第三章・出陣 〜ニューギニア戦線と戦闘の日々〜(11)まぼろしの撃墜
進行中の編隊の間隔は【一機長一機幅】が原則となっている。すなわち一機の長さだけ下がり、一機の幅だけ横に離れて航進するのである。いざ戦闘開始となると、右、左斜後方に200〜300m程雁行形に展開して、戦闘行動ができる隊形になる。
ある日、一列になって敵機を山あいの谷間に追い込んだ事があった。竹内隊長の前に敵機は逃げて行くが、速い。ものすごく速い。高空から反転して急降下で逃げている。僕等も竹内隊長の後に続き追いかけたが、射撃距離に達しないので攻撃できない。その内、敵機は谷間の上部を覆っている雲の中に逃げ込んでしまったので、竹内隊長は急旋回して離脱した。敵機は苦肉の策として雲間に逃げ込んだが、山腹に衝突するか雲中で失速して墜落するかのどちらかである。
ある日、僕等の部隊は戦爆連合40数機で攻撃進行中、遙か右手に敵の戦爆連合の4、50機が、僕等の後方陣地の飛行場へ空爆に行くのと擦れ違った。お互い任務を持っているので隊形から離れる訳にはいかず、見過ごして「あばよ」である。その任務が終わり、帰路に着いた。
30分も経った頃だった。敵機との遭遇を警戒していた時、任務を終えて三々五々に帰投して来る敵機と出遭った。500m位の左下にP38一機が、こちらに向かって来る。「しめた。今、攻撃すれば最高の条件。確実に撃ち落とせる」と思ったが、編隊の最後尾を飛んでいる僕が勝手に隊形を離れ攻撃する事は禁じれている。「おしいな、おしいな」と振り返った時、隊長機が急上昇したので僕も慌てて急上昇した。隊長機は前上方から戻って来る敵機に前下方から一撃くらわして、その敵機を撃墜された。見事な腕前だった。
しばらく経って今度は僕の長機波佐間曹長機に、前上方から急降下しながら攻撃して来るP38を見た。僕はこの時とばかり機首をP38に向け、一撃くらわした。上昇せず降下して逃げようとする敵機の後を追いかけ、また一撃くらわしたが。しかし、深追いは厳禁とばかり機首を返して編隊の後を追ったが、遙か離れてしまい帰路を急いだ。
思わぬ戦果を上げたが、帰投してウエワクの飛行場が爆撃を受けていたら着陸できないだろうと心配や不安もあったが、帰ってみると被害はなく安全に着陸できてほっとした。今まで何度も飛行場を爆撃されたが、滑走路にまともに落ちて大きな穴が空いた事は一度もなかった。ただ一発だけ滑走路の入口の横に落ちて直径10m位、深さ3m位の穴が空いていた。敵の200kg爆弾の穴だった。5,000〜6,000mの上空から飛行場の軸線に真っ直ぐに入って来る事が困難のようだし、風によっても弾がそれる。また投下時機に関係するので手前に落ちたり行き過ぎて落ちたり、余程の訓練が要求されるようだ。僕が負傷してウエワクを去る日まではB29による爆撃は10数回受けたが、滑走路に落ちて大きな穴が空いた事は一度もなく、いかに爆撃が難しいかが想像されるのである。
帰還後、隊長が「一機撃墜したが、もう一機の火災を起こして落ちたP38は、誰が落としたのか?」と詮索された時、僕は撃墜したのか不確認に終わったので「不明」と言った。しかし隊長の僚機だった高橋少尉が落とした事になっていた。
後に、僕が負傷してマニラの病院に入院中に、高橋少尉が見舞いに来られた。「あの時、撃墜した一機はお前が落としたP38だったんだよ、俺が撃ったのは自信がなかったが、あの時の経緯で俺が落とした事になっていたのだ」と煮え切らない告白だった。「はぁ、そうだったのですか」僕の気持ちは嬉しさと悔しさの混じった複雑なままで一件落着した。




