7.邁進する準騎士
楽しんでいただけると嬉しいです。
次の段階へ進んだ僕は、様々な街へと旅に出ることになった。
まずは王都周辺の街を行き来して、それぞれの街の状況を把握することから。
その街の治安について、経済状況について、その地域を治める貴族の評判についてなどを様々な人から聞きこむのだ。
僕は成人したての頃に父に「現場を知ろ」と家を叩き出され、商会縁の末端商人に弟子入りしていた期間があったからか、それらの行動はそう難しいものでもなかった。
そのあとは一ヶ月かけて決められた地区をまわっての情報収集とその地区に駐在している騎士へ連絡書を届けるといったものだった。王都からそう離れていない地区だからあまりないけれども、野盗などの情報が入ったら見回りや討伐も行うとのこと。
「ただいまーっと」
旅を終えて寮に帰ると、けれどもそこは僕が出立した時となんら変わりはなかった。
レーヴィは副団長との面談の翌日、騎士団敷地内に建てられた貴族邸で住み込みの特訓が始まったのだけど、それっきり顔を見てはいなかった。
今回の旅の前に一度訪ねたのだけど残念なことに追い返されてしまった。
聞くところによるとほぼ軟禁状態で貴族としての教育を施されているらしく、今はまだ会わせられないとのこと。
生粋の貴族として生きるということは、平民、それも孤児であったレーヴィには容易なことではない。
「がんばれ、レーヴィ」
届かない声でそれでもそっとエールを送ると僕は旅行鞄を開けて荷物を整理し、鞄を陰干しした。
また数日後には出立だ。
話によると次は二ヶ月かけての旅になるらしい。
僕は明日提出の報告書を書き上げると、のんびりと食堂に向かった。
時間は昼をすっかり過ぎたティータイム時、ほとんど人のいないそこで遅い昼食をとる。
これくらいの時間になると街の料理店では一度店を閉めてしまうのだけど、見習い区域にあるこの食堂は様々な時間帯で食事を取りに来る騎士のために日中は常に開いていた。
「おや、ライノ君じゃないか」
半分ほどを食べたところで、同じように遅い昼食を取りに来た騎士に声をかけられた。
振り返ると、そこには懐かしい顔があった。
「アントンさん、お疲れ様です」
それは一時怪我で現場を離れ、教官役を務めていたことのある護衛部の古参騎士だった。
「同席しても?」
「もちろんです」
ニッコリと笑みを返すとアントンさんは向かいに腰を下ろした。
「どうだい、仕事には慣れてきたかな?」
「実践教育に入って二ヶ月なので、まだまだですね」
「半年は一緒に鍛錬していたからね」
てっきりうちの部に入ったのかと思ったくらいだとアントンさんが笑った。
確かに。半年間護衛部所属といっても過言でないくらいに鍛錬をしていたことに僕も笑う。
「レーヴィは今どうなってます?」
護衛部であり子爵家出身のアントンさんは、おそらく特殊護衛騎士の一人だと予想された。きっとレーヴィの教育に関しても知っているだろう。
尋ねてみるとアントンさんは困惑した笑みを浮かべた。
「何かあったんですか?」
「レーヴィ君はよく頑張ってるよ。ひたすら真剣に教育を受けてて、弱音なんか一度も吐いたことがない。おかげで教育自体はとてもよく進んでいるんだけどね。でも少々心配しているんだよ」
教育は進んでいるという。なのに心配というのはどういうことか。
食事を口に運びつつも次の言葉を待つ。
「彼、言葉数も少ないし、表情が出にくいだろう?ストレスを溜め込んでいやしないか、なにか問題でも抱えてないかとこちらが心配になってしまうくらいなんだ」
言われて納得する。レーヴィはほとんど表情が出ない。
彼と会ってから僕以外にその表情を読み取れているという人は聞いたことがなかった。
「貴族出の騎士と使用人しかいない屋敷に二ヶ月引きこもって、今まで生きてきた世界とはまるで違う生活を強要されてるからね。ストレスにならない方がおかしい。けれども大丈夫かと聞いても問題ないとしか言われないし、外から見て察してあげようにも難しくてね」
お手上げだとばかりにかぶりを振るアントンさん。
目に浮かぶような状況に僕は苦笑した。
「レーヴィは分かりにくいですからね」
判断できないながらもこうやって心配してくれる人が周りにいてくれることに少しだけ安堵すると、僕は料理の最後の一切れを口に運んだ。
「君、同室だったよね」
その僕の動作をじっと見つめ、アントンさんが言う。
「ええ。見習いからの同室ですね。今はお互いほとんど寮にいないですけど、一年と半年は一緒に過ごしてましたよ」
ただの同室どころか親友で、昇格のために共に日々研鑽していた。
「ちなみにレーヴィ君の表情は読めたりするのかな?」
「はっきりとではないですが、大体は」
するとアントンさんは顎に手をやり考えるそぶりを見せた。
「君はこれから予定はあるかい?」
「いえ、報告書もまとめましたし特には」
これはたぶんレーヴィの元に連れて行ってくれそうな気配だ。
僕が首を振ると、満面の笑みが浮かんだ。
「よかったらレーヴィ君に会ってもらえないかな?少し息抜きになればと思うんだけど」
「レーヴィに会えるなら僕もそうしたいです」
「よし、少し待っていてほしい」
素直に頷くとアントンさんは急いで食事を平らげた。
それから貴族邸までの道すがら、いまの状況を教えてもらう。
レーヴィは今、貴族にとっての当たり前を学んでいるという。使用人を使うことや、立ち居振る舞い、ダンスに食事などのマナー。それらは全てレーヴィには関係のなかったものなわけで、それらを身につけることが重要視されているようだった。
起床から就寝まで休む事なく、日々の生活すべてに指導が入るそれは、アントンさんが心配するように確かに苦痛だろう。
「ここにいる間はレーヴィ君にも自由にしてもらうから、好きにしておくれ」
貴族邸の中、サロンに通されてレーヴィを待つ。
サロンは上流階級にはよくある作りで、落ち着いた雰囲気のものだった。置かれている家具も古いものではあるものの、とても質がいい。
実家の商売柄ソファやテーブル、カーテンなど目に移るものを品定めしながら待っているとやがてドアが開けられた。
「やぁ、レーヴィ。久しぶりだね」
上質な衣類に身を包むレーヴィを笑顔で迎える。
「ライノ?」
レーヴィは説明がなかったのかほんの僅かに目を大きくさせて驚いていた。
「そろそろ息抜きも必要だからね。夕食までは好きに過ごすといい」
アントンさんがそう言ってレーヴィの背を押した。
「ありがとうございます」
レーヴィの言葉に手を振るだけで応えると、アントンさんはサロンのドアを閉めた。
「元気にしてたかい?」
「ああ。ライノはどうだ?」
僕の問いかけに頷くと、レーヴィはそう問い返してきた。
「僕は今日の昼に王都に戻ってきたところだよ。見ての通り元気にしているよ」
話しながら互いにソファに座る。ふかふかしたソファに身を任せて足を組む。
うん、やっぱり質のいいソファは気持ちがいい。
「……どうかしたのかい?」
そんな僕をレーヴィはじっと見つめていた。その表情は少し驚いているように見える。
「いや、ずいぶん慣れているように見えてな」
一瞬その言葉に疑問符を浮かべたものの、レーヴィのおかれている状況を思い起こして納得した。
「実家がこんなものだからね」
「そうか」
おそらく彼はこの高級品たちに慣れていないのだろう。
騎士団にあるものはそれなりにいいものばかりだけれども、質実剛健というのがぴったりと当てはまり、贅沢品と呼ばれる類のものはほとんど置かれていない。
今レーヴィを取り囲むのは全てが贅沢品なわけで、ひょっとしたら落ち着かないのかもしれない。
「こういうのは慣れだよ。そのうち当然と思うようになるさ」
きっとそういったところからもこの泊まり込みの合宿が意味を成すのだろう。常に贅沢品に囲まれた生活をしていればそのうちそれが当たり前のように感じるだろう。
さして問題ではないとさらりと言うと、レーヴィは神妙な面持ちで頷いた。
「ここでの生活はどうだい?」
他にもきっとなにかあるだろうと話を振ると、レーヴィは素直に感想を述べた。
「ベッドが柔らかすぎて、最初はなかなか寝付けなかった」
「初めの感想がそれかい?」
思わず笑ってしまうと、レーヴィも小さく笑った。
「これと言って困難なことはないな。触れるものがすべて上質なものだから違和感を感じるだけで、激的に行動を変えなければいけないわけじゃないからな」
見習いで習った紳士としての振る舞いと同じだと、レーヴィは言った。
なるほど、たしかに騎士の振る舞いとして求められる紳士さは貴族に対しても十分通用しうるものである。全く新しいことを学ぶわけではないのだから、そこまで難しいことでもないのかもしれない。
「ただ人を使うというのが慣れない。正直、自分でやったほうが早い」
ぼそりと呟かれた言葉に小さく笑ってしまった。
なんでも自分たちでやってきた孤児院出身のレーヴィにとっては全く馴染みがないのだろう。
中には着替えや入浴なんかも任せる人がいるのだけど、その辺りは好きにしていいと言われ辞退したらしい。
「他には何かあるかい?」
「――いや、思うように行かなくても体を動かせばすっきりするからな」
つまるところ鍛錬で上手く発散しているということらしい。
これは後で聞いたことなのだけど、この貴族邸に引きこもってからはレーヴィの戦闘術にはますます磨きがかかっていたようで、相乗効果を生み出していたのには驚愕した。
それから他愛のない話なんかも交えていると、時間はあっという間に過ぎていった。
「仕事を終えたらここへ顔を出してくれると助かるよ」
時間を告げに来たアントンさんにそう言われた僕は、玄関まで見送りに来てくれたレーヴィを振り返った。
「じゃあ、次に会うのは二ヶ月後かな」
「ああ。気をつけてな」
「レーヴィもがんばって」
そうして互いに拳を合わせ、微笑む。
騎士までの道のりは順調に進んでいる。僕らは真っ直ぐに、騎士へと向かっていったのだった。
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