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第一章・入隊 〜軍隊生活と飛行兵志願〜(1)日本国三大義務と徴兵検査

 日本国民であれば三大義務が憲法で謳われていた。第一が納税の義務、第二が義務教育、第三が兵役の義務だ。前記二つはここでは触れない事にし、兵役の義務について述べる事にする。

 日本国男子は満20歳に達したら徴兵検査を受ける事になっていた。『甲乙丙丁』の種別に分けられ、甲種合格になった者から順次入隊し、二年の軍隊教育を受け一旦兵役から離れる。外国と戦争にでもなれば義勇奉公で戦地に赴き、国を守る任務が課せられるが、それで何事もなければ二年で除隊する。在郷軍人となり郷土にあって国の守りになるという制度になっていた。

 昭和13年8月、僕は20歳となった。当然の如く徴兵検査の通知が来た。小学校時代の男子友達五人揃って、黒木町の国民小学校で検査を受けた。僕を初め四人が甲種合格で、一人が乙種合格となった。その夜、鳥越の柴尾さん方の飲食店で祝杯を上げ、したたか酔いも回った。

 しばらくして役場より兵科の通知が来た。僕は飛行兵だった。「やった!」小躍りするほど嬉しかった。中学校時代の三年生と四年生の時、少年飛行兵の試験を久留米で受けた事がやっと実ったのかと、その時は取らぬ狸の皮算用だったが、やっと実現するのかと・・・。四年生で受験した時は、当日で合格の印が押され身元調査の結果、通知するという事だった。

 当時、僕が久留米市梅満町に下宿し自炊していた時、厳めしい軍服の憲兵が調査に来た。郷里の父母の様子とか兄弟の事等を聞かれ、追って通知すると別れたが大した事はなかった。その時は残念ながら不採用の紙切れを受け取った。 

 残念無念の思いが今度の徴兵検査で、やっと飛行兵の焼印が押されたのかと思うと、心躍るばかりだった。一つ違いの兄も一年前、飛行兵として台湾の屏東航空隊に入隊し、無線の技術を受けているらしかった。兄に続き僕も大空の夢を追った。

 ほどなく役場から【昭和14年1月10日、朝鮮平壌第二航空教育隊に入隊せよ】の通知があり、そのため【1月7日零時までに、下関波止場に集合せよ】との事であった。

 ところで20歳になった男子を『壮丁』と呼んでいた。何で『壮丁』と呼んだのかは知らない。成人式の『成人』と同じ意味かも知れないが、ちょっとイメージが違うようだ。

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