1:二裂け女
ご当地妖怪の解説
二口女:
口が後頭部にもある普通の女の子。
口裂け女:
口が耳まで裂けた普通の女の子。
二裂け女:
二口女と口裂け女の間に生まれた普通の女の子。
解説おしまい。
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
19歳の12月、午後5時。大学に入ってから平凡な一人暮らしが続いていた中で起きた最初のハプニングは、しかし妖怪少女にストーキングされるという世にも稀な怪事だった。
何のことはない。自宅マンションの近くにあるスーパーで夕飯の買い物をしてきたその帰り道、麦わら坊に白のワンピースというサマースタイルな女の子が、近所の公園入口にボウと立ち、行き交う人を子犬みたいな目で見ていたのだ。
その前を少し離れて横切る時、俺は白い息を吐きながら、この寒い中なにしてるんだろと思いつつチラっと見たら、そのとき一瞬だけ目があってしまった。
強いて言うなら俺の失態はそれだけである。
それ以外は別に立ち止まるわけでもなく彼女を見続けるわけでなく、俺はただ自然に前を通り過ぎただけ。そしたらかけられたこの一声。
「あのぉ、いま私のこと見えませんでしたか?」
それは踏まれたタンポポみたいに哀しく弱々しく、そして可愛らしい声だった。しかし同時に、俺に『まずった』と思わせる声でもあった。説明する必要もないと思うが、一応言っておくと、彼女は『私のこと見ませんでしたか?』と言ったのではない。『私のこと『見え』ませんでしたか?』と言ったのだ。
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
俺は別に、さっきのセリフだけで彼女が『二口女』とか『口裂け女』みたいな妖怪少女だと判断したわけではない。この真冬に真夏スタイルで表に出て、通行人を恨めしそうに眺め、そして一瞬目があっただけで、そんな妙なセリフを初対面な俺に投げかけてきた、そういう事実をごく自然に総合し、『この子は目合わせちゃダメな人だった』と本能が理解しただけのことである。足を早める俺。
「あ! 早足になりました! もしかして私の声も聞こえませんでしたか!?」
このセリフで俺は確信する。やはり『まずっていた』。この子は目を合わせちゃダメな人だった。気づけば俺の足は早足じゃなくて駆け足になっていた。
「ふぇう!? ちょ、ちょっと待って下さい! そこの人間さんちょっと待って下さい! は、話を聞いて下さい!」
ヒタタタタっというアスファルトをかけてくる足音。それが靴の履いた状態では立て得ない音だと理解した瞬間、鳥肌が総立ちになり、足はすぐさま全力ダッシュになった。
買い物袋に入った生卵のことも忘れて、ものすごい勢いで走った。しかしそれに続いてヒタタタの音はついてきた。
「ま、待って下さい! お、お願いですお願いです! 逃げないで下さい! 追いかけないですから逃げないで下さい!」
追いすがってくる少女の声。すれ違う通行人はみんな俺のことを怪訝な目で見ている。理由はよく分かる。夕飯の材料が入った買い物袋を振り回しながら男が全力疾走していたら、あれは一体何事かと思うはずだ。しかしながらどういうわけか、俺の後ろの方の『もっとヤバそうな感じの少女@麦わら白ワンピ裸足ダッシュ』には誰ひとり目をくれていなかった。
「お願いです待って下さい! 私怪しい人じゃないんです! ちょっとだけ話を聞いて私に触れてくれたらそれで良いんです! お願いです話しかけながら触って下さい! 」
こんな寒い中、俺は汗までで出てきた。
「っひゃぁ! この格好だとここ寒いですぅ!!」
今更気付いたのか!? というツッコミを内心で入れつつも、しかし俺の足は止まらない。むしろ加速する。寒い中汗をかいて息はゼーゼー。買い物袋はメチャクチャ。けれどもそんなの構っていられない。
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
しばらくして自宅マンションの『グランデ川西』が見えてくる。しかしこのまま素直に駆け込めば、俺の住処が猛追麦わら少女にバレてしまう、ここは一旦素通りして彼女を巻くか、あるいは交番に庇護を求めにいくのが上策。
――などという冷静な判断は一瞬もよぎらず、俺は真っ直ぐ『グランデ川西』に飛び込んで階段を駆け上がり、自分の202号室を解錠して飛び込んで施錠した。
――やっちまった。
後悔先に立たず。そして予定通り猛追少女に居場所がバレて、外から扉を『ドンドンドン! 開けて下さい!』の連呼。さらには扉のノブをひねられて『ガチャガチャガチャ(金属音)』とかやられる運びとなったのである。
「お、お願いですここを開けて下さい! ここは寒いんです! ひっくち!」
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
俺は扉が壊れやしないかと喉をゴクっと鳴らしてから
「あの、すいません。い、一体どういうご用件でしょうか? あるいは人違いとかしてませんか?」
と、必死にファーストコンタクト。コミュニケーションを取るのにこんなに勇気を要したのは初めての事だった。待つこと数秒、急に外が静かになったことに気付く。
「……」
予期せぬ沈黙。一体どうしたのだと緊張を高めつつ、耳を澄ませて恐る恐ると返事を待っていたら
「やったぁあああああああああ!!!!!!! とうとう人間さんに話しかけてもらえましたああああああああああ!!!」
絶叫に腰が抜けそうになった。そして尋常でない歓声に、これは絶対に扉を開けてはならないと確信する。俺は施錠だけではぬるいと思いチェーンロックをしてさらにドアノブをギュっと握って固定。しかしすぐさま響く『ガチャガチャガチャ(金属音)』というドアノブを外でねじる音。手に伝わる振動に背筋が凍る。
「うふふふふふふふ! やったやったやったとうとう人間さんに見てもらえました! ひっくち! うふふふふふさむいさむいさむいです! うふふふふ」
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
「うふふふふふふふふ!!」
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
――ガチャガチャガチャ(金属音)。
怖い怖い怖すぎる。
春の陽気みたいな笑い声とドアノブのたてる音に俺は凍りつく。ダメだやっぱり今すぐ警察を呼ばないと。けれども怖くてドアノブから手が離せない。だから居間の電話を取りにいけない。そしてポケットの携帯は万の悪いことに充電が切れている。最悪だ。
「あわわ! ごめんなさい! わ、私ったら嬉しすぎて!」
突如の謝罪。そしてドアノブの振動が止まる。
「あ、あの。えっと、その。……お願いですから、少しだけ扉を開けてもらえませんか?」
急に落ち着いた口調になる。
「ちょ、ちょっとだけ話をしてくれたら、それで良いんです」
「は、話だけならここでこうしてもできますよ?」
俺は冷静に応答した。
「ひう……。それはその、た、確かにそうなんですけど。……で、でも、やっぱりお顔を見てお話したいことが私にはあるんです」
俺にはないです。
「も、もしどうしてもアレでしたら! チ、チェーンロックしたままでもいいです! で、ですから……。す、隙間だけ開けてもらえませんか……? そしたら、私はそんな怪しくないし怖くないって、き、きっとわかってもらえると思うんです! 見たらわかってもらえると思うんです!」
いやそれたぶん一生わかりませんわ。
しかしながらドアチェーンをつけたままでいい、ということを聞いて少し考えが揺らぐ。もし適当に話だけして帰ってもらえるなら、それに越したことはない。むしろこうして住居が割れてしまってるだけに、警察に突き出して恨みを買えば、あとのリベンジが怖いのも事実だから。
どうしよう?
ドアチェーンをかけたままなら安全か? いや、もしかしたら少し開いたその隙間から刃物か何かを突然突き出される可能性もある――いや、まぁそれはこっちが距離を開ければ良いか。
よし。
という結論に達した所で俺は静かに解錠し、チェーンの許すギリギリまでおそるおそるとドアを開け、パっと身を引いた。
扉から一歩離れたトコに、麦わらの少女が震えていた。
「…………」
観察する。
年齢は16,7歳ぐらい。背は俺より少しだけ小さい、つまりは女の子としてはかなり高身長な方。格好は最初に見た通り白のワンピースに麦わら帽子で、恐るべきことに足は裸足。
やはりすごく怪しいし怖い。
けれども俺を上目遣いに伺うその目は、まるで虐待を受け続けた子犬のように怯えていた。それは寒さに震える肩と相まって、よりいっそうにそう見えた。けれども彼女の口元は、その目とは違って少しだけ笑みの形を作っていた。しかしそれも明るいものではなくて、なんというか乱暴な飼い主の機嫌をビクビクと伺う子犬のような、そんな悲痛な愛想を連想させる笑みだった。
「こ、こんにちわ……」
発せられた彼女の声。それもまた怯え怯えという感じだった。俺はその声音と表情から思う。どうやら害意はなさそうだと。
俺はドアに近づいた。もちろんチェーンを外すようなマネはしないが。
「えっと、それで用件はなんですか?」
俺は尋ねる。すると彼女は、
「え、えっと。……じゃぁまずはご挨拶からしますね」
と言ってから、ドアの方に歩み寄って来た。
間近で見れば彼女は、安い言い方をすれば目鼻立ちの整った可愛らしい女の子だった。パっと見たときは高校生ぐらいに見えたのだが、こうして近くで見てみれば同い年ぐらいに見えないこともない。あるいはこんな場所こんな出会い方をしていなければ、むしろこちらからちょっと勇気を出して声をかけてみたくなるような気がしないでもなかった。とか思っていたらみるみるうちに、なんだかその口が三日月のようにミリミリミリと裂けていき、肉食獣を連想させるような乱ぐい歯と蛇のように長く血のように赤い舌を覗かせて
「 私 っ て 綺 麗 で す か ? 」
俺はマッハで扉を閉めて施錠し、居間の電話機まで飛んでいった。
「ちょ、ちょっと待って下さい! お願いです待って下さい!」
外で何かバケモノが弁明しているがもちろんいうことは聞いていけない。受話器をとってダイヤルを110とプッシュし
「すいませんごめんなさいごめんなさいごめんなさい許してください! それからドアを締めないで下さい! 見ての通り怪しいものじゃないんです!」
「怪しくないとこ一つもなかったよ!?」
今度ばかりはツッコマざるを得なかった。
「違うんです違うんです! これはお約束というか性癖というか生まれついての性であって何か意図があってやったことじゃないんです!」
「むしろ何か意図があって欲しかったよ! 衝動レベルで今のやったのなら俺としては立てこもらざるを得ないよ!?」
ツッコミと同時に受話器を電話機にカチャンと置いてしまう。
「お、お願いですからドアを開けて下さい! ドアを開けて下さい! ブタのマネでもなんでもしますから!」
「人んちの玄関でそんなマネすんじゃねぇ!」
俺の御近所付き合いを壊滅させる気か!
「ふぇえう! じゃ、じゃぁ開けて下さい! お願いします開けて下さい! このままだと私ブタのマネするしかないじゃないですか!」
それさっき却下したじゃねーか!
「意味分からないを通り越してそれもう脅迫の域だよ!」
俺はキレ気味に吠える。
「や、やります! やっちゃいます! 生まれたてのイベリコブタの鳴きマネやります! 1、2、の3、はい」
「え~!?!? ちょ、ちょっと待って!!」
パニック状態に陥ったらしい彼女を止めるべく何か行動を起こそうとするも
「ぶ、ぶぎぃい! ぶぎぎ!!」
少女から発せられたとは思われないほどリアリティのあるブタ声に、俺は悶死しそうになった。追い打ちをかけるように彼女は言う。
「ど、どうですか!? ま、まだ扉開けてくれませんか!?」
「やっぱり脅迫かよ!」
「こ、これでも開けてくれないなら! わ、私イベリコブタが子豚を出産するときにあげる悲鳴をここでやります! え、M字開脚になってやります!」
マジで洒落になってねぇ!!
「あ、開ける開ける開ける! 開けるからそれだけはやめて! ここにいられなくなるからやめて!」
半ば叫びながら玄関までダッシュし、鍵とチェーンロックを自爆装置解除の勢いで外して扉を全開して飛び出た。
すると表には、白ワンピの女の子が涙目でM字開脚し、それを血相変えて見下ろす俺という構図があって、もちろんご近所様にしっかりと見られていた。
*
「あ、あのう……本当にお邪魔しても良かったんですか?」
室内。チャブ台の手前で正座しつつ、ビクビクと上目遣いをしながら麦わら少女が言う。お前がそこまでネバったんだろ、と今更突っ込む余裕も元気もないので、俺は無言でお茶二人分をテーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます。……えっへへへ。なんか無理言っちゃったみたいで悪いです。ふふふふ」
可愛く笑いながら、少女はお茶を御行儀よく両手で持って飲み始めた。
「こうしてお部屋に入れていただいた上に温かい飲み物まで出してもらえて、私すごく嬉しいです。あ、そうだ。反対に私にしてほしいってことありますか? な、なんでも遠慮せずに言ってください」
そのままお茶飲んで帰ってくれると嬉しいです。とも今さら言えなかった俺は、早々に本題を持ち出すことにした。
「えっとじゃぁ、早速だけど俺への用事を教えてくれませんか?」
裸足で猛追してまで果たしかったこととか、などと彼女の向かいに座りながら言って、俺はお茶を手にした。このいろいろな意味で得体のしれぬ少女に最も迅速かつ確実に帰って頂くためには、用事を聞いてそれをさっさと済ませてしまうのが上策だと思ったから。
すると彼女はパチクリとマバタキをしてから小首を傾げ
「ブタのマネはもう良いんですか?」
「一回も要求してないからね」
釘を刺しておいた。
「あ、はい。……そ、それじゃぁ遠慮無く早速言っちゃいますけど、あの……さっきも言いましたが私に話かけながら体を触ってもらえませんか?」
人生19年。生まれて初めて痴女に出会った。
「すいませんそれどういう意図なんですか?」
眉を潜めながら言えば、彼女は急に赤面して
「ご、ごめんなさい! あ、あの。私に触るのが汚いって思ったら棒とかで突いてもらっても良いんです! 死ねよ雌豚とか罵倒しながら、ベルトで鞭みたいに叩いてくれても良いです!」
これは早々にお帰り頂かなくてわ、 病院に。彼女はさらに言う。
「わ、私こう見えて結構我慢強くって、あ、でも両目えぐられたらさすがにちょっと声あげちゃいますけど」
「片目の時点で叫ぶべきだよ!」
迷わず突っ込めば彼女はビクリとなり、
「じゃ、じゃぁお好きな穴に指でもなんでも入れてくれたらそれで」
選べる三種。って
「そんなことしてたまるか!」
ノリツッコミ的に言えばまたビクリとなったが、彼女は涙目になりながらも前のめりの姿勢を取ってきて
「じゃ、じゃぁどこなら触ってくれるんですか!? 棒もムチも目もダメっていうなら、私のどこを揉んでくれるんですか!?」
「ちょっとまって! なんか『触る』から微妙に進化してる! ていうかいやいやなんでお触り前提で話進行してんの!」
「要件言ってって言ったのは貴方じゃないですか! だから私は貴方の言うとおり言ったんです!」
言いながらバンバンとちゃぶ台を叩く。もはや麦わら少女は逆切れの域である。されどこのまま刺激するのはぜんぜん良くない。また口が裂けかねない。まずは落ち着かせよう。ただし安易に提案に乗るのは下策。ちょっとだけ乗りたいけど、いやいや何いってんだ。そうじゃなくて、まずはなんとか話題を変えなくては。
「そ、それより! さ、先に名前教えてよ! まずはお互い自己紹介だよ!」
戦々恐々に話題転換を測れば、彼女はテンションそのままに
「夕凪メイです! 低身長Cカップ処女です!」
「ありがとうございました! そして後半は聞かれても黙ってるべきものだよ!」
「で、でも貴方が揉んでくれたらDも夢じゃないです!」
「重ねてありがとうございました!! じゃなくて! メイちゃん言う必要ないこと言い過ぎだよ!」
言ってから気付いた、なんで俺いきなりそんな親しげにメイちゃんとか言ってんだよと。そしてそのとき覚えた恥ずかしさをかき消すべく、俺まで言う必要のないことを言ってしまう。
「て、ていうか話しかけながら触ればなんかいいことあるの!?」
と。
すると彼女は大きな声で言った。
「だって人間からの接触がないと妖怪って消えちゃうんです!」
またアホな話を始めましたね、ほんと。