9.騎士は暴走した
楽しんでいただけると嬉しいです。
叙任式の翌日、僕は情報部の事務方の手伝いをしていた。
基本的に事務作業は情報部の中でもそれ専門にやっている騎士がいる為ほとんど手伝うことはないのだけど、この時期は手が足りないらしい。
というのも日頃は八割以上が各地を飛びまわっている情報部の騎士だけれど、この時期は叙任式の為にとほとんどの人が一旦王都へ戻ってきていて、それ故に取り扱う情報量が半端なく多いのだ。
最初は準騎士ということもあって簡単な書類の仕分けや資料の用意をしていたのだけど、
「これできるか?」
午後には税収に関する書類の確認を任された。
実家でいろいろなものを学んできた僕だけど、やっぱり一番強いのはお金に関することだった。久々に並ぶ数字の羅列に目を走らせていると、なんとなく懐かしさと楽しさがこみ上げてきた。
そしてそれらに没頭していると、そのうちこれも、これもと山のように書類が集まってきた。
「おいおい、まだ準騎士だぞ?」
まるですでに昇格した騎士のような仕事の山を見て、様子を見に来たルーカス騎士長がにやにやと笑った。
「騎士長、是非ライノ君を事務に!」
と、ルーカス騎士長の言葉に書類に忙殺されていた事務室長が突然顔を上げた。
「残念ながらこいつの行き先は決まってる。オレのだ」
ルーカス騎士長は誇らしげに首を振った。
するとその場で作業していた騎士達が次々に立ち上がり、ルーカス騎士長を取り囲んだ。
「こんな逸材他にいません!是非、是非事務に!」
「お願いします、騎士長!」
余裕の笑みを見せていたルーカス騎士長だったのだけど「あ、やべ」と漏らすと一歩後退した。
けれども残念なことに後ろにも騎士が控えていて逃げられない。
「毎回毎回適当な報告書回してきたり、大雑把過ぎる数字の列に悩んだり、まとめるの大変なんですよ!」
そう詰め寄る騎士の目はどこか据わっていた。いや、取り囲んでいる騎士全員が似たような顔をしている。
僕は今日から手伝いに入ったけど彼らは叙任式前から膨大な量の書類に囲まれていたわけで、限界に近づいているのがありありとしていた。
「ああ、うん」
いつもの飄々とした表情は何処へやら、ルーカス騎士長の口が引きつっている。
「だから今年昇格した奴入れてやったろ?」
と、宥めるように言ったものの、
「俺だけじゃ足りません」
昨日叙任されたばかりの騎士が即答した。
昇格が決まった時点からずっとここに詰めていた彼は誰よりも目が血走っていた。相当大変な思いをしているのだろう。
「あー……」
そんな彼を見てルーカス騎士長が目を泳がせる。
いつもなら豪快に笑い飛ばして終わるのだけど、こんなルーカス騎士長を見るのは初めてだった。
「それじゃあ、区切りがいいので僕はそろそろ戻りますね」
しばらくやりとりを聞き流しながら手元の書類を処理していたのだけど、気づけば日が傾いていた。
もちろん準騎士である僕が自分から立ち去るのはどうかという一般論が頭をかすめたけれども、ルーカス騎士長の様子を見るに逃げた方がいい気がする。
「お先に失礼します」
有無を言わせないような笑顔で言うと、ピタリと動きを止めたルーカス騎士長達の横を通り過ぎて事務室を出る。
パタンとドアを閉めきると直後になにやら騒々しく動く気配がしたけれども、ここは無視を決め込もう。
僕は一人頷き食堂へと向かうのだった。
+ + +
食事が終わって寮に戻ると、その足元に一通の手紙が落ちていた。
不在の時に来た手紙を隙間から部屋に滑り込ませたのだろう。
そう思って手紙を拾いあげて宛先を見てみると、レーヴィ宛になっていた。
「間違えたかな」
レーヴィは朝、自分の住まいとなる屋敷に向かった為、当然ここには帰ってこない。そもそも騎士になれば寮生活は希望者のみだし、その寮もまた別棟なのだけど。
そのことについては連絡がされているはずなのだけど、初日ということもあって入れてしまったのだろう。
そのうち顔をあわせるだろうけれども昨日なかなかここへは来れなくなると言っていたし、来ても僕自身が会えるかといえば微妙なところである。渡すまでには時間がかかってしまうかもしれない。
僕はしばし手紙を眺めた。
レーヴィ宛の手紙は孤児院からしか来たことがない。それもごく僅か、僕が知る限りではこれが三回目だ。そして昨日レーヴィは孤児院の院長に連絡を取っているといっていた。その返事だというのなら急いだほうがいいだろう。
そう思わずにはいられないわけで、僕は戻ってきた部屋を再び後にしたのだった。
「こんばんは」
レーヴィがいる屋敷へとやってきた僕は、入り口に控えている門番にそう声を掛けた。
門番は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、その後に続いた僕の名前にすぐに門を開けてくれた。
使用人には僕の話は通してあると聞いていたので問題ないようだ。
エントランスへ入り使用人に名前を告げることしばし、やってきた執事に手厚く歓迎された。
「ようこそおいでくださいました」
初老のこの執事はかつてはレーヴィの貴族教育に携わった人物であり、レーヴィの出自を知る数少ない使用人でもあった。当初から執事としてレーヴィを支えることが決まっていたらしく、僕も貴族邸を訪れるたびに顔を合わせていた。
ちなみにここでの僕の扱いはメリカント商会の元後継ぎにしてレーヴィの親友。騎士団に所属しているというところは執事以外には伝わっていない。
「待たせたな」
「おつかれさま」
サロンに通されてまもなくやってきたのはレーヴィとアントンさんだった。
「おつかれさまです」
どうやらアントンさんは打ち合わせを兼ねてレーヴィの様子を見に来ていたらしい。
「移動初日からすみません」
「いやいや、むしろレーヴィ君にとっては心が落ち着くんじゃないかい?」
アントンさんはそう笑ってくれた。そして更には、
「時間がかかるものではないなら別室で待っているよ」
そんなことを申し出てくれた。
きっと気を使わせないように言ってくれたのだろう。
「それほど時間のかかるものではないと思います」
「そうかい。ならお茶でも飲んで待つことにするよ」
「すみません」
「私もこの後屋敷に帰るだけだしね。気にしないでおくれ」
彼はそう言うとすぐにサロンを後にした。
それを見送ってから、僕は口を開いた。
「初日からすまないね」
それからお互いにソファに腰を下ろす。
貴族教育の時は落ち着かない様子だったらしいレーヴィは、すっかり貴族然とした立ち振る舞いで堂々と寛いでいた。
「今日は特にやることもないからな。だが、何か急用でもできたのか?」
もし用事があったなら昨日のうちに済ませているはずだと尋ねるレーヴィに、僕はそっと例の手紙を取り出した。
「今日帰ってきたら届いていてね」
レーヴィはそれを手にすると送り主の名前を見てすぐに封を開けた。
そしてすぐさま文面を読んで動きを止めた。
ちらりと僕を見て、それから再び手紙に目を落とす。
何かあったのかな?と思いつつも見守っていると、その表情は読み進めるごとに険しくなり、やがて勢いよく立ち上がった。
「くそっ」
悪態と共にサロンを出て行こうとするレーヴィ。
「どうしたんだい?」
問いかけるも答えはなく、レーヴィは駆け出した。
取り残された僕は嫌な予感に考える前に行動した。
つまりは、レーヴィを追った。
「待つんだ!」
屋敷のエントランスで追いついて肩を掴む。
近くにいた使用人が驚いた顔でこちらを見ている。
「一体何が書かれていたんだい」
しっかりと掴んでこちらを向かせるものの、レーヴィに振りほどかれる。
けれどもこのまま黙って行かせるわけにはいかない。今度は両肩を掴んで抑え込む。
「落ち着くんだ、レーヴィ」
「落ち着いてられるか!」
声を荒げられ、騒ぎに駆けつけたアントンさんや執事が息を飲むのがわかった。
僕は周りの目を意識しつつ、怒りを孕んだ目を見つめて諭すように告げる。
「よくない事があったのはわかった。けど一旦落ち着かないと、焦ってもしょうがないよ」
けれどもレーヴィは余裕がないらしい。再度手を振り払われてしまった。
「ああ、もう!」
ドアとレーヴィの間に体をすりこませ、僕は渾身の力で腹部を殴った。
一瞬レーヴィは目を見開いて、そして体を傾かせた。
「これくらいのものを食らうようじゃ、まともな判断なんて下せないよ」
意識のなくなったレーヴィを支え、僕は床に落ちた手紙を拾いあげると息をつくのだった。
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