第三章・出陣 〜ニューギニア戦線と戦闘の日々〜(10)哀れな僚機操縦士
マニラでは毎日、滞空時間1時間以上の周到なる試験飛行を実施した。長時間飛行で生ずる故障に備えての試みであった。整備ができた機から順次出発する事になった。マニラに来て15日余り経っている。ウエワクでは僕等の帰隊をどんなに待ち焦がれている事だろう。先発6機が出発となった。僕は垂井少尉の僚機として四番機で出発。タバオ飛行場で燃料補給し、メナド飛行場へ向かった。
メナド飛行場に接近しているが、まだ雲間には見えない。高度2,000m位に下がった時、僕の機のエンジンが止まった。プロペラが空回転している。飛行場が近くに見えるなら、滑空で不時着できるのだが視野に入らない。断念したところで東海岸の白浜が見えた。そこを不時着地点と決めて降下姿勢を取ったが「もしかしたら燃料切れかも」と思い、まだ高度が充分あるので、胴体タンクに切替え燃料ポンプを手動で加圧した。飛行時間から考えれば翼内ガソリンは充分残っている筈だが。10回余り突いたらブルブルとエンジンがかかりプロペラが回転したので、ほっと胸を撫で下ろしメナド飛行場へ機首を向け降下した。飛行場はすぐ近くにあった。やれやれと安心して着陸したが、他の飛行機はすでに降りていて、僕の機影が消えたのを心配していたと語ってくれた。
水戸飛行学校時代、燃料切れで不時着した時は高度が200m位しかなく、燃料コックを切替える余裕もなく不如意な自分だったが、今回は高度は充分あるし、その時の経験が生かされ事無きを得た。それにしても飛燕機の原因不明の故障は数多く、今回は気化器の針弁の癒着と思われるので、取り外して念入りに磨き整備した。
メナド飛行場は、海軍の落下傘部隊が降下していち早く占領した所だと聞いていたが、それを証明するかの如く、あちこちに墓標が建てられていた。その一つに『○○海軍兵曹長戦死の地』と標され、激戦の跡が偲ばれた。
一泊するための宿舎は民家だったが裕福な豪邸で、給与(食事)も目を見張るご馳走だった。また黄色く熟した大きなバナナの美味を、いまだに忘れる事ができない。ここには馬車に揺られ10分ばかり離れた所に温泉風呂があり、日本にいるような気分を満喫した。
翌日、ニューギニアのバボ飛行場に向かって飛び立った。ニューギニアの果てしなく千古を誇る密林地帯の上を飛びバボ飛行場に着陸した。燃料補給の休憩もほどほどに、ホランジア飛行場へ向け飛び立った。
ここは滑走路がなく草原の飛行場だった。整備兵が小さな青いバナナを出してくれたが、とてもおいしかった。ウエワク東飛行場に着く時間がちょうど薄暮(黄昏時)になるように、2時間余り休息してここの出発を加減した。それは明るい内にウエワクに着くと、敵機から発見されるのを考慮されての事だった。50分位の飛行時間である。そのためウエワク飛行場では夕暗みの訪れと共に燈火が置かれ、着陸には不安があったが無事着陸できたのでほっとした。
マニラから2日目にして、また生臭い戦場に身を置いた事実がひしひしと感じられた。迎え入れた戦友達は飛行機の増援に喜び合っていた。宿舎は海岸線から山に入った中腹の密林地帯の中に変わっていた。次回の攻撃を恐れての事だった。この前の空襲で海岸線の宿舎は機銃掃射を受け、天幕に穴が空き雨洩りで困った事を思い出した。しかし飛行場から30分も夜道を登らなければならず、毎日しんどい思いをした。
飛行機の補充と共に敵地への進行作戦も開始された。
出撃者の氏名、目的、出発時間等、編隊の構成が通達された。僕は波佐間曹長の僚機で出発した。2、3日前から下痢をしていた。「大丈夫かなー」と思ったが、下痢しているからと出撃を断るのはまずい。「まあ、どうにかなるさ」しかし、出発の時刻が近まってまた便通を催した。急いで近くで用を足し機上の人となった。
ラエ飛行場への戦爆連合の攻撃である。僚機についているので長機の行動で二転三転する内、前を行く波佐間曹長の後ろに敵のP38が上から降りて来てピタリとくっついた。僕の前方である。すぐさま機銃を2、30発放った。すると敵機も急反転して降下して行った。ふと、曹長機を見ると左翼から白い煙が出ている。燃料タンクをやられているらしい。急いで側に近づき、指を差し知らせた。曹長は大きく頷いたが、火災を起こさないかと心配した。僕は、後ろからの敵機の攻撃を警戒しながら帰途に着いた。
曹長機はアレキレスの飛行場に燃料補給のため着陸したので、僕も後を追い着陸した。曹長は飛行場の端に機を止めたので、僕もその側に寄ろうとしたが、整備兵が誘導路に招き入れ掩体壕に入ってしまった。曹長と100m余り離れてしまった。飛行機から降りたら再び便通を催したが、整備兵達が物珍しく見ているので草むらに飛び込む事もできず、堪えながら曹長の所まで辛抱した。その格好たるや戦闘操縦士とは思われない哀れな姿、歩き方だったろう。曹長に報告が終わり、側の草むらに駆け込み我に返った。
応急の修理と燃料補給をし、2機共無事ウエワクの飛行場へ帰り着いた。僚機としての僕の任務も達せられたのだった。