第三章・出陣 〜ニューギニア戦線と戦闘の日々〜(6)不死身の少尉殿
大半の飛行機はラバウル西飛行場に転進したものの、整備兵の一部だけ輸送機で運んだだけで多くはトラック島に残っている。その整備兵を海軍の駆船艇が運んだのは良かったが、2日、3日経っても到着しないので心配された。案の上、途中で敵の潜水艦の攻撃を受け、全員が重油の浮く海上に投げ出された。何名か戦死したが多くは海軍に救助されて、10日余り遅れてラバウルの西飛行場に姿を現わした。顔は原住民のように黒く目だけが光っていて、名前の識別すら困難な様相を呈している。服は重油で黒く染まり、洗濯するにも海水で洗うばかりなので、油が落ちる筈もない。ひどい状態で帰って来たが、数名の犠牲者だけだったのが何よりの幸いであった。
整備が完了するに伴い戦爆連合の進行作戦に、僕等の戦隊からも十数機が上空援護で出撃した。ニューギニア東部の敵飛行場建設地を爆撃するためである。初陣であるが戦隊としての敵機撃墜の戦果は見られなかった。一方、海軍はガダルカナル方面への進行作戦で、多くの戦果を上げたニュースが伝えられた。
僕等は専ら索敵訓練飛行に明け暮れた。飛行機は緑色の模様で擬装しているので、密林地帯の上を飛んでいると判別がつかない。例えば、上空3,000mから1,000m下の敵機を捜すのは困難で、その認識のための訓練である。
戦況の変化に伴い海軍はガダルカナル方面への作戦、陸軍はニューギニア方面への作戦へと転進がなされていた頃、僕等の戦隊はラバウルに前進したのだった。その前に陸軍部隊を乗せた15、6隻の輸送船団がニューギニア東岸近くで敵機の餌食になり、8割位沈没し多くの兵士が戦死したという苦い経験があったと聞いた。そのため僕等の戦隊に【艦隊護衛の哨戒飛行】の命が発せられた。2時間交代で各中隊から全機出動した。
いよいよ出発、竹内隊長が先頭で後続機の動きを待っていた。僕も機上で窺っていた。僕の長機は垂井少尉である。しかし、どうしても長機のエンジンがかからない。整備班長も必死で、整備兵は汗だくで手動カンセイ機を回しているが、10回、15回してもかからない。すると、竹内隊長の伝令が僕の所に来た。【原口軍曹は垂井少尉と機体を入れ替わり、エンジンが始動したら後から追随して来い】との命令。僕は仕方がなく下りて「すまんなー」と言う垂井少尉と入れ替わり、中隊は爆音と共に離陸し北の空へと消えて行った。残された僕は「早くエンジンがかからないかなー」と心焦りながら待つ事5分、10分。とうとうエンジンはかからなかった。【出発は見合わせよ】との整備班長の指示が出て、がっかりした。しかし、遅れて出発して果たして中隊の編隊を捜し得るだろうかの心配もあり、内心はほっとした。
後刻、中隊機は任務の飛行時間を終えて帰って来た。全機着離したと思ったが、一機足りない。僕と交代して行った垂井少尉が未帰還であった。
顔がこわばっている竹内大尉から事情が報告された。垂井少尉はエンジンの故障で海中に不時着したとの事。その事を護衛の駆逐艦に知らせるため、自分が持っている筆記板に“救助頼む”と書いて、自らの航空靴の片方に入れ、駆逐艦の甲板に落としたが確認はできなかった。引き返し垂井少尉の浮いている場所を知らせるため上空を二度、三度旋回したが、護衛艦の反応はなく諦めて帰路に着いたとの事。無念やるかたなしの表情だった。
ところが、3日余りして垂井少尉は怪我一つなくケロリとして帰隊された。労をねぎらい僕の機に乗り替え出発された上の事故なので、僕も自責の念に駆られ、「すみませんでした」と声をかけた。「やあ、原口。お前は符(運)が良かったよ。お前だったらお陀仏だったよ。着水したのが駆逐艦の左前方だったが、艦は知らん顔して全速力で通過して遠くに見えなくなった。もう助かる術もなくカボック(救命胴着)で浮いている体を波に任せて天空を眺めた。俺の人生もこれまでかと諦めてから、3時間も経った頃だった。駆逐艦の巨体が僕の横にいた。ボートが降ろされたが、疲労困憊で声も出ず体も動かなかった」生還の喜びをこのように語られ、明野飛行学校時代の教官の優しい眼差しに返っておられた。
その後の救助経過を僕なりに推察してみた。駆逐艦には対空巡視員が四方八方を厳重に監視しているので、事故機の海中不時着は見逃す筈がない。しかし、護衛艦の任務を離れて救助する訳にはいかない。ただちに指揮艦に報告を無電で知らせる事で、初めて指揮艦から隊列を離れ、救助する許可が得られた事だろう。輸送船団を空から護衛してくれていた飛燕機の搭乗員を見殺しにする事は、海軍の恥と心も勇んだであろう。駆逐艦は大きく旋回し引き返したものの、すでに数時間も経っているので発見は容易でない。海上の波間に見え隠れする一点を求めて、近寄る事も至難な技だったろう。やっとボートが降ろされて収容後、艦内に横たわった垂井少尉も感無量だった事だろう。戦闘操縦士1名を救った海軍の友情に感謝の意を捧げたい。