第二章・開戦 〜猛訓練と三式戦闘機 飛燕〜(6)週番下士官
嬉しい山の幸にも巡り合った。爆撃場で不時着した機体を探し回った折り、山栗が実をほころばしていたのを見た。数日後、戦友と2人で飯盆を持って栗拾いに出かけた。内務班に帰ってからストーブで茹でて、田舎の味を満喫した。
水戸飛行学校の開校記念日が開かれたが観覧者はまばらで、滑走路には九八式軽爆、九七式軽爆、九九式攻撃機、九七式戦闘機、直接協力機等が並んでいた。そんな中に、真新しい隼機(一式戦闘機)の姿があった。初めて見る最新鋭戦闘機は引込脚の洗練された容姿、これを操縦できるのかと心躍った。すでに南方では実戦に使用し活躍していたが、戦地送りが間に合わないとか。僕等の部隊にも、やっと一機お恵みをいただいた訳だった。
その一機を白川中尉(僕の部隊から唯一、兵からの成り上がりの中尉)が操縦して皆に披露されたまでは良かったが、余りにも超低空飛行をしたため、プロペラが地面を擦り大事故に成りかねない結果となり冷汗をかいたが、プロペラの先が10cm余り曲がっただけで事なきを得た。しかし僕等戦闘操縦士には、その隼機の未収教育は実施されず残念でならなかった。
僕が週番下士官(1週間の勤務)に就いた時、ちょうど新兵の教育も終了し各部隊に配属され、三々五々学校を去って行った。しかし次の学生が三々五々入校して来た。週番下士官は食事伝票を書いて、一食前にその数字を炊事班長に報告せねばならない。昼食後出発したかと思うと、午後数名入校してくる。伝票の書き替え、訂正と何度炊事場に走った事か。炊事場には古参の班長(曹長)が指揮采配をしている。数字の訂正に対し小言を言うが、こっちは仕方がない。運の悪い時は仕方がないものだ。
隣の部隊に腸チフスが出た。隔離され網で囲まれたまでは良かったが、その部隊の食事の運搬が僕の部隊に回ってきた。僕は入って来た学生を使役に駆り出してその運搬をせねばならず、炊事場から飯バッグや食器を網で囲ってある所まで運び、済んだらそれをまた使役を使って炊事場に返す勤務のしんどさ。入校して来た学生を週番司令に報告し、隊長に申告させねばならず多忙を極めた。使役を使うにも新しく入校した学生は動かず、「俺は使役に来たんじゃないぞ」とばかりに大きな顔をしている。
司令教官に依頼し、いずれ学生長にもなるであろう曹長達を説得して貰ったので、何とか順調に行くようになったが、僕は彼等とは教育上では顔を合わせる事はなかった。なぜか僕は戦友三人と明野飛行学校に転属したのだった。