第二章・開戦 〜猛訓練と三式戦闘機 飛燕〜(5)思いがけない出来事
日本を襲ったB29爆撃機一機には12人の射撃手(戦技士)が搭乗している。編隊を組んで三機、六機と固まると、その威力は四倍、五倍となり、四門の機銃で対抗する戦闘機は犠牲とならざるを得ない。
爆撃機に対する攻撃の難しさが知らされる。いろいろ研究され、死角攻撃が最も効果があるという事。すなわち死角といえばその飛行機の真上、真下または銃の向けられない角度等、一機だけなら死角も通用する。だが編隊を組んでいる場合は、他の機がその死角を援護するので死角はないのと同じである。
戦闘機の攻撃も真上から垂直に降下するのは、相手も進行しているので照準を合わせる事が、なかなか難しかった。一回降下したら二回とは攻撃できない。下降して元に戻る高度に達する頃には、敵機は遠方に影を消してしまっている。
あまり専門的になるので一旦筆を変えよう。
ある日、会寧から同行した藤原曹長が面会に来てくれた。酒保(兵舎内の売店)で大福餅を頬張り、それぞれの訓練の成果を語り合った。彼は軽爆撃機の操縦士になっていた。僕は次のような事故の話をした。
水戸飛行学校で僕は衝撃的な事故を経験した。九八式軽爆機の後方座席に学生2人を乗せて出発した。その朝、兵隊が少ないため民間人の工員が整備を担当していた。当然、燃料補給は最大の点検事項であり、エンジンの調子等、工員の任務である。僕は搭乗してまず燃料計を見た。計器の針が動かない。工員を呼び「燃料は入っているのか」と聞いたところ、「今朝、補給した」と言う。「計器が動かんじゃないか」「計器が壊れています」の問答をし、今度は滑油計の針が急激に振れているので、また呼んだが、これも「計器の故障だ」と言う。「仕方がないな」と気になりながらも離陸し、所定の訓練を行いながらも滑油計の針が振れるのが気がかりだったが、「やれやれ針の故障だったのか」と思い飛行場近くまで帰って来た。
高度300mで海岸の突出部で第三旋回を始め、高度250mで旋回が終わる頃、突然エンジンが止まった。プロペラだけが空気の抵抗で回る。「はっ!?」飛行場まではこのままでは届かないと思い、右に機体を傾けたが海岸線が白い砂浜を見せている。そこに不時着しようかと思ったが、2、3日前、隊長の講義の訓告の中に【海岸線は柔らかいので不時着には適しない】と言われた事を思い出し、第四旋回地点に向かった。
高度はぐんぐん下がり第四旋回地点では180mとなった。「どうしようもない」飛行場へ向け、松の木のない草地を選び降ろして行った。本来この地点は、訓練用の爆撃地になっている。電柱あり、掩体監視壕あり、松の木もあり、でも場所を選ぶ余裕はなく機は着地に入った。伝声管で後部座席の学生達に「不時着するので、しっかり掴まっとけ!」と叫び、機は地面のすべてをなぎ倒しながら滑って行った。
「うまく接地したなあ」と感じた時、機はそのままの状態で変わっていない。電線が座席に絡まっている。後方の学生達に声をかけた。「大丈夫か?」「大丈夫です」の返事に安心して機外に出たところ、右翼が根元から切れてなく左翼はそのままだったが、そこから後方座席を見たら直角に折れている。ちょうど座席のほんの後ろが尾部との継ぎ目になっていた。そこからぽっきり折れて、座席だけが2人の学生を乗せたままになっていた。片方の学生が目の上を切って血を出している。すぐタオルで押さえ、二人して座席から外に出し左翼の下に寝かせた。大した怪我でもないので、元気な学生に飛行場へ連絡するよう命じた。学生はすぐ走った。
3、4分経った頃、学生は戻って来た。「助教殿、飛行場が見つかりません」「飛行場はこっちの方角だ、お前がここにいろ。俺が行く」僕は機首の向いている方へ急いだ。砂地なのでなかなか前へ進まない。行けども行けども飛行場は見えない。ついに小高い山に上がったが、松の木で飛行場は見えない。暫く落ち着いて空を見上げると、他の飛行機が高度を下げて着陸して行く。「飛行場は、あの方向なのか?」90度方向を間違えていたのだ。そうか着地して何かに翼を取られた時、機首は90度向きを変えていたのに気づかなかったのだ。思い直して、再びその方向へ走った。
飛行場の端に出た。大きく手を振ったら、ピスト(訓練中の控所)の整備兵が気づき始動車で迎えに来た。しかし僕は負傷兵が気がかりで、その車で負傷者のいる不時着地へ急いだ。爆撃場の中には少ししか道路がなく、ぐっと左回りに走っても探し得ないので、整備兵と鉄塔に登ったが松の木の陰で地点は見えない。
やっとあの辺だろうという事で歩き着いたら、海岸線の方から入った別隊がすでに来ていて、負傷兵は収容した後だった。安心してピストに帰り、隊長に報告して僕はようやく落着きを取り戻した。
このような事故の話を藤原曹長にしながら、僕は人の命とは紙一重のものだと深く実感していた。
その時の整備員は解雇になったと聞いた。おとなしいまだ若い21、2歳の地方からの雇兵だった。事故の原因は胴体タンクの燃料が空っぽだったとの事。その朝、補給をしてなかったとの事。翼内にも燃料は入っているので、その整備員の判断で胴体タンクがなくなったら、翼内タンクも使えばいいとの考えらしかったが、原則として燃料は毎朝、満タンにする事になっていた。 また、胴体タンクから翼内タンクに切り替えるべきだったが、高度が余りにも低く200m以下では切り替える余裕はなかった。切り替わるという事すら考えなかった。朝、第1回目の飛行だから、20分やそこらで燃料が空になる筈もなかった。飛行中、滑油計が異状に振動するのが気になっていたので、滑油系統の故障を起こしてエンジン停止したものと、にわかな自己判断をしていた。
後日、中隊長より戒告を受けたが、整備不良が起因の事故のため処罰はなかった。それより命に別状のなかった事を喜んでいただき、学生の負傷もたいした事なく、ほっと胸を撫で下ろした。