮できないのが理由だ。戦地の飛燕機は高度を飛行する場合が多いので、4,000mに調整してあるので充分戦えるのだが、防空戦隊ではない僕等の部隊の隼機では、高度を飛行する偵察機を見過ごさざるを得ない。
この地も本格的な爆撃をいつかは蒙るかもしれないが、米軍は日本国土の攻撃に専念しているので、本土決戦の時が来る事は時間の問題に迫った感を深くさせられた。