第零幕 勇者様と番人
ジ――、ジジ、ジ――――
魔導機械の駆動音が、静かな研究室に響く。
ワタシはこの空間が、好きだ。このワタシだけの静謐に満ちた空間が。
でも最近は、少しもの足りないように感じてもいる。
原因は、わかる。三日前に我が国に召喚された勇者。彼がワタシの研究室に来るようになってから、ワタシは時々自分ひとりの静けさに憂鬱になる。
いままで誰が来ても、そんな事は無かったのに。どうしたのだろうか、ワタシは。
勇者。それはつまり、国のためにささげられる異世界の生贄だ。この制度を考えたのは、何を隠そうこのワタシ。もうずっと前、少し落ち着きが無かった頃に、思いつきで異世界の強力な魔力の保持者を利用できないかと試行錯誤していたら、偶々できてしまったのだ。
それが当時の王の目にとまって、今に至る。
そろそろ、この制度も魔王に対する一時的な抑止力にしかならなくなってきたけど。
やはりもう、魔王は魂まで滅ぼしてしまうべきだろうか。いやしかし……
ワタシの思考は、ぐるぐると低徊を始める。良くない兆候だ。こう言う時は、なにか刺激を加えないと。
「こんにちはぁ~。番人いるかな?」
表面上は弾んだ、明るい声。しかしその実誰よりも無機質さを感じさせる声。
勇者だ。最近は、書庫と研究室を行き来していろいろしている。
ワタシは“書庫の番人”と称されることもある。実際に、あの禁書指定の魔導書が山ほど置いてある書庫が人の眼に触れないように長年守り続けていたから。
でも、この目の前の青年には、すんなりと書庫の鍵を渡してしまった。何故だろうか。勿論、彼が禁書に抗えるだけの魔力を保持しているというのも一つなのだけど。なにかが、引っかかるのだ。
「あれぇ? 番人~? ……って、いたいた。またそんな大きいイスに身体を埋もれさせてぇ。もうちょい身長にあった奴使えば……あ、それだと机にとどかないかぁ」
「……きゃ!? ……勝手に後ろから抱きつかないで」
……びっくりした。
あと、身長のことは余計な御世話だ。これは、代償だから。
「ふぅん、そっか。なんならその“呪い”、解いてあげようかぁ? その後に好きな年齢で固定すれば……うん、いいねぇアイデアが湧いてきたよー。早速研究室借りるねぇ」
「……貴方の読心術は、一体どうやっているの? これでもプロテクトは完璧なはず」
「強いて言うなら、生まれつきみたいなぁ? 企業秘密ですぜ。ククッ」
勇者はそう言って黒い笑みを浮かべ、機械の山に埋もれて行った。そういえば、ここの機械を使いこなせるのも、ワタシを除けば勇者しかいない。別に、大した話じゃないけど。
呪いを解く、か。それができたとしても、そんなことをしたらワタシは……
「あ、それと番人。一つ言っておかなくちゃなんだけど」
「……何?」
「多分番人の呪い、解いてもすぐに死ぬようなものじゃないと思うよぉ? 適切に処置すれば余裕でしょー。だから不安がらないでもいいんだぜ?」
「……そう。ワタシが百年かけてできなかったことを、貴方は成し遂げると言うの?」
「うん。それも、片手間でねぇ。ククッ」
「……ふん」
不愉快だ。この軽い言い草も、態度も――そして、それを本当に成し遂げてしまいそうな所も。
「番人に死なれたら、僕はいろいろ困るしねぇ。施設を使えなくなるかもだし。あと、僕が触っても壊れない唯一の人間だし」
「……ワタシは人間じゃない」
「元人間なら人間みたいなものでしょうよぉ。僕もそうだしぃ?」
「……え?」
「あ、なんでもない。じゃ、そう言う訳で~」
今の発言は一体、どういうことなのだろうか?
勇者も、というのは……前の世界で何かあった? 駄目だ、考えてもわからない。
「……ふぅ……」
それより、自分の研究をしないと。テーマは、魔王の効率の良い封印方法。
一応、魔力の高い生体に封じ込めるのが最も理想的という結論がでたのだけれど……それだと規定魔力に達する生体自体が希少すぎるのだ。
流石に、ワタシ自身で封印をするほど、愛国精神を持っている訳ではないし。
さて、どうするか……
―――
「番人~。ちょっと見てほしいものが有るんだけどさぁ」
「……今忙しい」
「えーそんな事言わずにこっち向いてよぉ」
「……」
「はぁ、仕方ないなぁ……〝こちらを向け〟」
ガクン!
勇者の言葉になにか、とてつもない力を感じた次の瞬間。
私の首は勢いよく椅子の後ろ、勇者のいる方へと向けられた。それも私の意思とは、全く無関係で。
「……っ!?」
「お、番人レベルでも成功するんだぁ。いいね、これ」
「……今のは、何?」
「ん~、僕の魔法の集大成、みたいな感じかなぁ。言霊って名付けたんだけど。まぁ簡単に言うと、言葉にした事を強制的に実現させるんだよ~」
……言葉にしたことを、そのまま?
馬鹿な。そんなことができるはずがない。
なんて一笑に付することは、この勇者に限っては愚かな行為だろう。
何せ彼の魔力は底が知れない上、彼は天才的過ぎたから。この短い期間で、史上誰も成し遂げなかった魔力の行使方法を確立させていても、おかしくは無い。
「……ちなみに消費魔力は?」
「番人一人分には流石に届かないけどぉ……王女様三人分くらいかなぁ」
「……貴方の魔力がどうなっているのか、気になる」
一回の魔法の行使で、それだけ魔力を使うなんて。
しかも用途に合わせた魔法を使うという手段もある中で、この言霊はあまりにも燃費が悪い。
しかしその問題も、この男の前では無いに等しいんだろう。
ワタシの目の前で平然とへらへらしている様子からも、この彼から魔力が減った様子が無いことからも、それは明白だ。
……全く。悉くワタシ達の常識を撃ち砕いていく。
本当に勇者は、もう。
でもそんな勇者にワタシはきっと、惹かれていたんだと思う。
今までワタシを恐れない人間からして、もう居なかったから。それはある意味、必然かもしれなかったけど。
まさかワタシにまだ、こんな感情が残っていたなんてね……
勇者が前に言った言葉。
「元人間なら人間みたいなものでしょ」と。
確かにワタシはそうみたいだよ、勇者。
―――
「……勇者」
「なに? 番人」
「……私の名前は、クルーエ。絶望と死の魔女、クルーエ」
「へぇ、そうなんだぁ。なんか凄いねぇ」
「……貴方の名前を、教えて」
……よし、言えた。言ってやった。
勇者と出会ってから、一週間。これまで勇者の名前すら。
好きな人の名前すら知らない事に、思いあたったのだ。
思い立ったらすぐ行動、と言う訳で、こうして聞いている次第である。
しかし、勇者の反応は芳しくなかった。
「……名前。名前ねぇ……うーん」
「……もしかして、言えない理由がある?」
「や、そういう訳じゃないんだけど……はぁ」
勇者は珍しくため息をついてワタシを見つめ、そしてこう言った。
「僕さぁ。名前って無いんだよね」
……何を言っているのだろうかこの男は。
「……本当に?」
「本当に」
「……本当の本当に?」
「本当の本当に。そんな疑わなくてもいいじゃないさぁ」
「……だって名前が無かったら勇者は……どうやって魔法を使っているの?」
少しつっこんだ話になるのだが。
魔法と言うのは、魔力を世界に捧げることによって発動する力だ。
捧げる力が多ければ多いほど、その力によってできることも大きくなっていく。
そしてその「魔力を捧げる」という段階で必要なのが、「名」だ。
名が無くては、そもそも世界に魔力を受け取ってもらえない。
世界は名によって受け取った魔力の主に、力を与えるのだから。
だからこの世界では生まれてから何よりも先に、名が与えられる。
逆に言うと、人間は「名」を持っているからこそ魔法を使えるのだ。
伝説とされる龍達も。名が有るから。伝説は伝説足り得る。
名のない魔物は、魔力こそ高いものの魔法が使えないのはそういうこと。
個人を強く意識させるアンカーがなくてはいけないのだ。
しかしこの勇者は、名が無いと言う。
では勇者が魔法を使えているのは、一体どうしてなのだろうか。
……一つだけ、考えられることが有る。
それは、勇者が「名」さえ必要ない程、世界に意識されているという可能性。
異世界人ということもあり、あり得ない話ではないが……
それはつまり、最も強く世界の干渉を受ける、ということだ。
名というのは、世界に対して自身を示すと同時に、世界の行きすぎた干渉から自身を守ってくれる。
そしてその干渉とは、魔力が高ければ高いほど強くなるものなのだ。
では、勇者は?
信じられない程の魔力を持ちながら、「名」を持たないと言う勇者は、本来であればこの世界にきた瞬間にでも、世界によって存在を破壊されてしかるべきなのだが。
何故こんなにも、平然とワタシの前に立っているのだろうか。
ワタシは、問う。
「……貴方は一体……何者なの?」
「僕? 僕はしがない実験動物。今はしがない、勇者様さ」
勇者はそう言って、嗤った。