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17.穏やかな日常

楽しんでいただけたらと思います。

 アヤメの二度の涙を見た俺は強くなろうと決めた。

 そしてそれをかなえるべく速やかに行動を始めた。


 手はじめに親父が多くの年長者達にしている剣の稽古を一緒につけてもらうことにした。

 本当なら独立後に戦うことを生業とする予定の十三歳以上の兄達でなければつけてもらえないそれを、だが親父はあっさりと了承してくれた。

 最初は年の近い奴らは「ずるい」と抗議したが、連日鬼のような扱きにふらふらの俺を見てそのうち抗議がやんだ。

 三歳以上年の離れた兄達と同じことを課せられた俺は始めた当初は毎日夕方にはまともに歩くことさえできずにいた。

 本気で容赦がなかった。稽古は午後の数時間だったが、こんなものを長時間やっていれば死んでしまっていたかもしれない。

 それでも俺はなんとかその稽古についていった。

 だがなにより辛かったのは他でもない、恐ろしいほどの空腹だった。


「大丈夫?」


 夕食を食べて就寝につく直前、大きく鳴った腹の音にアヤメが心配そうに俺を見た。

 稽古をつけてもらってからというもの、とにかく腹が空いた。


「大丈夫だ」


 大丈夫かそうでないかといえば大丈夫ではない。空腹で眠れない。だがそれを言ったところで食べ物が出てくるかと言えば出てこない。俺はアヤメの言葉にただ頷くだけだった。

 アヤメもそれが分かってたんだろう、心配そうな顔はそのままにしながらもそれ以上追求することはなかった。


 翌日、午前中はいつもの様に遊び、爺さん先生に算術を教わり、午後は当然のように稽古で扱かれた。

 空腹はともかく、少しずつ稽古に余裕が出てきた俺は井戸で水を浴びていた。

 そこへ、


「レーヴィ、ちょっときて」


 潜められた声に辺りを見回すと、大きな木からアヤメの顔が覗いていた。じっとこっちを見て手招きしている。


「なんだ」


 ふるふると頭を振って布で適当に体を拭きながら向かうと、そのまま木の反対側に引っ張られ、アヤメと二人地面に座り込む。


「あのね、これ」


 と、アヤメが近くに置いてあった籠から何かを取り出した。


「食べて」


 手のひらにちょうど乗るくらいの赤い果物――リンゴだった。


「山でみつけたの」


 声は小さく潜められているものの、アヤメの表情はにこにこと輝いていて嬉しそうだった。

 俺はアヤメの顔とリンゴを交互に見る。


「最近レーヴィお腹減ってて辛そうだから」


 あ、でもみんなには内緒だよ。私一人で取りに行ったから、とアヤメは笑った。


「山に一人で入ったのか?」


 すぐ近くなら問題ないと言われているが、少なくともその辺りにはリンゴが成っているところなんかなかった。ということはアヤメは山の奥の方に入ったということだ。


「危ないだろ」


 俺のためとはいえつい咎めるような言葉に、だがアヤメは少しだけ困ったように眉を下げた。


「もともと山には一人で入ってたし、お養父さんも知ってるから。ちゃんと入っちゃいけないところには入ってないから、大丈夫」


 意外な言葉だった。

 アヤメが一人で山に入っていたなんて知らなかった。

 なんのために入ってるのか、そう口を開く前にアヤメはぐいと俺の口にリンゴを押しあてた。


「みんなにばれちゃうかもしれないから、早く」


 少しだけ怒ったような顔で言われて大人しくそれに齧りつく。

 しゃくっと言う音と共に酸味と甘みが口に広がる。


「美味い」


 もぐもぐと咀嚼して飲み込むのをみて、アヤメは満足そうに笑った。


「アヤメは?」


 齧りついた後のリンゴを見て聞いてみると、首を横に振られた。食べていないらしい。

 一人で食べるのに気が引けた俺はさっきアヤメがやったように食べかけのリンゴを口に突きつけた。


「お腹が減ってるのはレーヴィだよ」


 おもしろくなさそうに言うが、俺も引かない。

 何度かの押し問答の末にアヤメは一口だけとリンゴに齧りついた。


「少しは足しになったかな?」


 甘い汁のついた指を舐めていると上目遣いにアヤメが見てきた。


「ああ」


 リンゴをほとんど一つ食べた俺は久しぶりに空腹感が消えていた。更に言うなら滅多に食べない甘味に味覚も満足している。


「じゃあまたとってくるね」


 満面の笑みを浮かべたアヤメは立ちあがると建物の方へと走っていった。

 アヤメは優しい。いつも誰かのことを気にかけていて、明るくて笑顔を振りまいていて、見ていると安心する。落ち着く。たまに突拍子もないところでドジを踏むが、失敗しても笑っているその姿が俺にはまぶしかった。

 そんなアヤメを見て思うのはひとつ。


 ずっと笑っていて欲しい。


 強くなろう。強くなってアヤメを支えよう。

 俺の思いは募るばかりだった。 


 それからしばらくそんな生活が続き、俺は徐々に力も強くなって筋力がついてきた。

 稽古にもかなりの余裕が生まれ、夕方になるとふらふらしていた俺もすっかり元のように周りを見られるようになってきたところで、俺は次の行動に踏み込んだ。


 力としての強さだけでなく、心の強さも求めたのだ。

 心の強さとは何か。分からなかった俺はとりあえず頼りになる存在と言うものを目指すことにした。

 孤児院の中の手伝いを率先してやるようになった。ある種義務付けられていた手伝いは当然していたのだが、その範疇を超えて手を出すようになった。

 そして困っている奴がいればそれも自分から手助けした。これについては今まではアヤメが率先してやっていた為に俺も関わることが多かったものの、それはあくまで「手助けをするアヤメの手伝い」でしかなかった。俺はその枠を外れて自分から手助けをするようになった。


「レーヴィ、ヤロとヘンリが喧嘩してる!」


 一定のところまでは好きにさせている喧嘩だったが、一線を越えたらすぐにでも引き離して仲介に入るのが孤児院のやり方だった。そして喧嘩の多いここでは当事者以外の誰しもがその一線を理解している。

 故に、声がかかった時は既に仲介が必要な時だった。

 俺は案内されるままに庭に出ると、取っ組み合いの喧嘩をしている二人の姿が見えた。全身土にまみれている二人は共に手や顔に血がにじんでいた。


「やめろ」


 馬乗りになったヘンリを無理やり引きはがすと、今度はそれを追いかけてヤロが突っ込んでくる。

 すっかり頭に血がのぼっている二人は俺や周りの声も聞こえてはいないようで、何度も引きはがすものの、それでもしつこく取っ組み合いを続けようとしていた。


「どうしよぅ……」


 まわりでそれを見ていた年少者がぐずぐずと鼻水をたらし始めた。

 いつもなら俺ではなくもっと年上の年長者が割って入っていたが、間の悪いことにさっき親父が年長者を全員街へと連れて出て行った。

 ここまで来ると二人同時に抑えなければ止められそうもない。だが、ここまで派手にやりあっている喧嘩には稽古をつけてもらっていた俺以外には割って入れそうもなかった。


「やめろ」


 どうにかして止めなければ。焦燥感を募らせる俺に、だが二人は気がつかない。

 もう一度割って入って――


「いい加減にしなさいっ」


 甲高い声と共に、全身冷たいものを浴びる。

 ばしゃんという音で、俺を含めた周りが動きを止めた。


「何が原因か知らないけど、そこまでしたらダメでしょう!?」


 それはアヤメの声だった。

 振り向いてみるとアヤメが桶を手に仁王立ちしている。


「あ……」


 ぶちまけられた水を滴らせ、ヤロとヘンリもまた動きを止めていた。

 ようやくまわりに気がついたらしい二人はびくりとしてあたりを見回し、そして迷子になったような途方に暮れた顔をしてやがて声をあげて泣きはじめた。

 高ぶった怒りの感情から一転、大変なことをしてしまった。そんな気持ちが溢れたようだ。

 俺は泣きじゃくる二人を抱き寄せてその頭をなでた。

 アヤメはすぐにタオルをもってきて、他の年中者が二人をそれぞれ包むと部屋へと連れて行った。


「ごめんね、レーヴィまで水浸し」


 タオルを差し出したアヤメは申し訳なさそうにしていた。


「いや。助かった」


 水を掛けられなかったら二人はまだ喧嘩してた筈だ。

 服に手をかけシャツを脱ぎ適当に丸めて絞る。足元に水が滴り、体を拭こうと絞ったシャツをアヤメに渡そうと手を伸ばす。

 今日は晴天。これなら外にいれば着替えなくてもすぐに乾くだろう。

 片手でがしがしと頭を拭くが、一向に服を受け取る気配がない。不審に思って目を向けると、アヤメはまじまじと俺の体を見ていた。


「アヤメ?」


 声をかけて顔を覗き込むと、アヤメと目があった。


「どうかしたか」


 さらに声をかけると、そこでハッとしたアヤメは見る間に顔を赤くさせた。数歩よろめくように下がる。


「っごめん、なんでもない!」


 勢いよく頭を振るが、赤い顔は明らかに何かがあったようだ。


「私、二人の手当てしてくるねっ」


 追求しようとしたところで、アヤメは言うが早いか踵を返し駆け出した。

 なんだったんだ?

 取り残された俺はしばらく呆然としていたものの、近くの木に服をかけて体を拭くのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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