5.苦悩する準騎士
楽しんでいただければと思います。
準騎士となって最初に言われたのは「護衛部と一緒に鍛えろ」だった。
期待しているとも言われたのだけど、一体どういうことなのか。
その意図がいまいちわからずに言われたままに護衛部の準騎士と一緒に鍛錬を行う。
ということで、結局僕の相手はレーヴィだった。
仕事に必要な知識を教えてもらったりということは一切していない。
今まで一緒に過ごしてきた見習い仲間達が聞いたら全然変わっていないと言われそうな日々だけど、ひとつだけ決定的に違うものがあった。
迫りくるレーヴィに僅かに上体を反らしてかわし、僕は剣を横に薙いだ。
レーヴィは姿勢を低くして避けると足払いを掛けてくる。
それに耐えられずに体勢を崩すと、腹部に衝撃が走った。
「くっ……」
思わず顔が歪む。
けれどもそのまま負けてはいられない。
大丈夫。剣じゃないだけありがたい。
自分に言い聞かせて体を転がし、間合いを取る。
そう。レーヴィは素手で対峙していた。
僕は変わらず剣なのだけど、その相手をしているレーヴィは準騎士に昇格してからというもの、なぜか常に体術を鍛えていた。
「負けてんぞーライノ」
やや離れたところからのんびりとしたルーカス騎士長の声がかかる。
「追い討ちをかけないでどうする!」
その横からは護衛部のオスク騎士長がレーヴィに対して檄を飛ばす。
オスク騎士長は非常に厳しい人物だった。
なんとなく温度差を感じる騎士長二人の声に苦笑が浮かびそうになる。
配属の話が決まった時に僕とレーヴィは互いの稽古相手とすることを二人の騎士長が話し合ったらしい。
「すみません」
レーヴィは額の汗を拭うと再び眼光鋭く構えをとった。
護衛部といえば剣術が一番のはずだった。常に帯剣していて、もちろん有事にはそれを抜いて応じるわけだけど、いったいなぜレーヴィは素手なのか。
レーヴィは理由を聞かされていないらしく、逆にそういった話を聞いたことがあるかと問われた。
それに対して思いつくことはあるものの、それは護衛部の中でも貴族の血筋であることが大前提だった。孤児であるレーヴィでは当然条件が満たされないわけで、僕もまた首を振ることしかできなかった。
いったいどんな思惑があっての事なのか。僕に関しても、レーヴィに関しても、二人の騎士長の考えが全く分からなかった。
+ + +
――そうして数ヶ月の時が過ぎた。
その頃にはレーヴィはすっかり剣を手にした相手を体術で叩き伏せるられるようになっていた。
彼はすでに剣をもった準騎士三名を同時に相手にしても引けをとらない。
もともと孤児院で体術も教わっていたと聞いてもその成長ぶりは計り知れない。
朝から晩まで訓練場で過ごす彼は食べる量が増し、体つきが格段によくなった。聞くところによるとオスク騎士長に「もっと食え」と言われたらしい。けして筋骨隆々というわけではないのだけれど、それでも入団したての細かった身体を思い出せば豹変と言わざるを得なかった。
僕は護衛部と一緒に朝から晩まで鍛え続け、護衛部の準騎士と肩を並べられるくらいには強くなれた。
見習いの剣術鍛錬とはやはり比べ物にならないくらいの過酷さに、それでもついていけたのは自分自身驚きを隠せなかった。
そして鍛錬の合間に少しずつ仕事に必要なことを学び始めた。
たとえば荷馬車の扱いについて。基本的な馬術は見習いの間に習っていたのだけれども、ここではただの乗馬だけでなく荷馬車用の馬の扱いや荷馬車の車輪の交換の仕方などを教えられた。情報部は商人や情報屋、傭兵のふりをしながら各地を調査するのが基本らしく、必要な知識になるらしい。
それから野営の知識などを身につけた。これは旅をする上では必須である。
そういったものを教えてもらってはいるけれども――
「いい加減、実践にでたいよね」
寮の部屋の中、机に突っ伏して遠い目で僕はうめいた。
他の同期はすでに騎士と共に各地へと散っている中で、未だに僕は本部から出たことがない。
「仕方ないだろ」
いつものように短い返答が返ってくる。
「護衛部はまだ誰も実践に出てないんだって?」
騎士団本部の門番や警備という任務は与えられているようだけれど、護衛部の本分である陛下の護衛任務は与えられていないと聞いている。
「陛下の護衛だからな。未熟な状態では出せないらしい」
「君だったらすでに剣術では騎士に引けをとらないだろう?」
引けをとらないどころか互角以上なはずだ。
ちらりとレーヴィに視線を向けると、彼は先ほど渡された手紙の封を開けるところだった。
「剣をもった騎士相手に素手で互角以上にやりあうか、準騎士三人を同時に相手して素手で完全に無力化できるところまでいかないといけないらしい」
「いったいどんな強さを要求されてるんだい、君は」
あり得ない。
というか本当に、僕もレーヴィもなぜほかの準騎士とは違う扱いを受けているのだろうか。
期待していると言われたけれど、陰湿ないやがらせかとそろそろ思っても仕方がないのでは?
はーとため息をついて顔を伏せる。
せめて意図を教えてほしい。そうすればまだ頑張れる。レーヴィはよく文句のひとつも言わずにやっているよ。
と――
突然がんっという音が耳に入った。
「なんだい?」
不自然なその音に顔をあげると、そこには机に手紙を叩きつけた状態のレーヴィの姿があった。
そのレーヴィの顔に初めて感情が灯っていた。
もちろんなんとなくではあるもののレーヴィの感情は読み取れるようにはなっていたのだけれど、おそらく他人でもわかるくらいの感情をみせたのはこれが初だ。
けれども残念なことに、その感情は良いものではなかった。
「くそっ」
レーヴィは小さく毒づいた。
眉間にしわを寄せ、険しい目つきをしている。その目の中にあるのは、怒り。いや、苛立ちか。
「どうしたんだい?」
感情を高ぶらせたレーヴィの様子はやはり尋常ではない。
おそらく先ほど封を開けた手紙が関係しているだろう。
「幼馴染が独立した」
独立で何を苛立つというんだろうか。
意図がわからずに見つめていると、レーヴィは深くため息をついた。
「好色貴族の住み込みメイドだ」
低く呻くように漏れ出たのはそんな言葉だった。
好色貴族。そして住み込みメイドということはつまり、いつ無理強いされてもおかしくない、ということだ。
思わず息を飲む。
「親父がうまく誤魔化して独立を先延ばしにして、二年で俺が迎えに行く予定だった」
「その貴族の名前は?」
貴族についての情報はそれなりにある僕は思わずそう聞いた。
好色といっても仕事に必要な為に演じているケースも少なくはなかったからだ。
だけどレーヴィの返答に僕は絶句してしまった。
「ヒーデンマー伯爵」
好色どころの話ではない。今現在、この国で一番女癖の悪さで悪評が轟いている人物である。
女性と見れば手当たり次第に押し倒すことで有名だった。いったい何人、いや、何十人の女性が暴行を受けたことか。それらの行いは証拠がないものとして罰することができずにいるけれども、確実に黒であるのは広く知れ渡っている。
「アヤメは数年前からあいつに目を付けられていた」
聞きなれない音だけれども、アヤメというのが幼馴染の名前なのだろう。
それにしても、なぜヒーデンマー伯爵が孤児院にいる少女に目を付けていたというのか。
そう考えたところで、以前聞きそびれていた疑問が再度僕の中に浮かんだ。
「君のいたところはそもそも男子孤児院じゃなかったのかい?」
女の子なのに同じ孤児院にいたと仄めかしていたよね。
まずはそこからだと問いただしてみると、レーヴィは少しだけ視線を外した。
「アヤメは――捨て子なんだ。生まれてすぐの頃に親父が拾って保護したから、特例でそのまま孤児院で育った」
レーヴィから出てきた言葉に唖然とする。
親が子を捨てる?ありえない。
他国ではよくあることらしいけれども、僕らのこの国では何よりも親子の繋がりを尊んでいる。
「すぐに親父は届出を出したらしいんだが、親は見つからなかった」
首を振るレーヴィはどこか沈痛な面持ちに見えた。
「一時は女子孤児院に移動することも考えたらしいんだが、同じ街にはなかったし、近隣の街の孤児院は人数が溢れていて受け入れてもらうこともできなかったらしい」
そしていつしか男子孤児院に咲く一輪の花として、街では有名になってしまったらしい。
そして――その街を治めるヒーデンマー伯爵の耳にも入ったのだと。
「独立後の雇い人として申し出たヒーデンマーに親父はアヤメを養子にすることで守ろうとした。だが既婚者じゃない親父は養子を迎える資格がなかった。かわりに養子にしてくれそうな人や雇ってくれる人を探していたんだが、ヒーデンマーの嫌がらせを恐れた街人は誰もアヤメを受け入れてはくれなかった」
そこでレーヴィはぐっと自らの手を握りしめた。
「だから――アヤメが独立する前に騎士になって、迎えに行くはずだった」
騎士は特別な存在だった。例え出身が平民であったとしても、騎士になることでその地位は貴族と並ぶものとされているのだ。
孤児院の院長が幼馴染の独立時期をうまくごまかし、長引かせている間にレーヴィが騎士となって婚姻を申し込む。
それが幼馴染を守る唯一の手段だったという。
だからレーヴィは最短二年にこだわっていたのだ。
期間が長ければ長いほど、ごまかすことはできなくなるから。
「……間に合わなかったか」
絞り出すように出たレーヴィの声は、苦渋に満ちたものだった。
読んでいただきありがとうございます。