18
「ただいまー」
二階の住居スペースの玄関を開けた。靴が一足。それを確認してセキは居間に入った。
「おかえりなさい」
中にいたのはクロエだけだった。
「後の二人は?」
「調査に出てます」
「そう。私が一番乗りか」
「帰ってくるの早かったですね。日をまたぐのかと思ってました」
「用件だけ済ませて帰ってきちゃった。里に帰って懐かしむつもりもないからね」
セキは背伸びをしながらソファーに座り、身を預けた。
「はぁ。けど、代わり映えのない里っていうのは、どうなのかしらね」
苦笑いを浮かべるセキに対して、クロエは優しく微笑み言った。
「ですけど、それは平和な証拠ですし、いい傾向ですよ」
クロエがいた場所は人間との共存が崩れてしまっていた。
一階の事務所のチャイムが部屋に鳴り響いた。事務所と住居のチャイムは音が違うため、お客が来て、チャイムを鳴らせば分かるようになっている。
「あら、お客さんね。クロエ、詳しくは二人が戻ってきたら話すわ。先に対応してきて。着替えたらすぐ行くから」
「分かりました」
クロエは踵を返し、居間から廊下へ。すぐにある階段を降りた。外にも玄関同士を繋ぐ階段はあるが、お客様がいる玄関で鉢合わせするわけにはいかない。仕事中の時間に事務所に誰もいないのはいけない気がする。
というか、ダメである。イメージ的にも信頼度が大切なのである。仕事してなくても、してました雰囲気が必要である。しかも、降りる音もたてるわけにはいけない。急いでいてもだ。その点、クロエには得意分野ではある。不本意ながら。クロエは竜だから、飛べる。
「お待たせいたしました」
慌てていても営業スマイルは忘れない。
「あのアシュ・レイ探偵社はここで合ってますでしょうか?」
不安そうに聞いてくる女性。普段、お客さんは二十代以上の男女。だが、目の前にいるのは制服をきた学生。どうみても、十代である。
若い子が依頼に来るなんてと内心、クロエは焦ってはいたが表には表情を出さずに、そうでよ、と冷静に答えて、部屋の中に通した。
客席のソファーに案内してから、クロエが飲み物を出している最中にセキが仕事の恰好で降りてきた。
「お待たせしました。セキ・アテニティです」
名刺を彼女の前に置いた。少し緊張してうつ向きかげんで名刺を受け取ってもらえなさそうだったので、とりあえず、形だけに留めた。仕事で普段掛けている眼鏡を外して威圧感を与えないようにした。
「あの。アヤカ・シンカーといいます。ここはどんな事もしてくださると聞いてきたんです」
「えぇ、そうよ。ご依頼は何かしら?」
「あの、この子を探して欲しくて」
アヤカが鞄から出したのは猫の写真。基本色は茶色、黒の斑が散らばっている。
「モカといいます。昨日からいなくなってて。友達に相談しても、元々モカはノラ猫だから、すぐに帰ってくるって。でも、逃げ出したこと飼ってから一度も無いから。心配で、警察には相談しにくくて」
「そうね。モカちゃんを飼っているのはあなただし。依頼したいのなら、お受けするけど?」
「本当ですか?」
「えぇ」
相談しに来たものの、まさか猫の捜索をしてくれるとは思わなかったのだろう。最初は不安気だったアヤカも少し安心したようだった。
「ぜひ、お願いします」
「分かりました。何かモカちゃんが使ってた物とか持っていたら、預からせてもらいたいんですが」
「使ってた物、おもちゃでもいいですか?」
「はい」
アヤカは鞄からネズミのぬいぐるみや猫じゃらしが入った袋を出した。
「ありがとうございます。預かりますね。後ご連絡先を教えてもらっていいですか?」
「はい」
携帯を取り出して、見せてくれた。名前と電話と住所が写っていた。
「では、名刺を渡しておきますので、何かありましたら、ご連絡頂けますか?」
「はい。よろしくお願いします」
アヤカはお辞儀をして、帰っていった。
「ということで。ユズ、よろしく」
「……え?私ですか!?」
階段の踊り場でトーリと隠れていたユズは急に仕事の指名を受けて慌てた。まさか、自分だとは思っていなかったのだから。
「ユズ、こういうの得意かなと思って。無理なら、トーリに頼むけど……」
「やらせてください。てか、やります!」
「いい返事。じゃあ、この依頼はユズに任せるから。分からないことはトーリに聞いて」
「はい!」
アヤカはアシュ・レイ社からマンションに帰ろうとして、入口に見知らぬ男の人を見かけた。
花壇の塀に腰を掛けていた。何かを見る眼差しは柔らかく、男の人には失礼な言葉で言うと綺麗な顔立ちで。あまり日焼けしていない肌は女の人に匹敵するほど滑らかだった。それに似合わない手首と指のごついアクセサリーがなんとも言えない雰囲気を醸し出していた。
膝の上に何かを乗せている。
猫だ。そう、猫。しかも、見たことのある茶色の猫。 アヤカはすぐに駆け寄った。
「あの。その猫……」
「もしかして、君の?」
声を掛けると男の人は顔を上げた。その目に吸い込まれそうな水色の眼。
「そうです。どこにいたんですか?」
「ここを通りかかった時に、このコがうろちょろしてたから、この辺りのコかなと思って、ちょっと待ってみたんだけど正解だったみたいだね」
男の人はアヤかに猫を渡して、よかったね、と猫の頭を撫でた。
「あの、よかったら何かお礼をしたいんですが……」
「お礼かい?んー。たまたまだし、気を使わなくても大丈夫だよ」
「じゃあ、何か飲み物でも」
「そう?なら、頼み事してもいい?」
「私に出来る事なら」
「うん、もちろん。――なら、君の、血をもらえるかな」
「えっ?」
刹那、アヤカは意識を失った。
ふと目を開けると、見知った天井。カーテンからは朝日の光が溢れていた。いつもと変わらない朝。いつも通り迎える一日。
だか、アヤカは昨日の部屋に入る時から寝るまでの行動が思い出せない。むしろ、マンションに入るところからプツリと記憶が途絶えていた。
のに、猫が自分の足元で丸くなって寝ているのを見た途端にそんな事実などなかったかのようにアヤカの疑問は消え去った。
「アシュ・レイ社の人に言いに行かなきゃね。帰ってきたって」
アヤカはそう言うとベッドから降りて朝食の準備を始めた。