第三章・出陣 〜ニューギニア戦線と戦闘の日々〜(2)艦内生活
僕等の母艦の前には改装されたピカピカの巡洋艦が先導しており、後方にはもう1隻の母艦、その後には、また巡洋艦が続いた。左右には小柄な駆逐艦が2隻、計4隻で護衛している。誠に頼もしく安堵感が得られ、それだけ僕等の戦隊の重要性が認められていたのだった。昼間は敵潜水艦の目を眩ますため、5分毎に進路を45度変更して蛇行、ときどき黄色の電光で信号を交わしている。夜になると、また進路を南に向け一直線に航行しているとの事だった。
大きな波のうねりに僕等は皆、船酔いに倒れてしまった。食事が入らない。1日目はまるきり喉を通らない。2日、3日経っても船酔いは僕等を苦しめた。僕等の半数以上がまるで役に立たない。海軍の兵隊が羨ましい。
7日目にしてやっと元に戻り、食事がおいしくなった。ペロリと一人前が喉を通り、船酔いの兵の残り飯はないかと見回すが、もう誰もが元気になり残飯をする者はなし。今まで食わなかった分が恨めしい。腹が空くばかり。上甲板に上がると、飛燕機が所狭しと繋留されている。前後に車輪止を咬ませ紐で4ヶ所縛りつけ、潮風を防ぐため機体には厚い帆布をすっぽり被せられている。
上甲板の隅で少しばかりの体操が日課となっていた。艦は前後左右に大きく揺れ、大波の凄さが感じられた。
毎朝、甲板で洗面器に1リットル余りの水が支給される。それで顔を洗う。まごまごしていると大目玉をくらう。それはそれは忙しい。3日に1回位、入浴があった。最初は潮水の風呂に入り、体を洗ってから真水の湯を洗面器1杯で湯上がりをする。それだけの制限水である。艦内の水の大切さ貴重さが分かった。海水の風呂は目がチカチカして、とても長い時間入っていられなかった。
横須賀港を出港して8日目の夜、消灯合図のベルと共にハンモックに入った直後、異状な爆音を聴いた。と同時に艦内に緊急ベルが慌ただしく鳴り響き、海軍兵はざわめき狭い梯子を上甲板へと上がって行く。僕はポカンと何する術もなく、成り行きを静観するばかり。爆音2回、敵の潜水艦の魚雷攻撃を受けたが、艦船には命中しなかったと報告され、ひと安心したものだ。トラック島に入港する前夜の出来事だった。港の入口に待ち伏せていた潜水艦の餌食にならなかった事は幸運だった。
長い航海の中にふと次の二句ができた。
“船倉にコオロギ鳴きて土恋し”
“船窓にトビウオの行方を追いて海狭し”
前句は長い航海に飽きて早く上陸したい気持ちを、コオロギに例えた。土が恋しいのでないか、油臭い船倉の片隅で鳴いている哀れなコオロギ君よ、元気でおれよ。
後の句は僕等の船室に丸い窓が一つあり、吃水線すれすれにトビウオが飛んでいるのが、ときたま見える。窓が狭くて行方を追う事ができない様を、海の狭さにかけた句である。