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第二章・開戦 〜猛訓練と三式戦闘機 飛燕〜(7)明野陸軍飛行学校

 昭和17年12月16日、僕等は待ちに待った戦闘機操縦士を養成する明野陸軍飛行学校附を命ぜられた。稲見、柴と僕の3名が南方要員として、訓練を受ける事になった。もう一人の戦友、萩尾軍曹は居残り組となり、別れは辛かった。萩尾軍曹は小柄な体格だったが、転科組なので銃剣術が得意だった。部隊中での試合で優勝した腕の持ち主。帰郷した折、二日市の彼の実家に一泊し朝早く帰隊した事があった。精悍ですばしっこい戦友だったが、後日、厚木飛行場で翼が松の木に引っかかり墜落、殉職した事を聞いた。悲しい運命の歯車に涙した。


 南方要員として集合した戦闘操縦士は准尉以下軍曹まで。僕は軍曹で一番若かった。35名程で、教官はノモハンの猛者、立野中尉、細野、垂井少尉。校長は寺西中佐、ノモハンの負傷で顔面神経痛とかでいつも笑っているようだったが、尊厳そのものであった。

 さすが全国一の学校だけあって、隼機がずらりと並んでいた。早くも未収教育から始まり、とんとん拍子で実習課目が始まった。戦地の要望に応えるため、戦闘操縦士養成は急務だった。射撃訓練が1週間続けば、次週は戦闘訓練。編隊飛行から戦闘体形、息つく暇もない猛訓練。僕等にとってはこの上ない好機。毎日が実戦さながら。また、要員として集まった准尉以下もきびきびした動作で応え、僕等を奮い立たせてくれた。

 ここの給与(食事)は最高だった。隣室の食堂に地方からの娘達が給仕について、食事の世話から後片付けまで、みんなやってくれた。朝は玉子がつき、加味品として下給される物も多かった。どうせ戦地送りだから「存分賄ってやれ」という状況だった。


 この学校での指導方針が戦闘機の戦果にも影響するという事で、ノモハンの後半の戦闘不利を決定づけたというロッテ戦法が論ぜられ、戦闘においては僚機は長機の後方警戒を主とし、長機の攻撃を容易ならしめるための後楯となる事が原則づけられた。

 僚機に言わせると「長機の弾避けになれ」という事だ。長機が敵機を落とせば編隊の功績として取り上げられるという事になっており、実際、僕の場合は中隊長あるいは他の編隊長の僚機として戦闘した。しかし10数機の隊長の撃墜にもかかわらず、僕の功績は不問に終わり終戦までなかった。

 終戦直前、部隊の人事係から「原口、お前の金鵄の申請をしていたところだ」と言われたが、「勲章どころか、終戦になったじゃないか。早く帰った方がいい」という気持ちだった。今にして思えば、後2、3ヵ月終戦が遅れたら、申請通り功何級かを貰い、今の軍人恩給の倍位は頂けただろうと夢を見る。

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