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噂の「ふふふ」裏部活動

学校ゾンビとスケープゴード説

 1.


 「今日もゾンビを呼び出そうぜ」

 と、俺は言った。ゾンビというのは深田ってな男子生徒のあだ名だ。いつも眠たそうで無気力だから、そう俺がつけたんだ。このゾンビは情けない奴で、何をされても大体は無抵抗だ。だから俺達はおもちゃにして遊んでいた。

 休み時間や放課後になると、皆で呼び出して殴ったり蹴ったりをする訳だ。もちろん、手加減はしているぜ? 顔だとか目立つ場所は殴らない。腕だとか腹だとかを主に攻撃するんだ。せいぜい痣ができるくらいだ。死ぬような事はない。後、少しは金を貰ってもいる。と言っても、強請りって訳じゃない。ただ、漫画とか雑誌とかゲームとか、そういうのを買わせているだけだ。だから犯罪じゃないはずだ。まぁ、ほぼ無理矢理だけどな。あ、これ犯罪になるのか? まぁ、どうせばれないから、別にいい。

 一年の頃、いじめていた奴が転校しちまってから、俺達のグループは、今年に入ってこの深田をいじめ始めた。別に計画を立ててどうこうって訳じゃないんだが、ずっといじめていた奴がいなくなって、なんてぇのかな?“習慣”みたいのが崩れた気がして、その抜け落ちた“穴”を埋める為に、まぁ、俺が抵抗しそうにない奴を探して、仲間を誘ってまた始めたって訳だ。多分、これはスポーツみたいなもんなんだと思う。

 悪い事だとは思っているよ。でも、周囲の奴らも何も言わないし、ま、これくらいは何処にでもあるのじゃないかと思う。許される範疇さ。多少は“仕方ない連中だ”くらいに思われている感はあるが、結局は見て見ぬふりだ。教師だって同じだぜ? 今日だって、俺達がゾンビを連れて教室を出ていくのを、何も言わなかった。同じクラスの卜部って女が化粧道具を持っているのを注意していて、俺達はスルーさ。

 「卜部、なんだこの化粧道具は?」

 なんて言いながら、横目で教師が俺達を見ているのに俺は気づいていた。ゾンビはわずかに表情を歪めて、助けを求めたそうな感じだったが、結局は黙ったまま。

 「先生、これはあたしの練習道具ですよ。あたし、演劇部で衣装とかメーキャップ担当なんです。顧問にだって許可貰ってるんだから」

 なんて卜部が返すと、「本当かぁ?」と教師は言っていた。ゾンビは何も言わない。教師も。そしてそのまま教室を出る。俺はその時、思わず口元を歪めて笑った。

 誰にだって息抜きは必要だ。こんな楽しい事をやめられる訳ないだろう。止められて堪るもんか。

 少し心配があるとすれば、この学校にはスクール・カウンセラーがいるって点だろうか。去年までいじめていた奴は、結局は利用しなかったみたいだが、この深田は分からない。ま、簡単には頼らないだろうとは思っている。何故なら、いじめられている奴にもプライドがあるからだ。いじめられるのは恥ずかしい事だと誰もが思っている。それで、それを誰かに告白する気にはなれないのだろう。

 こんな酷い扱いを受けているのに、それでもプライドを護りたがるってのが、俺には理解できないが、どうもそうらしい。何だか笑える話じゃないか。だから俺は、もっとそのプライドをズタズタにしてやりたくなる。もしもこいつがいなくなったら、次のターゲットを探せば良いだけの話だ。

 俺達は空いている教室に、ゾンビを連れていった。いつものリンチの始まりだ。音が漏れないようにドアを閉める。俺はゾンビをまずは投げ飛ばしてやった。倒れこんだ奴を皆が囲む。

 不安そうな顔。俺達を恐れている顔。その情けない表情がむかつく。でもだからいい。だからこそ、“いじめ”が楽しいんだ。俺は手をグーにして構えた。

 さて……

 しかし、そう思ったところで、教室のドアが開いたのだ。ガラッという音。

 「あれ? 何をやっているの?」

 そして声がする。振り返ると、さっきの卜部って女が化粧道具を持ってそこに立っていた。

 「無断でここを使わないでよ。あたし達は許可を取っているんだから」

 そして、卜部はそう言う。後ろには他の生徒達もいるようだ。

 「今からここで、メーキャップと演劇の練習なの。演劇部の」

 それから、卜部はそう続けた。更によく見ると監視の為だろうか? 後ろにいる一人は教師みたいだった。俺は「チっ」と舌打ちすると、仲間を連れて教室を出た。


 2.


 女性スクール・カウンセラーの塚原先生は、カウンセリング・ルームで、いかにも面倒臭そうな態度で生徒達と喋っていた。ただ、それが本心から面倒臭がっているのかと言えば、それも違うのかもしれない。この先生はいつでも面倒臭そうに見えるのだ。これでカウンセラーが勤まるのかと疑問に思いたくもなるが、話は真面目に聞くし、作ったような感じがない分、却って信用できそうな印象を相手に与え好印象を持つ来談者も多いのだとか。お蔭で緊張がほぐれるという効果もあるのかもしれない。世の中、分からないものである。

 その時、そこで先生と会話していた生徒は、綿貫朱音と吉田誠一の二人だった。二人とも、少々、癖があり、教師によっては対応に困る生徒達かもしれない。特に吉田誠一は扱い難い。綿貫朱音はまだ、慣れるまでは大人しいのだが、吉田誠一は常にマイペースで若いくせに変な知識だけは豊富に持っているという、上の立場の人間にとってはあまり面白くない特性を持っていた。ただし、塚原先生は二人ともに問題なく接する事ができていたが。

 「スケープゴード説ですか?」

 と、吉田が言う。この三人は今はいじめ問題の話で盛り上がっていた。

 「なんだ、不満そうだな?吉田」

 と、塚原先生はそれに返した。スケープゴードとは無実の罪を着せられた犠牲者の意味だと思ってくれて問題はない。訳すと“贖罪の山羊”。原義は、旧約聖書において、贖罪の日に、人々の苦難や罪を食わせて、荒野に放した山羊の事だが、転じて「身代わり」や「生贄」を指す言葉ともなった。

 「僕はあまりその説は好きじゃないんです。“いじめ”という現象を理解するのには、あまりに単純過ぎるような気がする。確かに一要因にはなっているでしょうが、“いじめ”とはその集団の中で発生した“文化”の原型のようなものです。人と人との相互作用によって起こる集団心理現象ですよ。スケープゴード説では、個人的な“嫌がらせ”も含まれてしまう。それに、そもそもストレスがない状況でも発生するいじめもあるし、ストレスが溜まっている状況でも、いじめが発生しないケースだって存在します」

 塚原先生はそれに対し「ふむ」と言う。いじめにおけるスケープゴード説とは、集団のストレス解消手段の犠牲者として、いじめられっ子が発生する、という考え方だ。ストレス解消を担う役割を、集団内の特定の人間だけが持ってしまう。少しの間の後で、先生はこう続けた。

 「吉田らしい意見だな。確かにスケープゴード説が、全ての“いじめ”という症状に当て嵌められるとは思えないが、場合によっては、重要な考えとなる。特に、カウンセリングという実践の現場ではその点に注目してみる事には意味があると思うぞ」

 その塚原先生の言葉を聞くと、綿貫が声を上げた。

 「それは、今回、わたしが話した内容は、スケープゴード説が重要だと言っていますか? もしかして」

 それを聞くと、少し嫌な表情を浮かべつつも塚原先生は、「まだ充分に事情を知った訳ではないから、なんとも言えないが。少なくとも聞いた限りじゃそうだよ」と、答えた。

 綿貫は演劇部と兼務でメディア・ミックス部にも所属している卜部サチから聞いた“いじめ”の話をここで語ったのだ。メディア・ミックス部とは、綿貫が部長を務めているボーダレスな部活動で、部活と部活を連携させるという変わった事をやっている。もっとも、それだけじゃなく、裏では別の怪しげな活動も行っているのだが。

 「いじめが“症状”ですか。それは先生独自のセンスですね」

 吉田がそう言うと塚原先生はこう説明した。

 「多数対少数の圧倒的な有利な状況で、相手を迫害し、時には自殺やノイローゼにまで追い込んでしまう。こんな異常な行動が、病気でなくてなんだと言うのだ? 集団心理だと言うのなら、集団がかかる病だよ」

 「まぁ、そうかもしれませんが…」と、吉田はそれに答えた。

 「集団がかかる病、ですか? でも、今回のケースにはあまり当て嵌らないような気もしますけど」

 そう言ったのは綿貫だ。

 「スケープゴードって言っても、その“いじめ”の発案者はそのグループのリーダー格の男の子だけみたいですし」

 塚原はこう答える。

 「まぁ、聞く限りじゃ、集団行動と個人的な行動の中間って感じだろう」

 その後で、吉田が続ける。

 「集団の中で、誰かが侮蔑される。様々な要因によって。それが個人対個人ならば僕はそれをいじめと定義するべきじゃないと思う。しかし、それが集団内の了解を得た上で、常態で行われているのならば、“いじめ”になる、と僕は少なくともそう考えるけどね。そして、“いじめ”はその個人に何の落ち度がなくても発生する場合がある」

 塚原先生はそれを聞くと、「うんうん」と頷き、こう続けた。

 「例えば、ストレス解消目的で、誰かをいじめるようなケースがそれだな。つまり、それがスケープゴード説が当て嵌るケースだが」

 それに綿貫が少し反論した。

 「でも、それって、“いじめ”をストレス解消の手段として認識している場合だけですよね? 誰かをいじめるのに苦痛を感じる人だっている訳で。だとすると、そんな感性を持った人達の集団じゃないと…」

 その反論を塚原先生は認める。

 「まぁ、そうだな。ただし、何も集団全員がそんな感性を持っていなくても、スケープゴードないじめは発生するが。

 いじめというのは、ルールに近い何かってな性質もある。だから、そのグループの権力者が誰かをいじめようと決めれば、そこにそんなルールが発生する。他の人間は少しもいじめを楽しんでいなくても、そのルールに従っていじめている場合もあるだろうし、いじめを止めない場合もあるだろう」

 少し考えると、綿貫はこう言った。

 「それって、今回のケースですか?」

 「何度も言うが、事情を詳しく知らないからただの憶測だよ。聞く限りじゃ、そう聞こえるってだけだ。

 一口に“いじめ”って言っても、様々なタイプがある。いじめられっ子という立場でも、そのいじめられっ子が確りと仲間の一員として認められていて、それほど不幸には思えないものもあれば、一方的な迫害の場合もある。今回の場合は、一方的な迫害に思えるな。そういう一方的な迫害に快感を感じる人間ってのは、そんなに多くない… と思いたいから、今回のケースは個人的な嗜好が原因だと、私としては思いたい。カウンセラーの立場としても」

 そのセリフに綿貫はこう言う。

 「ああ、そういえば、先生はカウンセラーだったのですよね。なんだか、忘れていましたよ」

 「なんだよ、それは? 私をいじめると高くつくぞ」

 「そんな恐ろしい事はしませんよー」

 その掛け合いの後で、吉田が言った。

 「僕の印象ですが、どうにも先生は、スケープゴード説に拘っているように思えます。何か理由があるのですか?」

 吉田がその疑問を口にした理由は他にもあった。いじめを病気だと塚原先生は言った。どうにも視線が、いじめる側に向かっているように思える。人間関係とは相互作用。キャッチボールだ。“いじめ”も例外ではない。つまり、いじめられっ子から返されたボールも、いじめっ子の行動に影響を与えている。その繰り返しとして、“いじめ”が発生する。もっとも、それでも圧倒的に有利な立場にいるいじめている側が、責任という意味では重いのは事実だろうが。

 「まぁ、な」

 と、それに対して塚原先生は曖昧に返事をした。

 吉田は塚原先生の態度から妙なものを感じ取っていた。先生はいじめを“いじめる側”に主因がある病理としながらも、どこかいじめっ子に同情しているような気がするのだ。

 「なんだか、先生らしくないですね」

 その様子に、綿貫がそう言った。彼女も似たような感覚を持ったのかもしれないと、それで吉田はそう思う。

 「仮に“いじめ”が、病気なのだとして」

 それで、吉田は少し考えるとそう続けた。

 「それはどんな病気なのでしょう? どんな治療方法が考えられますか?」

 それを聞くと塚原先生は、

 「なんだ、吉田らしくもない。そんなの原因によって異なるよ。どんなケースにも当て嵌まる治療方法なんてある訳がない。いじめは“症状”であって、本質じゃない。風邪が原因の口内炎と、ビタミン不足が原因の口内炎じゃ、治療方法は異なるだろう?」

 と、そう返す。吉田としては、塚原先生を揺さぶって何かを聞き出してやろうと思って言った言葉だったのだが、どうやら失敗に終わったようだった。しかし、そこで援軍が入った。

 「具体的に、塚原先生が治療に成功した例はあるのですか?」

 それは、綿貫からの質問だった。吉田の質問の意図を綿貫は敏感に察していたようだ。先生はその質問に固まる。

 「お前ら二人を同時に相手していると、これだから嫌だよ。吉田の言葉がヒントになって、こういうのだけは上手い綿貫の戦闘能力(?)が上がるんだもんな。普段なら、中々の馬鹿さ濃縮果汁だってのに…」

 「わぉ カウンセラーとして、どうなんだ?ってな暴言ですね」

 しかし、そんな酷い暴言を言われたにも拘らず、綿貫の機嫌は良さそうだった。

 「ああ、もう分かったよ。どうせ、この学校の事じゃないし、教えてやるよ。実は一度、いじめられっ子じゃなくて、いじめっ子からの相談を受けた事があるんだよ、私は」

 それを聞くと、綿貫は少し驚いた声を上げた。

 「いじめっ子からの? どんな?」

 吉田は特に驚いた様子を見せない。彼にとっては意外な言葉ではなかったのだろう。

 「“いじめ”が止められない… ってな内容だったな。止めよう、止めよう、と思っているのに気付くとつい、いじめてしまっている、とかそんな話だった」

 それから塚原先生は目を細めると、こう続けた。

 「あれは、何というのかな? いじめ依存症とでも言うべき病だった。いじめる事に罪悪感を感じてはいる。しかし、同時にいじめを快感を得る手段としても学習してしまっていて忘れられないんだな。それで、相手をいじめてしまうんだ。自分で自分が抑えられない感じだ。もちろん、仲間も誘ってやっている事なんだが、その相談者がリーダー格で、そいつが命令しなくちゃいじめは行われなかったらしい。

 今回のケースに似ているかな?」

 感想を述べるように、吉田がこう言う。

 「性的サディストで、同じ様に、自分の恋人を虐待するのを止められなくて、苦悩している人がいるらしいです。ところが、そういう人を相手にする精神科医やカウンセラーは少ないらしくて…」

 「うん。自分の行動が、異常だと自覚できればまだ解決の糸口はあるかもしれない。普通に考えれば、誰か弱い人間を迫害したり虐待して、快感を得るなんてのが、異常だと分かりそうなものだが、なかなかそれができないんだ。自分が見えていなかったり、感覚が麻痺していたりで、自覚できない。

 いや、プライドが高い奴が多いだろうから、プライドを護る為に、その結論を避けようとするのかもしれない。異常なのは相手で、自分ではない、と思いたがるだろうから」

 その塚原先生の言葉で、いじめっ子が自分を異常だと悔いているシーンはあまりイメージできないな、と綿貫はそう思っていた。吉田が言う。

 「プライドの高さ、ですか。

 関係あるのかどうかは分かりませんが、こんな話を思い出しましたよ。自分たちの順列を重要視し、上下関係に拘る社会性動物は、例えボス的存在になっても、安心を得られない場合が少なくない。常に地位を脅かされないかと緊張し、安心感を得る為に、下位にいる者を攻撃して力を誇示する。なんだか、人間にも当て嵌められそうな話ですが」

 「そうね。何だか、ありそうな話ね」と、綿貫はそれに同意を示す。

 「そういう原因で、いじめを行っている人もいるかもしれないって事か」

 綿貫はいつになく真面目な口調でそう語った。だから塚原先生は、油断をしたのかもしれない。

 「もしかしたら、いじめを止められない“いじめっ子”は、少しも仕合せとは言えないかもしれない訳か。

 先生、どうしたら、そういう人を治療できると思いますか?」

 「もっと話を聞いてみないと分からないが、取り敢えずは自分が病気だって事と、その病理を自覚させる事だろうな。そうじゃないと、治そうって気にはならない。病気と自覚していない人間の治療は難しいよ。話も聞けないから、内情を知る事もできない」

 そう答えた後で、綿貫はにやりと笑う。そこで、塚原先生はハッとなった。

 「お前、まさか、また何か悪巧みを!」

 綿貫は「ホホホ」と笑う。

 「悪巧みとは心外です。カウンセラーだとか、勤めている立場だとか、他の先生の立場にも配慮だとか、色々なしがらみで自由には動けない先生に代わって、暗躍してやろうってんじゃないですか! 相談が来てないから、カウンセラーの塚原先生には手を出し難いでしょうが、わたし達なら別です!

 妖怪ポストに届いた手紙~ ゲッゲッゲゲのゲ~」

 「届いてないだろう? 妖怪ポストに手紙は! 依頼されてもいない事件を解決する○太郎が、どこにいる!」

 「ここにいますよ~ ○太郎じゃないですけどねー

 と言うか、確か○太郎は依頼されていない事件も解決していた気がしますが」

 「吉田も黙ってないで、止めろ」

 「面白そうなので、止めません。良いことをしようってんだから、別に良いじゃないですか」

 「手段が問題なんだ、お前らの場合は! 目的じゃなくて」

 「聞こえませんな~」

 「聞こえているだろう?」

 「なぁ~に、先生にはご迷惑をかけやしませんって」

 「どこの悪役だ? お前は」

 「さぁ、解決しに行きましょう! 父さん!」

 「え? 僕、○玉親父役?」

 キョトンとした顔で、吉田はそうツッコミをいれた。

 ……何にしろ、メディア・ミックス部はこうして動き出したのだった。


 3.


 「部長が○太郎で、吉田先輩が○玉親父だとすると、僕は何になるのでしょう?」

 と、疑問を呈したのは村上アキだった。

 「ねず○男に一票!」とそれを聞いて、綿貫が言う。しかし、それに異論が出る。

 「ちょっと待って。ねず○男なら、小牧がいるじゃない。あいつ、なんか似合っているわ」

 そう言ったのは卜部サチだった。彼女は演劇部で衣装とメーキャップを担当している。演劇部だけあって配役にはうるさいようだ。

 「なるほど」

 と、綿貫が言う。

 「性別が一致していないじゃないですか」

 そう村上が言うと、

 「性別は必ずしも重要ではないわ。まぁ、劇全体をどんな方向に演出するかにもよるのだけどね。というか、そもそも、綿貫が○太郎って段階で既に性別は一致していないじゃない」と、卜部は返した。

 「ああ、それは何でか気が付きませんでした。やっぱり、部長が女っぽくないから」と、村上は返す。

 「壊すぞ、村上!」

 と、それに綿貫。

 「いつの間に、劇の話になったの?」

 そのやり取りに、呆れた様子で、社会研究部所属の出雲真紀子がツッコミを入れた。

 「始めっからよ!」

 と、力強く綿貫は応える。

 「今回のイメージは劇で、ずばりホラー! だから、配役決定が重要なのよ。出雲さんは砂かけ婆ね!」

 「はい、はい。不毛な会話はお終い」

 と言いながら、出雲は少し怒っていた。誰が婆だ?ってな感じで。そんな彼女の様子を見、室井○なんだから良いじゃない、と綿貫は思っていたりしたのだが。

 「取り敢えず、ただのお喋りになっちゃったら、いつまで経っても決まらないわ、今回の作戦。早く決めましょう。吉田君は何か案はないの?」

 そう言われた吉田誠一は本を読んでいた。周囲の会話は無視して。ただし、それでも出雲の問いかけにはこう答えたが。

 「綿貫さんが、言ってるので良いのじゃない? 劇でホラーをやるのだろう?」

 「具体案がないのよ。テーマだけが決まってもねぇ」

 出雲がそう返すと、吉田は顔を上げ、卜部に向けてこう訊いた。

 「何か最近、演劇部で面白い話ないの? チャチャっと解決できるような」

 卜部はそれを聞くと、目を上に向けながらこう言った。

 「あ~ 一人、一年で入った子で面白いのがいるわよ。なんとボクシングの経験者、というか今もジムに通っているんだって。その子に頼んで、いじめっ子連中をチャチャっとやっつけてもらうってのが一番、手っ取り早いのじゃない?」

 それを聞くと、綿貫が首を二、三回振った。

 「駄目駄目、それじゃ演劇じゃなくて格闘になっちゃうわ。K‐1か?っての」

 「いや、ボクシングでしょう? てか、問題なのそこですか?」

 村上がそうツッコミを入れる。

 「まぁ、ボクサーだってのなら、そもそも暴力沙汰になりそうな手段はアウトね」

 その後で出雲が冷静にそう語る。更に吉田がこう続けた。

 「今回の目的は、いじめっ子をやっつける事じゃなくて、そのいじめっ子の病気を治療する事、またはいじめっ子にその病理を自覚させてやる事だから、それじゃ意味がないね」

 しかし、そこで綿貫は、何かを思い付いたのか突然にこう言った。

 「ボクサーと言えば、減量よね。ね、卜部、その子、減量とかする?」

 「何かの試合が近いって言ってたから、すると思うわよ」

 「その子ってどうして演劇部に入ったの? 演劇に興味があったから?」

 「何か演技力を身に付けて、試合中に相手を翻弄してやるんだとか、面白い事を言っていたけど、きっと本当は演技にも興味があるんだと思うわよ。やってみたかったんじゃないかと思う。

 お蔭で、劇の格闘シーンのリアリティが増して大助かりな訳。まぁ、残念ながら、その子は顔がいまいち地味なのだけど。でも、だからこそ、あたしのメーキャップの技術が映えるのだけどね~

 腕が鳴るぜ。ふふふ」

 それを聞いた後で、綿貫はこう呟いた。

 「減量……、ホラー… と言えば、ゾンビ。ゾンビ」

 どうも何かアイデアが出かかっているようだ。そして、その“ゾンビ”という単語に、卜部は反応をした。

 「ゾンビって、いじめられている深田って子のあだ名じゃない。と言っても、いじめっ子グループのメンバーしか呼んでないのだけど。

 綿貫、知ってたんだ?」

 それを聞いて、綿貫はこう返す。少し嬉しそうな顔で。

 「オー ビンゴ!」

 「何が、ビンゴじゃい?」と、卜部。

 そのやり取りの後で、吉田が本を閉じるとこう言った。

 「その案で行くの? でも、だとすると、その深田って男子生徒にも話を通しておかないと無理だよね?

 相手のプライドを護りながら、上手く説得しないといけない」

 やや興奮した顔で、綿貫は答える。

 「大丈夫、そーいう役割は、出雲さんが得意そうだし。後は、またお話が必要ね。村上! 話を考えるわよ!」

 村上はキョトンとした顔で、こう返す。

 「意味が分かりません。もっと、具体的に言ってくださいよ」

 「なんだと~ このウスラピンボケが!」

 「ピンボケって何ですか? と言うか、分かってるの部長と吉田先輩くらいのもんですって!」

 「面倒臭いわね~ 本当に」

 そのやり取りの後で、出雲がこう言った。

 「綿貫、村上君をいじめるのやめなさい」


 4.


 「誰か知らないが、オレ達の事をネット上に投稿している奴がいるみたいだぞ。少し噂になっているんだが」

 そんな事を、ある日仲間の一人から言われた。

 「なんだよ、それ?」

 と、違う一人がそう尋ねると、そいつはこんな事を言って来た。

 「日記…ってぇか、日記でもないんだけどよ、小説としてオレらの“いじめ”を書いてるのがいるんだよ」

 「偶然、内容が同じだけじゃないのか?」

 それを聞いて、俺がそう言ってみると、「オレもそう思ったんだけどよ、実際、読んでみたら一致し過ぎているんだよ」と、そいつは返してきた。そして、携帯電話を取り出すと「ほれ、これだよ」と、その小説を見せてくる。少し読んでみると、それは三人称で書かれた学園ものの小説で、俺らの深田に対する“いじめ”の内容が、ほぼそのまま書かれてあった。名前は変えてあったが、性格や役割は同じ。確かに、誰かが俺達の事を書いているとしか思えない。

 「確かにほぼ同じだな。でもよ、こんな事をして得する奴がいるのか?」

 そう返した時、奇妙な違和感を感じ、俺はそれが同時に何を意味するかに思い至った。問題は、得をするかどうかだけじゃない。

 「待てよ……、これが俺らの事をそのまま書いているのだとすると…」

 そう俺が言うと、その仲間は静かに頷いてからこう言った。

 「そうだよ。内容を読むと、俺らだけしかいない時の事も書いてあるんだよ。って事は、この中の誰かがこれを書いた事になる」

 その言葉で、少し間ができた。

 「ゾンビの奴が、書いてるのじゃないか?」

 沈黙に耐え切れなくなったかのように、一人がそう言う。

 「オレも初めはそう思ったさ。だが、気を付けて読んでみると、ゾンビがいない時の事も書いてあるんだよ」

 それでまた間ができた。嫌な間だ。これは駄目だな、と思った俺は、「くだらねぇよ」と、そう言ってみた。俺に皆の視線が集まる。

 「仮に、本当に俺らのいじめがネット上に小説としてさらされてても、それが何になる? 別に俺らが損する訳でもなんでもねぇじゃねぇか。気にするな」

 その投稿小説のアクセス数を見てみると、とても少なかった。これなら、ほとんど無害だろう。騒ぎ立てた方が、却って問題になるかもしれない。

 「そりゃ、そうだな」

 と、それを受けて一人が言う。それで、リラックスした空気が生まれる。俺は思う。よし、いいぞ。こんな事で、仲間同士の結束力を緩まされて堪るか。しかし、それで事は終わらなかったのだった。

 その日、どうにも俺は体がだるくてどうしようもなくなった。合法ドラックだなんだとかいうのを、仲間の一人が何処かから手に入れて来て、それを皆で飲んだのだが、恐らくはそれがまずかった。異様に眠くなって、起きていられなくなったのだ。それを飲んだ奴は、皆そんな状態だったから、その日はゾンビをいじめる日課はパスして、直ぐに家に帰った。家に帰った途端に、俺は眠った。耐え切れなかったからだ。しかし、その次の日に登校してみると、どうにも仲間の様子がおかしいんだ。いや、様子がおかしいのは、仲間連中だけじゃない。しばらくして気が付いたのだが、教室中の、俺に対する様子がおかしかった。

 「ゾンビの奴は休みか?」

 深田の席には誰もいなかった。そう俺が言うと、一瞬、俺に注目が集まり、それから皆、目を背けた。

 「おい」

 と、俺が言うと、見かねたのか仲間の一人がようやくこう説明した。

 「休みみたいだな。今日はまだ来てないよ。ただ、連絡もないみたいだが」

 「ふーん」と、俺は返す。それから、「まさか、不登校にでもなるんじゃないだろうな?」と面白半分でそう言った。すると、また俺に視線が集まる。

 ――なんだ?

 疑問に思った俺は周囲を睨み返しつつ、連中を観察をした。俺に睨まれると、一人残らず目を背けたが、何人かが携帯電話で何かを見ているのに気が付いた。

 ――なんだってんだ?

 休み時間、仲間の一人がやっぱり携帯電話で何かを読んでいるのを見つけると、俺は問いただしてみた。

 「いったい、何を見てるんだよ?」

 無理矢理に奪い取ってみると、それは例の俺達の事を書いたネット小説だった。

 「なんで、こんなのを読んでるんだよ?」

 仮に俺らの事が書いてあるのだとしても、昨日は直ぐに帰って寝たはずだ。何も変な事は書いてないだろう。それから気まずそうにそいつはこう返してくる。

 「お前も、自分のケータイでこれを読んでみろよ」

 怪訝に思いつつも、俺は自分の携帯電話でアクセスして、その小説を読んでみた。すると…

 ――なんだ、これは?

 なんと、そこにはこんな内容が書かれてあったのだ。俺と似たような奴が、ゾンビと呼ばれる生徒を呼び出していじめ殺し、空き地に埋めてしまう。

 それを読み終えると、俺は辺りを見回した。教室中の視線の意味に気付く。そうか、皆、俺が深田を殺したと思っているのか。今日、偶然、深田が来てないから。

 「馬鹿馬鹿しい。こんなの、ただの小説じゃねぇか! 大体、俺は昨日、帰ってから直ぐに寝たんだ。変なクスリの所為で、眠くて仕方なかったからな!」

 そう言ってみる。しかし、それを聞くとそいつはこう返してきた。

 「分かってるよ。誰も、お前がゾンビを殺したなんて思っちゃいない。ただよ、昨日は皆、バラバラだったから、誰も皆の行動が分からないんだよ」

 「俺が嘘を言ってるってのか?」

 「そうは言ってねぇよ。ただ、昨日は、変なクスリを飲んで、頭がおかしくなって覚えてないって事も…」

 それを聞いて、俺はこう言う。

 「馬鹿か、お前? そんな事ある訳ないだろう? そもそも事実を書いているとして、この小説は誰が書いたって言うんだよ? 誰も書く奴なんていないだろう?」

 俺は自然と、怒鳴っていた。それで、相手は少し竦む。怯えながら、こう返す。

 「でもよ。それは、今までだって同じだろう? 誰も書く奴なんていないはずなのに、この小説は書かれてあったんだ」

 俺はそれを聞いて、怒りはしたが、それでも黙った。何を言っても無駄だと思ったからだ。そして更に、こうも思っていた。

 いずれ、深田の奴が登校してくれば、ただの馬鹿話だったと分かる。

 ――だが。

 翌日になって登校してきた深田の顔色は、妙に土気色をしていて、生命力が全く感じられなかったのだった。まるで、本物の死体みたいに。そしてネット上に投稿されている小説は、それから超展開を見せた。

 殺されたゾンビとあだ名される生徒の死体が、復活する…


 5.


 ノートパソコンに文字を打ち込む手を、少し休めると、出雲真紀子に向けて村上アキはこう言った。

 「しかしそれにしても、よく、深田って先輩を説得できましたね」

 出雲はそれを聞くと、少し笑ってこう返した。

 「説得って言うか、お願いしただけよ。いじめ依存症になっているあの子を助けてあげたいから協力してってね。スケープゴード説の事も話した上で」

 「はぁ… なるほど。それなら、プライドを傷つけずに協力してもらえそうですね。いじめているあなたを助けたい、なんて言ったら駄目っぽいけど」

 そう返しながらも村上は、出雲の事だからきっと、“言葉巧み”という方向性よりも、慈愛に満ちた感じで感情面に訴えかけて相手を納得させたのだろうと思っていた。もしも自分が深田の立場でも、同じ様に説得されていたのではないかと想像しつつ。

 少し羨ましい… とまでは、思いはしないけどね。

 そう心の中で呟いたところで、別の声が。

 「これ、続き。続きどうなるの?」

 村上が書いてる横で興奮しつつそう言ったのは演劇部の卜部だった。

 「いえ、先輩。続きどうなるの?も何もそれを教えてくれるのが、先輩の役割じゃないですか。今日は、この他にどんな事が起こったのですか?」

 それを聞くと、卜部は目を丸くしてこう言った。

 「え? もう、村上君の創作部分は終わりなの? こう、ゾンビがどうなるのかとか、今後の展開が楽しみだったのに~ 腐食が進行するとかー」

 「いやいや。それじゃ、今回の目的が果たせないじゃないですか。非現実的な展開の後に、現実的な展開で淡々と進めて、この文章は現実に起こった事をそのまま書いただけだって思わせなくちゃいけないのだから」

 「え~ つまらないー」

 卜部がそう駄々をこねたところで、「本心は?」と出雲が尋ねる。

 「もっと、こう、ゾンビを活躍させて、あたしのメーキャップの技を活かせるよーな、展開にしてよ!

 ワンパターンで飽きてきてるのだから!」

 それを聞いて村上は「まぁ、そんな事だろうとは思っていましたけどね」と、そう応える。卜部はこう言う。

 「拗ねないでよ。村上君のお話が面白いってのは、本当なんだから」

 それを聞くと、ふぅとため息を漏らした後で、出雲が言った。

 「因みに、こっちのネタはもうないわよ。流石に、あの日以来、深田君はいじめられなくなっているみたいでね。

 まだ、しばらくは持つと思うけど、あのグループの人だけが知っている情報がなくなったら、疑われ始めると思うから、さっさと次の展開にしないとまずいわよ。卜部、演劇部の所沢君の方はどうなの?」

 「ああ、こっちもそろそろ始めないとまずいわね。減量をし始めなくちゃいけない頃だって、ボクサーの所沢君」

 二人はそう言い終えると、村上の事をジッと見つめた。村上は慌ててこう言う。

 「いやいや。次の展開の準備は僕の役割じゃないから、分かりませんって。小牧先輩か、部長に聞いてくださいよ」

 それを聞くと出雲はこう言った。

 「綿貫の動向だったら、村上君に聞いた方が早いかと思って」

 「うん」と、卜部も続ける。

 「なんです?それ」と、村上。

 「別に」と、二人は声を揃えて言う。そこで部室のドアが開いた。

 「真面目にやってるかぁ? 村上アキ!」

 そして、そんな声が。噂をすれば影。入ってきたのは綿貫朱音本人だった。そんな彼女を、三人はまじまじと見つめる。

 「ん? どうしたの?」

 と、その視線を不思議に思った綿貫が尋ねると、今度は三人が「別に」と声を揃えてそう言った。その後で、村上が彼女に向かってこう尋ねた。

 「それよりも部長、次の準備は整っているのですか?」

 「任せなさいな。順調よ。小牧が言うには、噂を矢鱈に広めるようなものじゃなくて、特定の人達に流す、デリケートな操作だから大変で少し時間がかかったらしいわ」

 それを聞くと、出雲がこう訊いた。

 「合法ドラッグの時みたいな、過激な事はしないのでしょうね?」

 「失礼な、出雲さん。あれを計画して、クスリを作ったのは吉田君よ。わたしは、あんな危険な香りのする事はしないわ」

 「似たようなもんな気がするけど」とこぼすように言ったのは村上だった。

 「なんだと?村上!」

 と、それを聞いて綿貫は村上にチョークスリーパーをかける。

 「部長、胸が当たってます!」

 と、村上は叫ぶ。綿貫は慌てて技を解く。

 「嬉しいくせに」と、その光景を見て卜部が言う。「嬉しいですけどね」と、村上は返す。「あら、素直」と出雲が。その後で、綿貫が照れ隠しをするようにこう応えた。

 「大体、クスリを作るなんて下手すりゃ違法じゃない。そんな事、わたしはしないわよ」

 言い終えると、そこで声がした。

 「あれは、ただの鼻炎薬だよ。量は多めだったけどね。違法にクスリをどうこうなんて馬鹿な事するもんか。金もかかるし」

 見ると、ドア付近に吉田誠一が立っていた。その後でこう続ける。

 「みんな、不用心だよ。そういう話は、ドアをしっかり閉めてからにしよう」

 それを受けると、「あら、珍しい。あまり吉田君らしくもない台詞ね」と、そんな事を綿貫が言う。その後で吉田は、ドアを閉めるとこう言いながら入ってきた。

 「僕らしいって何さ? まぁ、別にいいけど。一応、説明しておくと、大抵の風薬には抗ヒスタミンが入っていて、これがヒスタミンの作用を抑える事で、風邪の症状を緩和させてくれるんだ。しかし、ヒスタミンは脳にも存在していて、同じ様に抗ヒスタミンがそれを抑えてしまう。結果として、脳の活動が低下して眠気を覚える。副作用だね。

 特に鼻炎薬でこの効果は強いらしい。だから、僕は鼻炎薬を連中に渡したんだ。違法でも何でもない。運転する人に飲ませたら、危険かもしれないけどさ」

 「おー これは吉田君らしい台詞だわ。流石、○玉親父役」

 と、言ったのは卜部だった。綿貫がこう続ける。

 「騙している時点で、本当は違法な気がしないでもないけど。第一、量はオーバーしているのでしょう?」

 最後に出雲がこう言った。

 「お薬は、用法・用量をよく守って適切に使いましょう。眠り薬代わりに使ったりしたら、駄目ですよ」

 吉田はそれらを無視して、席に着くとこう言った。

 「で、次の展開はどうするのさ? もう、準備はできているの?」

 村上が少し笑いながら答える。

 「僕らもそれを心配していたのですけどね。部長によれば、小牧さんがよろしくやってくれているみたいで、大丈夫みたいです」

 綿貫がそれに反応する。

 「何よ、それは? まるでわたしが、何も働いてないみたいな言い方じゃない!」

 「実際、その通りでしょう?」と、村上が言うと、綿貫はこう叫んで技を繰り出した。

 「延髄チョップ!」

 彼女の手刀が、村上の後頭部に炸裂する。卜部がその様子に呆れながらこう言った。

 「おー 相変わらず、綿貫のスキンシップは過激ね~」

 「過激の意味合いが違います!」と、抗議する村上を無視して、また綿貫はこう叫んで次の技を繰り出した。

 「地獄突き!」

 「ちょ 部長! のど。のどに刺さった。本当に痛いです!」

 村上はそう返す。そのやり取りをみて、出雲がこう言った。

 「綿貫、村上君をいじめるのやめなさい」


 6.


 別に誰が言い出した訳でもないんだが、俺達は深田への“いじめ”を止めていた。断っておくが、別に怖かった訳じゃない。本当にゾンビになったはずはないが、体調が悪そうなのは事実だったからだ。

 考えてもみれば、深田は学校を休んだ翌日から、顔色が悪くなったんだ。きっと風邪をこじらせて弱っているのだろう。俺達だってそれくらいの配慮はするんだ。

 だが、そうなると俺達の貴重な“遊び”がなくなってしまう。数日が過ぎても、深田の体調は良くならないようで、いつまでも顔色は悪いままだ。そんな頃に、俺の耳にこんな情報が入ってきた。

 一年に、何をされても無抵抗な臆病者が一人いる。

 そいつの名前は、所沢といい、何でも演劇部に所属しているのだとか。地味な顔立ちの癖に。それを聞いただけでも、なかなかの勘違い野郎君っぽいじゃないか。いじめ甲斐がありそうだ。

 その情報に気を良くした俺達は、早速、そいつがいる教室へ足を運んだ。適当なのを捕まえて連れて来させると、所沢は俺達が期待した通りの容姿だった。地味な顔立ちで大人しそう。身体全体も細い印象を受ける。いかにも弱そうだ。

 「放課後、お前に用があるからよ。逃げたりせずに来いよ」

 緊張していて、所沢はおどおどしていた。にやにやと笑う俺達を、不安そうに見ている。これだよ、と俺はその様を見て思う。いじめられる奴の態度はこうでなくちゃ。

 大して不安に思っていなかったが、所沢は俺の言う通りに約束の場所に来た。なかなかの従順さだ。いい感じじゃないか。怯えた態度と表情に俺は笑う。

 「そんなに怖がるなよ。所沢くん」

 と、俺はまずそう言った。肩に手を回しながら続ける。

 「なに、大した用事じゃないんだ。ただちょっと俺らは運動不足でよ。ちょっと付き合って欲しいんだな」

 言い終えたタイミングで、俺は思いっ切り腹を殴ってやった。

 「うぐっ」と所沢は声を出す。

 思ったよりも感触が筋肉質だったのは意外だったが、所沢は何もしない。少しだけ俺を睨んだ程度だ。

 「なんだ、その顔は?」

 睨んだ表情に向けてそう言うと、俺は今度は胸に向けてパンチをしてやった。ヒットしたが、不思議とあまり手応えはなかった。久しぶりだから、感覚がおかしくなっているのかもしれない。

 「おい、お前らもやってやれよ」

 連中に向けてそう言うと、所沢の周囲を囲んで殴ったり蹴ったりをし始めた。思った通りに無抵抗だ。しばらくやり続けると、俺は自分が妙に疲れている事に気が付く。しまったやり過ぎたか。久しぶりだからかもしれない。それで、ちょっと加減を忘れたんだ。なんて、思ったのだが、俺が「この辺で良いんじゃねぇか?」と言って止めると、所沢の奴は何も言わずにそのまま平気な顔で歩いて去っていったのだった。

 俺は妙な気分になった。他の連中の表情を見てみると、同じような印象を持ったのか変な顔をしていたが、何も言わなかった。少しだけ嫌な予感がした。だが、それを言えるはずもない。そんな馬鹿にされそうな事は、言えないだろう。俺は次の日も仲間を誘って、所沢を呼び出した。同じ様にボコボコにしてやったのだが、所沢は何度やっても平気な顔をして帰っていった。俺は奇妙な感覚を覚えながらも、それをし続けた。

 例のネット上の小説には、所沢の話は少しも出てこなかった。他愛のない日常の話しか語られない。深田は相変わらず、ゾンビのままだったが。俺は、それに少しだけ安心をしていた。きっとあれはクラス内の誰かの悪戯みたいなもので、クラス外で起こった事は分からないのだろう。そう思う。そして、所沢を呼び出し続けた。だが、そんなある日に気が付いたんだ。所沢の顔が、妙にやせ細ってきている事に。まるでゾンビみたいだ。しかし俺はそれに気付かない振りをして、いじめをし続けた。ところが、そんな時期に、例のネット上の小説が更新をされたんだ。そして、それはこんなふざけた内容だった。

 いじめられた初日に偶然、打ち所が悪い箇所を殴られた一年生のいじめられっ子は、死んでいてゾンビと化した。それに気付かないいじめっ子集団は、今でも毎日、死体を殴り続けている。

 流石に笑った。そんな馬鹿な事が起こるはずがない。だが、それでも俺は不気味な感覚を払拭できなかった。

 ……何かが、おかしい。


 7.


 所沢は不満を感じていた。

 あんな連中、全員、叩きのめしてやりたい。そう思っている。しかし、先輩に止められて何とかそれを思いとどまっていた。

 「ごめんね。所沢君」

 そう謝ってきたのは、演劇部とは無関係の社会研究部に所属している出雲真紀子という先輩だった。母性的というか、何というか、こういうタイプの女性に、どうにも所沢は弱かったものだから、逆らえない。体育会系なノリとはまた違う威圧感があった。

 「綿貫がなんかおごるからさ」

 同じ演劇部の卜部先輩のその言葉を聞くと、綿貫というメディア・ミックス部の部長は「なんでよ」とそう反論した。

 「いや、あんたの案でしょ?」と、それに卜部先輩が返すと、綿貫先輩は「大丈夫、村上がいるから」と応える。

 それを聞いて、「綿貫、何でも村上君に甘えるのはやめなさい」と出雲先輩が。所沢は面識はなかったが、村上というのは彼と同じ一年生だと聞かされていた。メディア・ミックス部の部員らしく、今回の計画での肝の一つになる小説作成を任されているらしい。

 「別におごってくれなくてもいいですけど、あの最低の連中を、そろそろ殴ってやりたいですね。

 そんなシナリオをお願いしますよ」

 所沢がそう言うと、あまり威厳がないと思えた綿貫という先輩が急に厳しい目をして、彼に向かってこう言った。

 「確かに最低だって思えるかもしれないけど、そういう気持ちを暴走させちゃ駄目よ。自分をコントロールできなくなるから。それに、いじめる側とか、そういう立場に立つと正常な感覚が麻痺しちゃうものらしいわ。権力を握ると、人間は鈍感になって、判断力や優しさがなくなる。ああいう人達も、ある意味じゃ犠牲者なのね。人間って生き物の性質の」

 その言葉と態度で、所沢は綿貫部長を少し見直した。締めるところは、締める人らしい。

 「どうせ、吉田君の受け売りでしょう?」

 と、卜部先輩が言う。綿貫部長は平気な顔で「受け売りだろうが、何だろうが、必要な時に必要な忠告はするべきなのよ」と返した。なかなかだ、と所沢は思う。

 「しかし、連中を騙し続けられるなんて、所沢君も演技力がついてきたわね」

 それから卜部がそう褒めると、彼は少し照れ笑いを浮かべた。

 「いや、単に黙ってるだけですから。まさか、演技だなんて思わないでしょうから、下手でもばれませんって」

 その後で出雲先輩が続けた。

 「私は、殴られている事の方が心配。大丈夫なの? 毎日、あの人達から殴られている訳でしょう?」

 その言葉に所沢は更に照れる。

 「なに、素人のパンチと蹴りですから、ポイントをずらすなり何なりして、微妙に避けるのは簡単なんですよ。不意打ちとかだと、ちょっと痛いですけどね。

 減量も続けていて、そろそろ試合だし、いい練習になりますよ」

 それを聞くと出雲先輩は「凄いわねー」と感心した声を上げる。本心からの声に、彼には思えた。

 「ところで、綿貫。もし、連中がこれに乗ってこなかったらどうするつもりだったの?」

 卜部先輩がそう尋ねると、綿貫部長はこう答えた。

 「それなら、それで構わないでしょう? いじめは終わっているのだし、何の問題もなかったわよ。むしろ、そっちの方が良かったくらい。でも、連中はターゲットを変えて、いじめをし続けてしまった。幸か不幸かね。だから、わたし達も続きをやらなくちゃいけない」

 そう言い終えてから、止まる。一呼吸の間の後で、綿貫部長はこう所沢に向けて言った。

 「次のシナリオよ。あなたの望通りに、連中を殴れるわ」

 「さっきと矛盾してない?」

 その言葉を聞いて、出雲先輩がそう言うと、「内容を見れば分かるって」と、綿貫部長はそう返した。そして彼に紙を渡す。そこに書かれている内容を読んで、彼はにやりと笑ってからこう言った。

 「なるほど、面白そうですね」


 次の日、ターゲットにしているリーダー格のいじめっ子を除いた全員が、そこに集まっていた。所沢がいる。手紙で呼び出されたのだ。絶対に一人で来て、という差出人不明のラブレターもどきの内容といかにも女の子のような書体に、まんまと騙されてしまったのである。

 当然、彼らは怒っていた。所沢は、そんな彼らを「まぁまぁ、もう少し行った所で、相手してあげますから」となだめながら先導する。いじめっ子グループは、いつもとは違う所沢の態度を不思議に思いながらも、付いていった。そして、辿り着いた場所に驚く。ボクシングジム。

 「ここでなら、合法的に、思い切り殴り合えますよ、先輩方」

 所沢は驚いている彼らに対して、馬鹿にした様子でそう言った。

 「まさか、ビビってるんですか?」

 そう言われては、誘いを受けない訳にはいかなかった。彼らは先に入った所沢の後を追いかけた。が、

 「おい、なんだお前らは」

 入るなりそんな声が。スキンヘッドの、いかつい髭親父が、彼らを出迎えたのだ。それで、委縮してしまう。そこで声が聞こえる。

 「今日、僕の相手をしてくれるらしいですよ。水越さん」

 見ると、所沢がグローブを嵌めて、リングの上に立っていた。所沢の言葉を聞くと、水越と呼ばれたその髭親父は、「ガハハハ、そうか、そうか。なんだ、経験者か? 所沢は試合前だからな。よろしく頼むよ」と、そう機嫌良さそうにする。

 「いやー、経験者じゃないみたいなんですけどね」

 と、所沢が言うと更に豪快に、水越という親父は笑った。

 「ガハハハ! そりゃ、なかなかの無謀な試みだな! だが、そういうのは、俺は嫌いじゃねぇぞ! せいぜい、遊んでもらえ! お前ら!」

 そのやり取りに一同は青くなっていた。

 試合前? 所沢がボクサー? この気の弱そうなのが?

 完全に空気に呑まれている。その後で一人ずつリングに上がって、所沢とスパーリングもどきをやったが誰一人として敵わなかった。一発のパンチも当らない。全員がヘトヘトにさせられた。実力の違いを見せつけられて、いじめっ子グループは全員、落ち込んでいた。

 終わった後で、水越という髭親父が彼らの所に来てこう言った。

 「おい、お前ら。俺らボクサーは、一般人を殴る訳にはいかないが、絶対にあいつを怒らせるなよ。もし、間違って本気にでもさせたら、下手すりゃ死ぬぞ?」

 その言葉に今までの自分達の行為を振り返り、彼らはますます青くなった。所沢はすっかり竦んでいる彼らに向けて、「絶対にあの人に、この事は言わないでくださいよ」と、そう言う。もちろん、彼らはそれに大人しく頷いた。


 8.


 その日、俺の機嫌は悪かった。差出人不明の“絶対に誰にも言わないで、一人で来て”というラブレターの内容を信じて約束の場所で二時間ほど待っていたのに、結局、誰も来なかったからだ。

 誰だ、こんなくだらねぇ悪戯をしやがったのは? いかにも女の字だったから、騙されちまった。都合良く仲間達にも用事があったみたいで、一人で出かけられたのに。

 こうなったら、“いじめ”でもしないと気分が収まらない。それで俺は、所沢の奴をいじめないかと仲間達を誘ったのだ。しかし、何故か一人もそれにノってこない。

 「今日は、やめねぇか?」

 そんな事を言ってくる。何だか怯えているようにも思える。多少、奇妙にも感じたし一人だけじゃ気分もそんなに盛り上がらなかったが、それでも俺は出かけた。

 ……チっ なんだってんだ?

 所沢を学校裏の空き地に呼び出す。相変わらず所沢は痩せていて、顔色も悪かった。まるで、本当にゾンビになっちまったかのようだ。

 俺はそれで例の小説を思い出して、少し怯んだ。

 まさか… 本当に?

 それをバカな考えだと慌てて打ち消す。

 何を考えているんだ?俺は! くそっ! 一人だと、どうも気分が盛り上がらねぇ!

 そんな事を思っているタイミングで、所沢が言った。

 「どうしました、先輩?

 殴らないんですか? いつもみたいに」

 笑っている。

 カッとなった俺は、奴に向かって殴りかかっていった。そして。拳は確かに当たった。蹴りも当った。しかし、奴は平気な顔をしていた。

 なんだ?

 と、俺は思う。なんで平気なんだ?

 そこでふと気が付いた。全員で殴ったり蹴ったりしていたから、何故かあまり変には思わなかったが、そう言えば、いつもこいつは平気な顔をしていたはずだ。

 肩で息をしながら、俺は自分が徐々に恐怖を感じている事を自覚していた。そして、所沢はまた言う。

 「どうしました、先輩?

 もう終わりですか? 体力ないですね」

 それを聞いて、俺は思わずこう言っていた。

 「煩い! このゾンビ野郎!」

 自分が言ってしまったそのセリフを、俺は少し後悔した。ゾンビ。そんなものが、存在しているはずがない。俺の様子を見てか、所沢はニヤリと笑った。

 「いくら殴っても無駄ですよ。僕はゾンビですからね。あの日、先輩に殴られてから死体になったんです。あなたが殺した深田先輩と同じ様に」

 何?

 俺はその言葉に驚いた。

 俺が殺した?

 「な、何でお前がそれを知っている!」

 思わずそう応えた後で、俺は何を言っているんだ?とそう思う。俺は深田を殺してなんかいない。

 所沢は「ふふふ」と笑った。

 「みんな、知っていますよ。あなたが、先輩を殺したって」

 そう言った後で、一歩俺に近づいてくる。

 「ほら、どうしたんですか? 殴らないんですか?」

 そう言葉を続ける。俺は拳を振り上げる。が、それを振り下ろせない。

 「無駄ですよ」

 所沢が言う。

 一歩。

 また。少しも怖気づかず、所沢は歩を進めた。俺は思う。

 何で

 何でだ? 何で、こいつは殴られても平気なんだ? なんで怖がらない。普通、殴られれば痛いだろう? なんで近づいてくる?

 一歩。

 また、近づいて来た。

 「ヒィッ」

 気付くと俺はそんな声を上げていた。逃げようとして転ぶ。所沢は、そんな俺に迫ってきた。

 「先輩」

 そう言う。

 「来るな!」

 俺は悲鳴を上げていた。その俺に向けて所沢は言った。

 「怖いんですか? そんなに怖いのに、どうして先輩はまだ“いじめ”をしようと思ったんですか?」

 何?

 俺はその言葉に戸惑う。

 「どうしてって……」

 そう言った後で、思う。

 どうしてだっけ?

 あれ?

 なんで、こんなに、いじめにこだわったんだ?

 俺は

 そこで別の声がした。後ろから。

 「あなた、“いじめ”をやめられる?」

 見ると、そこには女の姿があった。確か、出雲とかいう女だ。

 「なに?」

 戸惑っている俺を、憐れみを含んだ瞳で見つめながらその女はこう言った。

 「あなたは、深田君を殺してしまったかと不安に思っていたはずよ。その証拠に、あの日以来、あなたは深田君をいじめていない。だけど、あなたはそれでも“いじめ”をやめられなかった。別のスケープゴードを探し求めてしまった。それがどうしてなのか分かる?

 あなたは、“いじめ”を止められなくなっているの」

 いじめをやめられなくなっている?

 俺はその言葉が上手く呑み込めなかった。しかし、過去の自分を振り返る。確かに、いじめる相手がいなくなったら、俺は次の相手を探していた。いつも。自覚してはいなかったが、俺は…

 それからしゃがみ込むと、女は優しげな口調でこう続けた。

 「あなたは、そんな状態で、これから先の一生を過ごすつもりでいるの? それで、何の問題も起こさずにいられると思う? いえ、問題は既に起こしてしまっている。でも、やめられていない。

 あなたのそれは病気よ。あなたが自分の人生をコントロールする為に、解決しなくちゃいけない、克己しなくちゃいけない病気」

 女は本当に俺を心配しているように思えた。「病気…」と、俺はそう呟く。それに女は「そう」と返した。

 「この学校にはスクール・カウンセラーがいるのは知っているわよね? 塚原先生。あの人は、あなたみたいな人の治療をした事があるんだって。

 相談してみなさい。きっと力になってくれると思うわよ」

 言い終えると、出雲とかいう女は立ち上がった。そして、そのまま去ってしまう。気付くと、所沢もいない。

 「病気…」

 一人残された俺は、そうまた呟いた。


 9.


 深田信司は、その時、いつも自分をいじめてくるグループに囲まれながら、精一杯の勇気を振り絞っていた。

 いつまでもこんな事はしていられないと、ゾンビメイクを止めて、二日後にはまたいじめが再開してしまったのだ。だが、そんな時の為に、深田は訓練をしていた。

 「ハッタリでいいんだよ」

 と、自分に演技指導してくれた演劇部の部員は彼にそう言った。

 「役割の効果って知っているかな? 人間はその与えられた役割をこなすように、行動をする。君がおどおどとした態度を取れば、それは自分がいじめられる役割を担っていると主張しているようなものだ。人によっては、それでいじめる役割を自然と担ってしまう。

 だから、表面上だけでいい。態度で自分はそんな役割は担わない、と表明してやれば相手の態度も変わるんだ」

 もちろん、深田はそれはケースバイケースなのだとは分かっていた。しかし、少なくともこの場では効果がある気もした。それで。

 「おい、深田。また、オレ達の漫画を買って欲しいんだがな」

 と、そう彼らが言って来た時、深田は自分で自分に命じて演技をし始めたのだ。自分は冷静な策士だと言い聞かせる。

 「そんな事をするつもりはないよ」

 と、言い放つ。彼らの表情が変わったのが分かる。

 「何言ってるんだ、おめぇ?」

 一人がそう言う。

 気丈そうに見えても、あのゾンビ事件に彼らが精神的なダメージを受けているのを深田は分かっていた。今はもう、自分の事を“ゾンビ”とは呼ばない。

 「これ以上、僕を脅すつもりなら、僕は君らの事を警察に訴える。こっちには証拠だって揃ってるんだ」

 深田が声を震わせながらそう言うと、

 「ああ?」

 と、彼らは深田を脅した。深田は怯んだが、それでも口を開く。

 「もしも僕が警察に訴えたら、君らは一生の傷をつくる事になる。進学にも、就職にも不利になるよ。馬鹿な選択だと思うけどね。これ以上は、何もしないってのなら、僕もそこまでするつもりはない」

 この台詞はそれなりにきちんと響いた。その深田の態度に彼らは黙る。そして、しばらくの間の後で、

 「おい。もうやめようぜ」

 と、彼らの内の一人が言ったのだ。それはいつも率先して深田をいじめていたグループのリーダー格だった。一瞬顔を見合わせた後、その言葉に、グループの全員が無言の内に従い去っていく。その去り際に、そのリーダー格は深田に対してこう言った。

 「悪かったな」

 と、小声で。


 10.


 「集団心理による興奮効果。また、権力を握った事による感覚の麻痺。それに、上の立場に立つ事による男性ホルモン・テストステロンの分泌」

 と、そう言ったところで、吉田誠一は一度言葉を切った。それから、村上アキや綿貫朱音らの顔を見渡した後で続ける。

 「それらを断ち、素の自分に戻った心細い状態で、出雲さんによる優しい言葉での説得。これで効果がないはずがない。

 今回の成功の要因を分析するのなら、そんな点にあるのじゃないかと思う」

 それを聞き終えると、綿貫が抗議する。

 「まるで自分が考えたような物言いだけど、シナリオの大よそを考えたのは、わたしでしょう?」

 それに吉田は反論する。

 「細部を支える理論性がなければ、成功はなかっただろう? そこを補強したのは僕だよ」

 「どうでも良いじゃない、そんなの」

 そこにそう割って入ったのは、出雲だった。

 「ま、でも本当は気の弱そうな人だったから、その説明には納得できるけどね。変にリーダー格になっちゃったもんだから、その重圧に耐え切れなかったんでしょう」

 その言葉に、小牧なみだが「優しいわねー。出雲さんは」とそう感想みたいな事を言う。

 「おお、これはこれは、今回、ほとんど目立った活躍のなかった小牧さんじゃありませんか」

 と言ったのは綿貫だった。小牧はその言葉に対して文句を言う。

 「あんたね。なにげで、今回、それなりに大変だったのよ? わたし」

 それを無視して、綿貫は言った。

 「卜部はメーキャップの技術を活かせまくって楽しそうだったけど、あなたの活躍は地味だったわよね」

 見かねてか、村上が言った。

 「部長、今回も小牧さんにかなり頼ったのでしょう? 言い過ぎだと思いますよ」

 その村上の言葉を聞くと、綿貫は黙った。少し彼をじっと見つめると、それからこう言う。

 「村上。ジュース買ってきて」

 「へ?」と、彼は声を上げる。

 「所沢君にお礼をしなくちゃならないでしょう? その為のジュースよ。ささやかだけど。早く! すぐそこだし!」

 それを聞くと、「はぁ」と腑に落ちない声を出しつつも、村上は部室を出て行った。村上アキが小牧の味方をした事が気に食わなくて、いきなり彼女がこんな無茶を言い始めたのだ、というのは明らかだった。小牧が半ば呆れながら、こう言う。

 「綿貫、あんたね。あんまり甘え過ぎると、村上君に嫌われちゃうわよ」

 すると、綿貫はこう返した。

 「なんで、そうなるのよ!」

 「なんで、そうならないのよ…

 ……ってか、甘えているって点は否定しないんだ」

 それを聞くと綿貫は笑う。

 「ふふふ。自分を自覚できないほど、愚かじゃないのよ、わたしは」

 「いや、あんたそれ、全然、威張れないから。自覚しているのなら、治しなさいな。甘えてないで」

 小牧のツッコミが終わると、吉田がそれに続けた。

 「ま、本当に深刻な状況になれば、綿貫さんなら充分に止まれると思うよ。多少、“犬も食わない”の雰囲気もあるし。自分を制御どころか、集団をも制御しそう。ただ、普通は難しいのじゃないかな? 今回はたまたま、上手くいったけどさ。ま、構造が単純だったって点も幸いして」

 「どうして?」と、出雲が尋ねる。

 「いじめは集団心理だって言ったろう?

 多数対少数の構図で、自分が多数側に所属していたとしても、いじめをやめさせようと思えば、少数派になってしまう。そうなれば、いじめられてしまうかもしれない。少数派になりたくなければ、いじめに加わるのはないにしても、見て見ぬ振りをしなくちゃならない。

 空気を読めない奴って馬鹿にする言葉があるけど、“いじめをする”って空気が流れていればそれに従う事が空気を読む行為だ。なかなか、それに反対はできないね」

 「まぁ、話は分かるけど」と、それに出雲は返す。

 「時には“空気を読んでいながら、それに逆らう勇気を”って感じかしらね? 難しいのは分かるけど」

 続けて小牧がそう言った。そのタイミングでドアが開く。見ると、そこには村上アキが。手にジュースは持っていない。

 「どうしたの?村上君」と出雲が尋ねると、彼はこう言った。

 「部長。考えてみたら、減量中のボクサーにジュースのプレゼントって駄目じゃないですかね?」

 綿貫はそれを聞くと、怒鳴る。

 「直ぐに気付け、村上!」

 「いや、それ理不尽ですよ!」

 そのやり取りを見て、出雲がこう言った。

 「綿貫、村上君をいじめるのやめなさい」

流石に長いので、連載にしようかとも思ったのですがね。

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