1.同室になった騎士見習い
楽しんでいただけると嬉しいです。
僕の名前はライノ・メリカント。二十一歳になる。
大きな商家の跡取りだった僕は、ちょっとしたことがあって騎士団へ入った。
騎士団というのは、この国で最も有名で人気のある職業のひとつだ。
国ではなく陛下にだけ仕える騎士は、男の子なら誰もが一度は憧れる職だった。
貴族も平民も分け隔てなく優しく接し、強くて格好のいい紳士の中の紳士。そんな騎士になるにはもの凄く厳しいいくつかの試験をくぐりぬけなければならない。
僕はそんな騎士への第一関門である入団試験に合格、見習いとなって三年が経過していた。
見習いから準騎士へ昇格、準騎士から騎士への昇格という流れだけど、そこまでたどり着ける人はごくわずかだった。
なにせ入団試験の受験者は毎年何千人にも上ると言われているのに対し、合格者は百人程度。
そこから見習い入団しておよそ三ヶ月であまりの厳しさに半数の人が自らの意思で退団していく。
二年ほど経つと自主退団、強制退団など合わせて三十人ほど減り、準騎士へ昇格するのは一年で二十人を割るくらいである。
準騎士から騎士へと昇格する人数はそこまで減らないものの、それでも途中での脱退者は皆無ではなかった。
現在入団四年目――いまだに見習い騎士である僕は、残り一年で準騎士にならなければ退団を余儀なくされている。
ちょっと後がないなぁ。
学術ならすでに騎士と同等のものを身につけている。
そもそも商家の跡取りとしてあらゆる知識を叩きこまれていたのだから、これくらいはお手のものだ。
ちなみに去年などは急遽いなくなった教官の代わりに講師を務めたこともある。
けれども残念なことに剣術はからっきしだった。
必要ならば護衛を雇うのが当たり前だった暮らしの中では剣を握ったこともなければ、同年代の子たちと喧嘩をすることもなかった。金持ち喧嘩せず――といったやつである。
そんな僕はこの三年間、ほとんど剣術が上達しなかった。
体力はかなりついたのだけど、と寮の自室で嘆息する。
二人一部屋な寮だけれど、僕は一人でここを使っていた。
去年入った新人見習いが半年で退団していったからだ。 なれない寮生活に、徹底的に扱かれる剣術の稽古。今まで触れたこともないような高度な学術に逃げるように去っていったのを覚えている。
そうして今期。一人だった寮生活に新しい見習い騎士が加わることになっていた。
さて、次の同居人はどんな人なのか。
そんなことを考えていると、やがてノックの音が響いた。
「どうぞー」
軽く返事をして振り返ると金髪の頭が見えた。
次いで目に入ったのは整った造作の顔。
「レーヴィ・エクロースという。よろしく」
ガラス玉みたいな青い目が真っ直ぐにこちらを見て、手を差す。
恐ろしく整った顔の青年だった。
無表情だからか人形のようにすら見える。
「よろしく。僕はライノ。ここに来て四年目になるよ。わからないことがあったらなんでも聞いて」
その手を握り返して微笑むけれど、変わらず無表情のままで返されてしまった。
とはいえ緊張してるのかもしれないし、と僕は気にせず部屋や寮の説明をした。
+ + +
それからというもの、レーヴィとの親交はあまり深まっていなかった。
というのも彼は常に無表情で、とにかく寡黙なのだ。
さらに言うなら部屋にいる間はずっと机にかじりついて勉強をしていて、こちらから話しかけても「ああ」とか「いや」といった一言で終わってしまうのだ。
新しい見習い騎士に慣れてきたこの頃、周りの仲間からはレーヴィがつまらない男だ、よく同室で平気だなと声をかけられるほどだった。
人間観察が好きな僕としては、なんら同室に問題はなかったけれど。
「あまり根をつめるとあとからキツくなってしまうよ。頑張るのもいいけど、そこそこにしておいたらどうだい?」
一度そんな声かけをしてみたら、勉強していた手が止まりじっと目が合わせられた。
「最低限は守っている。まだ大丈夫だ」
それがいままでで一番長い返答だった。
そんな彼は話をする時は必ず手を止めて目を合わせてくれる。きっと真面目な性格なんだろう。
各家庭からやって来て初の寮生活に慣れずに右往左往している他の同期見習いとは違い、決められたことは守り、さりとて困った様子もなく決められた時間内に必要なことは全て終わらせ、きっちりと規律を守っていたことからも性格が窺えた。
ちなみに彼は剣術において入団当初から準騎士同等、それ以上の強さを見せていた。
僕が知識を徹底的に叩き込まれていたように、彼は剣術を叩き込まれていたのだろう。
初めての剣術稽古の時はレーヴィの強さに誰もが絶句した。彼が剣を振るう姿はあまりにも凄まじかった。技量はもちろんのこと、隙もなく、更には無表情とあってなにを考えているのか、次の手がさっぱり読めないのだ。
唯一の弱点といえば体つきだろうか。
まだ成人したてのその体は薄く、純粋な力比べになると押されるようだった。――もちろん、見習いや準騎士相手ならば技量で補える程度のものなのだけれども。
学術については正直わからない。
けれども、今もこうして机に向かっているところを見ると、ここまでやってて出来ないということもないだろうと感じる。
僕は今なにをしているかって?
特になにも。本を手にはしているものの、読んでいるかと言われれば特には、といったところ。
要するにのんびり、だ。
消灯時間より幾分早いけど、もう寝ようかな。なんて思って一度伸びをしたところで――レーヴィがこちらを向いた。
「すまない。少し聞いてもいいか?」
初めて話しかけられたことに少しだけ驚きつつも、僕は笑顔を返した。
「なんだい?」
彼がいったいなにを思って、なにを話すのか。正直楽しみだった。
「どうしてもわからないことがある」
そうして彼が指したのは教本だった。
なんだ、学術のことか。
ちょっとだけがっかりしながら、彼の隣に立つ。
開いている教本は経済学のものだった。
「どうして金を使うことが富に繋がるんだ?」
……………………。
「君、それ経済学のいっちばん最初に習うとこだよね?」
そう。経済学の初歩の初歩。大前提といってもいいくらいのところで止まっているらしいレーヴィに、まさか毎日勉強してても全く進んでいなかったのかと若干呆然とする。
「習った。それを前提に頭に置いているからその先の事は理解できているつもりだ。だがその根底がわからない」
つまりは、そういうもの、として覚えたからその後の流れは理解できている、ということか。
よかった。あれだけ毎日勉強してて内容が最初から進んでないとかありえないよね。
僕は内心安堵の息を吐くと、口を開いた。
「じゃあ逆に聞くけど、どうしてお金を使ったら富にならないと思うんだい?」
「金はたくさん持っている方が豊かだと思うからだ」
「なるほどね」
ありがちなパターンだった。
僕は自分の机から椅子を引くとレーヴィに向くようにして腰を下ろした。
「確かにお金があれば豊かだよね。でもそれは一個人の話なんだ。経済という大きな流れで見ると、お金を貯めるだけだと淀んでしまう」
経済学は僕の一番得手とする分野だった。だから流れるように疑問に答えいった。
そしてそれはレーヴィにとって興味深かったのか、さらに質問が出された。
質問が重ねられ、それに答えているうちにいつの間に消灯時間になった。
レーヴィは「ありがとう」と一言告げて就寝した。
それからというもの、わからないことがあると声がかかるようになった。
質問の内容は今期入団の見習いではまだ及ばない先の知識であり、予習のさらに先へと彼は進んでいた。
さすがは毎日勉強しているだけの事はある。
どうやら一番最初の質問は、そう覚えれば難なく進めるものの、どうしても気になっていた部分のようだった
「さすがに四年目ともなると造詣が深いな」
ある時レーヴィが質問以外の言葉を口にした。
やや感心の念が含まれたその言葉に、僕は肩をすくめた。
「四年っていってもあれだよ。いくら知識があったって、剣術ができないんじゃ昇格できない。僕なんかはもう後がないようなものだよ」
真面目にやっているつもりなんだけどね、と苦笑する。
剣術さえできていればおそらく僕はすでに準騎士を通り越して騎士になっていたとさえ思う。
それに対してレーヴィは表情一つ動かさずにこう言った。
「それなら俺が手伝おう」
「どういうことだい?」
思わず聞き直す。
「いつもライノには教えてもらってばかりだからな。少しでも返せるならそうさせてほしい」
真っ直ぐに見据える青い瞳に浮かぶのは揺るぎないものだった。
そんな彼の最近の鍛錬の姿を思い出す。すでに模擬戦では準騎士どころか騎士でなければ相手が務まらないくらいである。
どうやったらあそこまで強くなれるのか。確かに教えてほしいものだ。
「それじゃあそうさせてもらおうかな?」
学術が得意な僕がレーヴィに知識を教える。
剣術が得意なレーヴィが僕に剣を教える。
それでお互いが高みにいけるなら、これ以上のものはない。
こうして僕達は協力体制を敷くことになった。
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