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第四章・負傷 〜生死の境と内地送還〜(6)鬼の監獄、蛇の看護婦

 昭和19年元旦である。再び内地の正月を迎えられた事が不思議に思えた。運のいい僕だったとしみじみ回顧された。朝食は鯛の尾頭付き、赤飯に雑煮という病院の心尽くしを目の前にしながら南洋の戦友達の事を思うと、自分だけが贅沢をしているようでなかなか箸が進まない。早く復帰せねばと心は焦るばかりであった。

 ギブスが取れないので、大便をするため松葉杖をうまい具合に倒して用を足すのに一苦労した。マニラでは洋式だったので不便はなかったが、内地の陸軍病院にも松葉杖の患者はいる筈。洋式のトイレを用意しない軍隊の無神経さに憤りを感ずる。切開手術をする様子もなく、切損した骨片を抉り出した軍医の横暴さ。脂汗をかく痛さだった。レントゲンもなかったのか。傷病兵を厄介者として待遇しているとしか思えない。

 大阪の陸軍病院はこんな渾名で呼ばれ恐れられた。“鬼の監獄、蛇の看護婦”と。衛生兵は威張り散らし、「病魔の兵士は精神がたるんどるから病気になるのだ、皇軍の屑だ」と言わんばかり。雑巾を足で踏んで左右に動かし軍歌を歌って、一つ一つ寝台を動かし毎朝の掃除を30分位する。僕は階級に物言わせ知らん顔して見ていたが、命がけで戦場で戦って来た負傷兵も、今は役に立たない兵士として無視された言動に少なからず不満だった。


 大阪泉北郡には柴軍曹の実家があった。僕も一泊して世話になった事があった。手紙でここに入院している事を告げたら、早々に彼の母親と弟が見舞いに来てくださった。いろいろ戦地の事で話がはずんだ。柴軍曹のイボ痔の治療もしばしばしてやった事など、お互い何かと気を使って意気投合の仲だった。僕がウエワクを去る時までは、彼が元気でいた事だけしか分からなかったが、それを聞いて二人共安心して帰られた。

 その柴軍曹も昭和18年12月10日、ラム・マーカム河谷進攻で未帰還となり、僕の尊敬した波佐間曹長も、同日の進攻作戦で戦死されている事を京城在住時に耳にした。僕が負傷してちょうど2ヶ月目である。運命とはいえ戦友の最後が偲ばれてならない。12月10日といえば僕はまだマニラの陸軍病院にいたが、前線の事は一切分からなかった。僕はウエワク上空で運良く負傷で済んだものの進行作戦であったら、とても今日の僕はいなかった筈だ。幾多の事故、病気にもめげず七転八起の僕の人生まだまだ健在なり。


 僕の宗教的経験を語りたい。僕の寝台の隣に上等兵のマラリア患者がいた。ある日、その患者に面会者が来て帰った後、その患者が僕の前に分厚い本を遠慮がちに差し出して「曹長殿、良かったら読まないか」と言う。手にすると題字が『生命の実相』の12巻をまとめた一冊の本だった。僕はすごく驚いた。因縁の深さを思い知らされた。

 実はこういう事があった。僕の一番上の姉、千代子が片山氏と結婚し満州の新京に渡った。昭和9年頃だったろうか。ふとした縁で『生長の家』に感銘した姉は、それを実家の父母にも読ませようと思い送ってくれたのだ。生長の家の月刊誌が届けられ、『病気や苦悩は本来存在しないものだ。人間の生命は天地の生命の如く無限大の命と同一だ』という教えだったと記憶している。父母に読んで聞かせると、とても喜んでいた。

 その後、その生命の実相の12巻が送られ、毎晩読んでやった。この法縁により、従兄に当たる星野村本星野の倉住義郎氏の心に響いた。彼は次男のため家を出て、宮崎県の小林市に住み熱心な生長の家の信者となり、宮崎地方の支部長の世話人までになった。

 横道にそれたが、生長の家の勧行本にあたる詩みたいな『甘露の法雨』という折り畳み式の小さい本があった。横5cm位、縦12cm位の本である。心の琴線に触れる言葉が綴られ、一時は全部暗唱するまでになっていたのは入営前だった。入営する時、僕は伴侶としてこの甘露の法雨を持参した。幾度か私物検査に引っかかり班長預かりになろうとしたが、すぐに許可になり僕の手元にあった。たまに紐解いても、さしたる感情は得られないが故郷の父母の祈りに通ずる思いであった。ずっと持ち続けた。満州、内地、戦地へと続いた。

 僕がウエワクで負傷し野戦病院に入院中に、飛行場周辺の宿舎が爆撃された時、私物の入った僕の大きな航空バッグ(操縦士のみ携行)もどこかに雲隠れしてしまった。不在者の分まで運ぶ余裕もない混雑だったらしい。それ以後、出合う事もなく忘れてしまっていたのが、再びこの病院で偶然にも巡り合うとは、まったく縁のつながりの深さを感じられたものだ。しかし、それ以後はページを捲っただけで、ぷっつり縁が切れてしまった。

 戦後、幾度か谷口雅春氏の生長の家の情報も目に止まったが、現実主義を追う僕の心情に触れるものがなかった。今までにも書いたように5回、6回の死線を生き長らえ、戦後は三度に渡る大手術にも負けず、命ある今日の僕の存在を思うと「不思議に生かされている」と言う他はない。

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