5:続々・秋風
劇的ビフォーアフター。一昔前に流行った家のリフォームを取り扱ってるドキュメンタリー番組なのだが、あれものすごく秀抜なネーミングセンスだなと、俺はこのとき思った。202号室が何という事でしょう、ピカピカなのである。ちなみに匠の名は秋風カオル。
「いいレオ? 掃除の基本は捨てること。掃除の禁句は勿体無い。はいリピートして」
「掃除の基本は捨てること。掃除の禁句は勿体無い。そして誕生日おめでとうカオル」
「このタイミングで言うの!?」
可燃ごみと不燃ごみのゴミ袋を、それぞれ二袋ずつ抱えながら玄関に向かう俺たち。この状況、交わす会話が所帯染みてて面白い。昨日までは『秋葉さん』と『文月くん』と呼び合ってサークルの話とかしていたのに、今や『レオ』と『カオル』で掃除の話をしている。今日一日で凄まじく距離が縮まったと思う。これは一体何効果というのだ。吊り橋効果? ロミオとジュリエット効果? いや違うな。何だろうかこれは。よく分からない。
「さて、これでひと通りというところかしらね?」
ゴミを処分し、カオルと共に再び改めて室内を見渡せば、お世辞抜きに新築かよと言いたくなった。光沢を放つ床。鏡のようなシンク。消失した洗濯物。隅っこにペン立てのみ置かれた机。モデルハウスの様相さえ呈している。
「ま、続きはまた今度ね。今日のところはもう遅いし、このぐらいで良いでしょう」
「え、ちょっと。これで完成とかじゃないの? もう俺の中ではリフォーム完成なんだけど?」
カオルが生暖かな眼を向けてくる。
「何言ってるの。精々これで半分というところよ。掃除を舐めないで」
「えっと冗談抜きでお尋ねしたいんですがね、カオルさん」
「何でしょうか、レオさん」
一応こういうノリも通じるようである。
「残りの半分って何ですか? 本気で建て替えるつもりですか? ここ」
例えば202号室を掘っ立て小屋にして庭にヤシの木植えるとか。親父帰ってくるかもしれないし。
「いいえ。残りの半分は貴方よ。あなた。いい? 快適な生活環境っていうのはね、使用するお部屋が半分と、使用する者の半分で構成されるものなの。それで今日の半分は、使用されるお部屋の方を片付け終えたということよ」
カオルは人差し指を立てつつ演説した。
「すると。えー。今度は俺自身を片付けるということでしょうか?」
ギャグで言ってみたのだが、今日の昼一件を思い出し、ちょっとその笑顔が固まる。
「いや、別にあたしレオを処分するとか言ってないわよ」
なるほど、良かったです。
「ただし意識改革はしてもらうわ。具体的にはこれから毎日、あたしがレオに掃除の仕方をレクチャーします」
なるほど、良かったです、勘弁しろ。
「いや。さすがにそこまでしてもらっちゃ悪いよ」
「いいえ、そこまでしないと逆に意味が無いのよ」
カオルさんが腕を組みました。
「いやいや、俺だって子供じゃないんだからさ、今日のカオルの手際見ててだいぶ勉強できたし、もう自分一人で大丈夫だと思うよ」
この言葉はすごく説得力があったことだろう、カオルさんの顔がちょっと半笑いになったもの。
「そう。じゃ掃除の初歩を聞くけれど、いまピカピカのこの床を保つにはどうすれば良いのかしら?」
「そりゃもちろん、毎日たゆまず掃除機をかけることだな」
「はい0てーんー」
ニッコリ笑顔で言われる。やだ、可愛いな。直後にガックリと肩を落として「はぁーーーーーーー」と聞えよがしの溜息を吐かれる。今のちょっと魂も出たんじゃないかというぐらいスパンがあった。
「ほんと、何もわかってないのね……」
「すいません。精進します。100円いります?」
「本気で怒るよ?」
黙って頭を下げた。カオルは腰に手を当てる。
「いきなり掃除機かけるだなんて、そんなのただ埃を巻き上げるだけの作業よ。最初は床用ワイパーで大きな埃を取るの。掃除機はそれからよ。分かった?」
「分かった。そうする」
「よし。まぁ続きは明日からね。じゃ、アタシはこれで帰るから――」
「あの、カオル」
玄関に向かいかけた彼女を呼び止める。カオルはフワリとポニーテールを揺らして振り返った。『なに?』と目で聞いてくる彼女に、俺はごく自然に、けれども冷静に考えたらちょっと恥ずかしいようなことを切り出した。
「今晩さ、一緒にカオルのお誕生日会しない?」
そのときカオルは、まるでチョコレートをかじったリスみたいな顔になった。そしてパチクリという感じのマバタキ数度の直後、頬がみるみるうちに染まっていき、「え?」と、小さくつぶやいた。
そんなレスポンスを見てからようやく、俺は自分が切り出した案件がちょっと恥ずかしいようなことではなく、すごく恥ずかしいようなことだという事に気付いた。
頬を染めたままながら、カオルはジト目になって言う。
「19歳になって『お誕生日会』って、……あり?」
その『お誕生日会』という言葉を改めて聞かされたら、俺も何だか頬に熱を覚えたので、
「ごめん。良かったら今の言い直したいんだけど、いい?」
何故か言い直しを求めれば、彼女は頭に手を当て
「ごめんそれあたしが無理。ていうかこの空気これ以上引っ張るの無理だから」
「だよな。ははは、はは。じゃ、じゃぁまた今度この御礼はするから」
「いや、そうじゃなくて」
カオルが一層恥ずかしげな表情になったので、俺は地雷踏んだと理解し、慌てて
「ああ、いやまぁ。その、明日の昼にでも学食ぐらいおごるから」
「いやだから、そうじゃなくて!」
言い直しの内容が一層悪かったか、ちょっと苛立ちまで入ったようにカオルが目を閉じたので
「あ、ああ。OKOK。いきなり大学で一緒にメシとかもあれだよな。ははは。じゃ、じゃぁまた今度菓子折りでも包んで」
「いやだから、そうじゃなくって!」
苛立ち超えてちょっと怒り気味な感じに言われたので思わず「ごめん!」とか謝れば、彼女は内心をぶちまけるような勢いで言った。
「普通に夕食誘ってってば! いま!」
と。
肩をちょっと怒らせ気味に言ったそれは、なんだか続いて『この鈍感目が』と説教でもされたような心地になった。そしてその予想外のベクトルで苛立っていたことに気付いた俺が、ポカンとしたまま深く考えず『ああ、そういうこと』等といえば、どいうわけか彼女は耳まで赤くなり、
「レオ0点!」
と言ってから、バタンと玄関を出て行った。
一体カオルに何が起きたのだろうかと、しばらく真っ白な頭で考えていたら、ポケットの携帯がバイブした。このタイミングでなんだろうか開いてみれば、メールが一件。送信者は『秋風さん』とある。
開いてみれば、そこにただの一言。
『早く来なさい』
そのワンセンテンスを見つめること数秒。
「なんでメールなんだよ?」
俺は苦笑して、しかし返信の代わりに登録情報を『秋風さん』から『カオル』に変えて、玄関を出て行った。