第一章・入隊 〜軍隊生活と飛行兵志願〜(13)衛兵勤務
次は衛兵勤務について述べたい。どこの部隊も主に外敵の侵入を防ぐため24時間、衛兵によって警戒されている。僕等の部隊もその例外ではなかった。営門を入ると右側に衛舎があった。6、7坪位の建物である。前の椅子に6、7人の衛兵が姿勢を正して腰を下ろし、会話も禁物で衛門を出入りする者を注意して見守っている。奥の机の前に衛兵司令(大抵は軍曹)が目を光らせている。上官(主に将校)が通ると「気をつけ!」を発し、兵は座したまま、司令1人が立って敬礼をする。朝夕は将校の出入りが多いので、欠礼のないよう気配りがいる。もちろん営門の立哨が「上官!」と言って衛兵所に報じ、合図をすると一番前に腰掛けている兵が伝唱するので、欠礼はほとんどない。
僕の部隊には3ヶ所の立哨地があった。一つは衛門で、ここの立哨はいつも余り動かず、立ち番で上官の出入りに敬礼する。他には弾薬庫と野外燃料集積所(ドラム缶の山積)の警戒があり、ここは『動哨』といっていつも周囲を歩き回っている。交代は1時間毎で、時間が来ると衛兵上等兵が3人の交代要員を引率して歩哨地を回り順次交代し、3人を連れて衛兵所に帰って来る。 夜間になると仮眠が許され、10時過ぎから裏の控所で靴のまま寝転び、1時間の仮眠をむさぼるのだが、なかなか寝つかれないでウトウトしているともう起こされ、次に立哨するまでの1時間は衛兵所内で待機する事になる。夜はいつもぜんざいのおやつにあずかる。とてもありがたいおやつである。
控所の裏側に営倉がある。隊で重大な犯罪をした者の重営倉となっていて中に犯罰者がいれば、その監視と食事の世話もせねばならない。
僕が野外燃料集積所に動哨として勤務している時、眠くて困りドラム缶の陰で立ちながら眼を閉じていた。月夜だった。暫くすると靴音と帯剣の音が聴こえて来た。ハッと目が覚めた。50m先方から週番司官が1人こちらにやって来る。「動哨!動哨!」と早くから叫んでいた。本来は飛んで行き「動哨異常なし…」と報告するのが建前だが、その機を逸した。側まで来るのを待って10m位になった時、銃剣を突きつけた。「誰か!」と鈍い声を上げたら週番司令はびっくりして立ち止まり、「おいおい、脅かすなよ」の言葉を残して引き返したので、ほっと胸を撫で下ろした。もしも巡察に気づかなかったら大目玉のところだった。
飛行隊は歩兵に比べ銃剣術の訓練は時間が短い。朝の点呼が終わった後、初年兵は食事当番の他は銃剣術の訓練が日課だった。僕は好きでもあり得意としていた。幸い歩兵科から転科して来た藤原軍曹が僕を指名し、余計に15分余り稽古をつけてくれた。若干自信もついて有難かった。 訓練が終わって朝食にありつくのであるが、ご飯も味噌汁も冷め切っている。一袋の納豆を味噌汁に入れ掻き混ぜ、ご飯にかけて空腹を埋めたものだ。そうやって食べた納豆を思い出すが、今は余り好みでないのはそのためか。
ある日、被服庫を覗いたらスケート靴が目に止まった。貸出しが利くという事で、借りたのは良いがリンクがない。兵舎裏手の空き地に許可を受けてリンクを作る事にした。戦友3、4名と夕方より水道からホースを引き、10m×20mの大きさに水を流した。3日位してだんだん厚くなりリンクができた。
最初は立つのがやっとの状態だったが、転んでは起き上がりを何十回も繰り返す内に、どうにか1週間余りで転ばず一周できるようになった。何事もやればできるという貴重な体験をした。
昭和15年11月10日、待望の『伍長』に任命された。肩章の金條に星が1個つくだけだが、本当に肩を振って歩きたい程の重い階級だった。これまでは内務班で寝食を共にしていたが、今度は下士官室に入り当番兵が食事、洗濯までしてくれる。ただ、下士官室には班長も他の上級下士官もいるので、上官に対する遠慮で心安まらない。
伍長に進級して二度衛兵司令に任命されたが、立哨や動哨勤務がないので楽だった。僕は不寝番とか衛兵勤務が一番苦手だった。