第零零幕 勇者様と番人
『……実験……動物?』
『うん、そう。まぁこの話は、また後でしようじゃないか。それよりさぁ……』
あの日から、三日が経過した。
結局あの後勇者は、用事があると研究室を去ってしまい、今日まで顔を合わせていない。
この三日間はとても長かった。
勇者が何時来るのかと一日中研究にも身が入らず、しかし結局来ることは無く。
悶々とした日々を、ワタシは今過ごしている。
永い時をずっと一人で生きてきたワタシが、まさか三日を長いなどと感じるなんて。
これが恋というやつなんだろうか? 久しく感覚を忘れて……いや、初めてかもしれない。
そうするとこれが、初恋、というやつなのだろうか?
この歳で、初恋……唐突に、自殺願望が湧きあがってくる。死ねないけれど。
「初恋は叶わないってジンクスは、割と有名だよねぇ。こっちの世界ではそうでもないのかな?」
「――っ!?」
「まぁ、番人のそれは恋とは違うみたいだし、大丈夫だとは思うけど。あ、なんなら僕に恋して、ぱーっと派手に散ってジンクス回避してみるぅ? 初恋さえ無難にやり過ごせば、後は恋し放題だよ?」
この男は、何を言っているのか。
唐突に、それでいて当たり前のように私の椅子の背もたれに肘をかける勇者。
この三日間、何をしてたんだとか。いつもいつも急に現れるなとか。
言いたいことは沢山あったけど、今言わなくてはいけないのは別の事。
つまり――
「ワタシの純情を返せ! このデリカシー皆無野郎!」
「あっはは。番人が声を荒げるなんて珍しいねぇ? カルシウム足りない? そもそもこの世界にカルシウムという物質があるかどうかも怪しいけど。この世のモノは全部魔力製ですとか普通にあり得るよねぇ」
あぁ。
なんなんだ。
なんなんだこの男は。
人の心は勝手に読むは、デリカシーはマイナス値だわ、おまけにワタシが真面目に声を上げているのに、茶化して受け流すだと?
あり得ん。死刑だ死刑。死ぬかどうかわからないけれど。
なんでワタシは、こんな男に一時でも惹かれたんだろうか。やはり長い間孤独で心が弱っていたのだろうか。意味分からん。
「心が弱ってたのも有るだろうけど……多分僕のちょっとした体質のせいかなぁ」
「……意味が、わからない」
ワタシが後ろを向くと、そこにはにやにやと笑う勇者の姿が。
瞬間的に魔法を放とうとしたのだが……
「……あ、れ?」
「魔法発動阻害……の言霊だよ。まぁ、ちょっと呟いただけなんだけど、ここまで効果があるもんなんだねぇ」
「……もう……なんなのよこいつ」
「あっは。勇者だよ」
勇者は軽く笑い、そして次の瞬間には真面目な顔をしてこちらを見てくる。
切り替えが早い。
「前にさ、僕が実験動物うんぬんっていう、変な話をしたでしょ?」
「……ええ」
「僕は元の世界で、生まれた時――いや、生まれる前から改造に改造を重ねられててね。こっちの世界で言うと……そうだな。魔物と人間を合体させるような研究の、被験者だったんだよ」
「……まさか――合成動物実験!? この世界では重罪だけれど!?」
「うん、正にそんな感じ。幸い”外”は全然弄られてないんだけど、代わりに”内”がめちゃめちゃになっててねぇ……僕の能力は、『盗思』と『魅了』、あとは『超感』っていうんだ。びっくりするほど諜報専門なのさ」
そういって、何故か胸を張る勇者。
しかしその内側は――。
駄目だ。キメラなんて物騒な例えを相手が持ち出してきたせいで、勇者が急に異形の生物に見えてきた。
……いや、それはいつも通りか。
「酷いねぇ……まあそんなわけで、多分番人が歳がいもなくドキドキしちゃってるのも僕の能力のせいなんだよね。そこまで強制力のあるものじゃないけど、番人にはよく効いたみたいだよ。……ぼっちには効果が高いのか」
「……おい表にでろ勇者」
「あっはは。冗談だよ。本当はぼっちというか、孤立無援って感じだもんね」
「……より酷い」
「あっはっはっは……じゃあまあ、こうやって番人にも会えたことだし、僕はそろそろ行くね」
ギシ、とワタシの椅子の背もたれを軋ませながら身を離し、そして立ち去ろうとする勇者。
その背中に、ワタシは声をかけた。
なんだかんだいっても、勇者を待っていたのは事実だから。
いくら勇者に幻滅したふりをしても、勇者から能力のことを聞かされても、まったく色褪せないこの感情にしたがって、もう少し勇者と一緒に居たかったのだと思う。
「……どこへいくの?」
「魔王退治。〝言霊〟が完成したからねぇ」
「……魔王……退治!? ちょ、ちょっと待って。それは――」
退治。普通の勇者なら、”まず為し得ない”ことだが、この勇者なら――
それは少し、不味いかもしれない。
私は王になるべく協力するように言われているし、魔王が本当に退治されたら人間がどうなるかも分かっている。
焦る私に、勇者は芝居がかった仕草で振りかえり、こちらに戻って来た。
「あぁ、大丈夫ダイジョーブ。本当に退治する訳じゃなくて、封印するだけだから。確か、魔力の高い人間の肉体が、器として最適なんだよねぇ? 番人の論文、参考になったよぉ、ありがとね」
「ッ!? あなた、まさか、」
それは。
その発言はまさか。だとすると、退治よりもずっと危険が伴うもので――
目を見開く私に構わず、ずい、と顔を近づけて。
「僕に封印すれば、一件落着でしょ?」
そう言って勇者は、いままで見たこともないくらい優しく微笑んだ。
「……ど、どうして……」
「ん?」
「……どうして貴方は、そんなことができるの? 首輪が無いということは、私達の国の企みには、とっくに気付いているんでしょう?」
私達は、勇者をただ生贄として呼び出すのに。
それを知ってもなおこの人は、この世界を、ワタシ達を、救おうと言うのか。
「救うよ――僕が、救世主になる」
「そん、な……」
信じられなかった。
もしかすると、異世界の人間は皆そうなのだろうかと疑ってしまう。この勇者の言葉に善意など、慈悲など、少しばかりも含まれず。
ただただ事務的に空虚な事実を述べている風なのが、信じられなかった。
正義感があふれている訳でもなく。本気で世界に同情し、魔王に対して憤っている訳でもなく。
些細な決定事項のように、世界を救うと口にできるその精神が、信じられなかった。
「そう、そうだよご明察。僕は善意でこんなことを言ってる訳じゃない。この世界に対して同情などこれっぽちもしてやしない」
勇者が言葉を紡ぐ。
「僕はただただ、僕のために、世界を救ってやるんだよ」
「……自分のため?」
「うん。この世界には、もう少しお世話になるつもりだからね。生活環境はよりよく整えないと」
おもわず、脱力してしまう。
「……そんな、お引っ越し感覚で言われる方の身にもなって」
「うん。無理」
笑顔で言い切るな。
……でも、これなら、大丈夫そうかな。
ただの自己犠牲なら、止めようかとも思ったけど。
でも勇者は、ちゃんと”魔王をどうにかした後”まで見据えている。
これなら、安心できる――あれ?
ワタシは何に、安心したのだろうか。
「きっと、僕が危ない事をしないことにじゃないかな? 恋って、意外とやっかいなものなんだね……今まで僕の『魅了』は使えない能力だと思ってたんだけど、認識を改めなきゃかな?」
「……そう。そうなの」
「あっれ。さっきまでの荒ぶる感情はどこへやら。随分と殊勝ですね番人さん」
「……はあ。ワタシが貴方に惚れているという事実が消えないと悟った。本当に、厄介」
「あっは。今から僕、結構酷いこと言うけどさぁ……好きな人が居るんだよね。というか、王女様なんだけど。だから、番人とはどうこうなれないよ? 恋がしたいんだったら、近衛辺りからイケメン引き抜いてきてやろうか?」
「……それでも、いい。……近衛は、無理」
「無理とかっ。あっはは。そんな嫌そうな顔しないでもっ。くっくく……ドンマイ、アレン君……時代はロリコンに厳しいっ……」
何故か笑い転げる勇者。
なんとなくだけれど、勇者が王女のことを好きなのは分かっていたもの。
なにせ、勇者からふる話題は半分くらい王女のことだった。
分からない方が逆に難しいレベル。
それでも、ワタシの気持ちはそれでもいいと思っていた。
それは、確かにあちらからも愛してくれればそれがベストだけれども。
ワタシは叶わない恋でも、大丈夫。この感情自体が貴重なのだから。日々に彩りを与える、この魔法よりも素晴らしい感情が。
ふいに、勇者がこちらに手を伸ばし、ワタシの頬のあたりを掠めていく。
「……なんで泣いてるのかって問えるくらい鈍感なら、いっそ良かったんだけど。でもごめんね。僕は一人の女性しか愛せない」
「……あぅ、な、泣いてなんか、っぐ……」
「そろそろ、いくね。
じゃあ、〝死と絶望の魔女、クルーエの呪いを、壊せ〟〝呪いは、完全に無力となった〟〝クルーエは、十二歳の女の子の容姿を持っている〟〝本人が望むまで、クルーエは不死となる〟”クルーエが望むなら、その身体は灰となり、世界に散る〟」
勇者が最後に何事かを、早口で呟いた瞬間。
ワタシの頭にあった、頑丈な鎖が、バラバラになって、消えた。
次いで襲ってくる、虚脱感。
そして何百年かぶりに見る、”色の付いた世界”。
強烈な視覚情報が、脳を焼く。
頭がくらくらする。身体の方もふらふらとして、思わず書類だらけの机に倒れてしまう。
「っぐぁ!?」
「……ん? なんだ、色も奪われてたんだ……流石に気付かなかった。ごめん、〝適応しろ〟」
勇者の一言で、さっきまでの不調が嘘のように治る。
……もう、なにがなんだか。
「とりあえず、番人の呪いだけ解いたけど。ついでに不老不死もプレゼントぉ」
「…………」
「あれ? どした? まあいっか。じゃあ、やることやったんで僕はいくねー。ばいばーい」
「…………こんなの、デタラメ……」
初めてみた、”色のついた”勇者が扉に向かい、今度こそ出ていってしまう。
ワタシはそれを止める気力もなく、ぼんやりと見送る。
ただ、勇者が白黒の世界でみていたよりも。
ずっと優しげな顔をしていたことばかりが頭を巡り、赤面していた。
あの、反則勇者め……カッコいいじゃないか畜生。
そんな思考になってしまうあたり、呪いは解けたようでももう一つの呪いは健在のようだ。
次は……いつ会えるのかな?
ワタシは柄にもなく笑みを浮かべ。
背もたれに寄りかかり――そのまま後ろに倒れた。
「くぎゅ」
それがかつて死と絶望の魔女と呼ばれ、魔王と並ぶほどの災害と恐れられ。
現在は、もっぱら勇者様の被害者な。
ヘルリアス王国王城禁書庫番人、「クルーエ」と件の勇者様のお話。
これで、完結。本編の前日談的なお話でした。
壊れたキャラばっか出してると、王女様が恋しくなりますね。
……ああ、でもあの娘も勇者起こすために城の中で聖剣使っちゃうような娘でしたか……