第五章・教官〜戦況悪化と特攻隊の出撃〜(3)靖国隊
連浦への出張訓練は2度行われた。ある日、僕は京城の金浦飛行場へ伝達指令を命ぜられ九九式司偵で飛んだ。途中の天候が悪く雲の上を飛んだ。層雲の上の素晴らしい光景に見とれた。真っ白い絨毯を敷いたような水平面の雲である。着陸しても良いくらいの美しい雲面をすれすれに飛んだ。こんな光景は初めてだった。
金浦飛行場に戻り、ほどなく僕等の部隊に初めての【特攻機出撃】が命令された。今までは海軍の十八番のようだったが、消耗烈しく陸軍もという事になったらしい。僕等の部隊にその第一の白羽の矢が立ったのだと思う。
第一回の特攻隊である。隊長出丸中尉隊員の他、少年飛行兵の中から優秀なる兵が選ばれ、合計13名であった。別れの夜は心ゆくまで盃を交わした。涙、涙の感激は今も忘れ得ない。彼等は内地へ飛び、知覧飛行場に集結した。
数日後、大本営の発表を聞いた。『靖国隊』と命名された由。レイテ湾の艦泊に多大の損害を上げた事が報道されたが、その真実は大本営発表を信じるしかなかった。その隊の一人、僕が期待していたB伍長は途中で奄美群島に不時着して助かり、彼が故郷に帰っていた事を戦後に知った。一度便りを出したが、自責の念が強く表沙汰にされたくないという返信だったので、以後音信も途絶えてしまった。
特攻隊に13機の隼機を使用し、後の訓練に影響するので受領のため立川航空廠へ飛んだ。田畑准尉操縦の高練(高度練習機、主に爆撃隊要員の訓練する機)で、僕以下6名同乗し、立川に降り立った。新しい隼機は戦地へ配備されるため、僕等が受領するのは故障機か不時着機を改良した物ばかりなので、試験飛行も充分やって天候を選んで飛び立った。
途中、加古川と雁ノ巣で燃料補給をし、金浦飛行場に無事着陸し任務を果たした時の達成感は、ひとしおだった。
その後、金浦飛行場は爆撃隊の使用が激しくなり、僕等の部隊は南に下り水原の飛行場に移動した。ここは一本の長い飛行場だった。1,500m位あろう。ここでの訓練の途中、南の群山の飛行場でも出張訓練があった。