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第三章・出陣 〜ニューギニア戦線と戦闘の日々〜(8)島中尉と戦友の死

 いよいよ退院の日が来た。入院して35日目である。おにぎりの弁当にコンビーフの缶詰1個を貰い、看護婦達に深く頭を下げてラバウル行きの貨物車に便乗した。

 ラバウルに着いて西飛行場行きの車を拾うべく歩いたところ、燃料タンク車が通りかかったので、止めて便乗を乞うたら許されタンク車の縁に掴まった。西飛行場の横に海軍の兵站基地があり、そこへ帰るタンク車だった。飛行場へ通ずる道の両側は海軍農園と呼ばれキュウリ、ナス、カボチャ等が栽培されており内地の様相を呈していた。


 竹内隊長に退院の申告をして戦友にも迷惑を謝った。早く操縦感覚を取り戻すためピスト(訓練中の控所)に入った。もう40数日搭乗してない。早く乗りたい。その気持ちを察したかのように、すぐ離着陸の許可が出て、3回程離着陸を繰り返したところで感覚が蘇った。


 夕方遅くなると螢が光った。南方の螢は一匹ずつ飛ばない。集団で固まり、いっぺんに光る。バラバラに光らない。その光景は珍しかった。


 飛行場の横の空地には前住兵が植えたサツマイモが繁っていた。掘ってみると、かなりの芋がついていた。また、飛行場の端から坂を下りると深い谷間があり、そこに大きなタラ芋が群生していた。葉の高さ2mもあろう。その小芋も飯盆位の大きさで、二人でやっと引き抜く始末である。この芋を小さく割って石油の空き缶で煮た。味付けに塩を入れたり、キャンデーを入れたりして食べたが、とても美味だった。ちょうど内地でのシロド芋(?)のようで、白くて固くて味がとても良かった。


 この西飛行場からは海軍の一式陸上攻撃機が、ガタルカナルへの爆撃に出撃していた。一式陸攻は俗に『萬年筆』の渾名があり、前部と後部の大きさが余り変わらないところから、そういう渾名を貰ったらしい。それに敵の攻撃を受けると、すぐ火災になるという欠点があった。航続距離を長くするため、燃料タンクを多く搭載する設計になされていたからだ。 

 連合艦隊司令長官山本五十六大将が前線視察の際、搭乗した機もこの萬年筆の一式陸上攻撃機だったとか。もちろんこの時は暗号が解読され、敵機が30数機で待ち伏せていたのに対し、味方は僅か6機だったとか。これは、山本元師が自ら護衛機を断っての決行だった。余りにも大きな出来事であり、この痛手は深刻であった。司令長官を失った日本海軍は先のミッドウェイ攻撃の失敗と合わせ敗戦へと急に傾く状態となった。ミッドウェイの時も、今回の悲劇も暗号が解読され筒抜けだったと聞いた。大本営作戦のおごりか、油断としか考えられない失敗であったと思う。


 昭和18年6月末から7月にかけ、陸軍部隊はニューギニア作戦へと転進する事になり、僕等の飛行第六十八戦隊も故障機を残し移動を開始した。まだトラック島には残存機があり、僕等の中隊にも島中尉と大西伍長が残っていたが不幸な事故が伝わった。

 着陸した島中尉の滑走がまだ止まらないところに大西伍長が着陸し、島中尉は無惨にも即死となったとの報告があった。もちろん、大西伍長が間隔を誤り早く着陸したための事故だったと思われるが、大西伍長の責任衝動での自殺がひどく心配され気遣われたと後で聞いたが、無事立ち直った事は嬉しかった。島中尉も士官学校出身で僕等より一期(半年)古い現役バリバリの、てきぱきとした士官であった事が印象に残っている。誠に優秀なる戦力を一人失った第二中隊の痛手は大きかった。

 ニューギニアウエワク東飛行場への転進では、僕と柴軍曹は九七式軽爆機の後方座席に同乗して行く事になった。飛燕機の数にもよるが、竹内隊長の判断でもあったようだ。少々引け目を感じたのは、同期生の友井曹長と半田軍曹は根っからの六十八戦付だったからか。飛燕機にてウエワクへ飛んだまでは良かったが、友井曹長は岬の先に不時着。半田軍曹は飛行場の手前で着陸に失敗して殉職した事をウエワクに到着してから知った。同期の戦友を二人も失った事は本当に痛ましかった。

 ちなみにウエワクの飛行場は、巾60mの長さ1,200mの砂地の飛行場で、一方は椰子林であり、一方はむき出しの椰子の根がゴロゴロ転がった湿地帯であった。そして両側には整備中または待機中の機が機首を連ね、各中隊毎にピストの天幕は操縦士達の控えの場となっていた。正味50m巾しか利用されない飛行場での離着陸は命がけであった。

 500m位離れた海岸の松林に宿舎用の天幕(宿泊用のテント)が張られ6人ずつが寝泊まりをしていたが、食事は当番兵が運んでくれて助かった。乾燥肉や乾燥野菜の煮付けが多かった。

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