はじめに
お断り■文中ではほとんど実名を記しております。ご本人、ご家族の方にはご迷惑がかかるかと思いましたが、真実を伝え戦争の愚かさを考え直すために、大半は敢えて原文のまま差別用語も含め記しております。ご理解の程よろしくお願い致します。また、原文は走り書きのため、文法的におかしな表現は訂正し、旧字、旧かな使い、方言についても書き換えて読みやすくしております。できる限り原文の表現を残すよう校正しましたが、行き届かぬ点や校正洩れにつきましては、何卒ご容赦ください。
●お知らせ
この「美しき翼~父の回想録~」は自費出版しております。ご希望の方には1,700円(送料込)でお分けいたしております。メッセージ欄にその旨をお知らせいただければ、折り返し連絡いたします。在庫僅少!
太平洋戦争が終わり戦後も還暦を過ぎ、この苦難の時代を生きた人々にとって、戦争とは何であったのか?今もなお、様々な問題を抱え苦しみ悩む人々を見る時、「責任」という重みを避けて通る事はできないように思う。
父は昭和も終わりかけの70歳になる前になって、ペンを握り自分の体験を綴り始めた。20歳で兵役に就き、七年の軍隊生活を経て復員した。田舎の生家で農業をしながら自分を見つめ直し、また戦争を問い直していたのだろうか?
私は子ども時代、よく父にせがんで戦闘の話をして貰っていた。自分から進んで語る事のなかった父だったが、決して不機嫌ではなかった。むしろ、畑の中で見る無口な父とは別人のような饒舌だった記憶さえある。子ども心に際どい罪作りな質問を、たくさんしたような気がする。父はその一つ一つの質問に対し、丁寧に身振り手振りを交えながら分かりやすく説明してくれていた。今は断片的にしか記憶にないが、唯一、撃ち落された飛行機の人がどうなったのか、気になって仕方がなかった。撃ち落とす場面を聞きながら、僕は興奮してしまった。父が誇らしかった。しかし、子ども心に「撃ち落とされて死んだ人がいる。その人は誰だろう?悪い事をした」と複雑な心境だった。
また、負傷した時の生々しい話と身体に残った傷跡を、風呂に入って触るのも楽しみの一つだった。肩に残った大豆ほどの黒い塊をさすりながら、「これは弾か?」と聞いた。そのたび父は、「弾はここを通って、ここを突き抜けて行ったのだ」と右足を見せてくれた。今もその傷跡を思い出すたび背筋が寒くなる。
その父も平成17年の夏、この世を去ってしまった。三冊のノートに綴られた回想録を父の願いとして、皆様に読んでいただきたく、ここに連載する事に致しました。
編者/M.H
●2009年10月22日よりSF映画シナリオ「クリムゾンX」を連載。
http://ncode.syosetu.com/n3801i/