第二章・開戦 〜猛訓練と三式戦闘機 飛燕〜(3)一年下の上官
ある日の夕方、宿舎にある風呂の湯漕に浸かっていたところ、一人の兵が入って来た。一目見た瞬間、見覚えのある顔だった。「ああ、そうか」思い出した。僕が明善校にいた頃、陸上競技部で共に長距離を走っていた時のAという一年下の後輩だった。相手の階級は裸のため不明だが、敬語を使って聞いてみた。
「ああ、そうだよ。お前は?」「僕は競技部で一緒に走っていた原口です」「おお、そうじゃったのう」「で、Aさんはどうしてここにおられるのですか?」「俺は少年飛行兵を志願して操縦に入り、ノモハン事件で負傷して原隊のここに来ているんだ」という事で話に花が咲き、「今夜、部屋に来いよ」との言葉を貰った。
その夜、彼の下士官室を訪れた。彼は曹長の階級だった。僕より二年位早く少年飛行兵として操縦に専念し、あのノモハン事件に出征し3機を落とし金鵄勲章の六級を見せて誇らしげだった。大腿部を負傷して今は助教である事を話してくれた。学校当時も横柄な口調で、態度にも表れていたが、今、対面してもその横柄さは変わらなかった。しかし操縦においても、階級においても相手は上官である。僕は立場上、敬語を使うが相手は明善校での一級下の事にはお構いなし、上級者の立場を崩さない。金鵄を貰った事の自慢話にうんざりして、そこそこに部屋を出た。「もう二度と訪問なんかしないぞ」と誓ったが、運命の絆は続いていた。
僕が戦地から帰り、京城の第二練成教育隊に配属になり、半年ばかりして彼が僕の隊に転入して来た。運命のいたずらか、表面はいざ知らず嫌忌の心は変わらなかった。終戦になり久留米駅で別れたのが最後、一度も音信はなかった。また、しなかった。
事務室にタチの悪い准尉がいた。学生に送られて来る慰問品を、何かと言いながらせびり上げる。一重瞼の、のっぺりとした顔つきだった。僕も家からの小包をせびられたが、それが何だったか今は記憶にない。お別れ慰労会で伸しかかろうと皆で話し合っていたが、それが通じたのかその准尉は出席しなかったのが少々残念であった。
昭和17年4月24日、教育も終了して全員の配属が決まった。隊長、教官の判断なのか、概して結果から判断すると成績優秀な3人を部隊に残し、次々学校ごとに配属したようだった。それからすると僕は水戸陸軍飛行学校附5人の1人だった。その他は内地、満州の実戦部隊に4、5名配属された。彼等とは二度と会えなくなる。実戦部隊に配属されたら実戦で腕も上がるので、僕はそちらの方が望ましかったが、上層部での配慮には口を出せなかった。