第一章・入隊 〜軍隊生活と飛行兵志願〜(9)下士官候補
昭和14年9月1日、僕は陸軍一等兵になり肩の星が二つになった。そして12月1日、上等兵に進級。下士官候補者を志願したので、12月12日には教育のため満州国白城子の平安鎮に至った。部隊から13名の下士官候補を僕が引率して出発した。
途中の新京には片山幸太郎氏と結婚した姉が「乾写真館」にいた。あらかじめ手紙で連絡し、吉野町にある写真館を訪れ久し振りに顔を合わせる事となった。さっそく僕等13名は中華料理店へ案内され、初めての中華料理を味わった。最初は物足りなかったが、だんだん料理が増え最後には食べ切れないご馳走に皆、満腹になった。
夜の汽車で新京を発ち、翌昼には平安鎮に着いた。平屋造りの兵舎が十数棟並んでいたが、周りは平原ばかり。太陽は地平線から昇り地平線に沈み、遙か西方に公安嶺の峰々が起伏を見せるにとどめている。
下士官候補者教育といっても特別の教育はなかった。野外では銃剣術ぐらいなもの、兵舎内では学科の講義、典範令の復習、内務規定の繰り返し等々。僕は字が上手との事で内務規定のガリ版刷りを依頼され、原紙2、3枚切って本部で40枚余り刷るのが日課になった。40部刷り、綴じて本部に提出して一日が終わる。それが2週間も続いたのでうんざりした。
白城子駅の穀物集積場の警備に10名ずつ派遣されるのも日課だった。駅にある唐米袋に入った大豆と高梁の山積みの間を動き回り警備をする。先客の連中が故意に大豆の袋に穴を開け、飯盒にいっぱい詰め込み、知らん顔で内務班に持ち込んだ。ペチカの炊き口に飯盒の蓋をかけ、大豆を炒って食べる事を覚えた。このような事が何度かあったが、時には余りにも火が強すぎて飯盒の蓋が熔けて失敗した事もあったようだ。