第三章・出陣 〜ニューギニア戦線と戦闘の日々〜(3)南国生活
夜明けと共にトラック諸島の緑色の島影が見え、まるで昨夜の悪夢もなかったかのように艦体は静かに滑って行った。椰子の林が見え、やっと南国に足を踏み入れる事になった。
トラック諸島の中で一番大きな島『春島』に上陸するのである。しかし接岸できず100m余り沖に錨を降ろしている。戦争をしてはいるものの、港湾設備まで手が回らないらしい。飛行機を直接クレーンで吊り降ろす訳にはいかない。一旦、ダイハツ製の筏に降ろし機械で陸岸まで引っ張り、後は人海戦術で引き揚げるのである。3日間はかかっただろう。陸地に上がった機は30人余りが手押しで滑走路まで転がして行くのである。灼熱の太陽のもと、玉の如く流れる汗が額を走る。
内地を出る時は明野は五分咲きの桜。気温も最適の状態だったのが、僅か10日余りの経過で灼熱地獄さながらの地へ。しかし皆、黙々と機体にしがみついて、200m余りの手押しに汗を流した。
滑走路は巾90m、長さ1,200m、海岸線まで50m余り、工事用のトロッコの線路が滑走路と平行に走っている。南の端は100m足らずで海に至る。北の端は2、300mあるが、ここは整地されていない。右側には300m位の山があるが、半分は飛行場作りに削り取られ、手前は広い空地に整地してある。飛行機が2、300機は収容できそうだ。
そこに平屋の兵舎が十数棟建っていて、僕等の宿舎もその一棟にあった。水がないため雨水を受樋でタンクに溜め、それに蛇口をつけ普段の手洗水として使った。飲料水はそれを煮沸して、生水は絶対に飲まないよう注意されていた。
便所は50m離れた海岸線に突出して作られている。狭い梯板を渡し、海上に柱を立て屋根を葺き、一ヶ所ずつ区画を作りアンペラ(ムシロ)の扉がついている。海の中に垂れ流しである。綺麗な模様の熱帯魚が泳いでいる。ウンチをつついている魚もいて、誠に滑稽な風景である。
環境の変化で下痢が始まった。1日3回から4回、5回と、ついに6回も便所の世話になった。
この飛行場作りに、小月刑務所の囚人が強制労働させられているとの事。北側300m位離れた所に宿舎があり、周りは鉄條網で囲まれ、囚人が2、300人隔離されていたようだった。囚人達との接触は厳禁とされていたが、要領のいい囚人は巧みにその目を潜り、煙草と交換に春画のハンカチとか、椰子の実で作った煙草入れ等をこっそり見せてねだっていた。