道標の方程式(2)
是非、縦書きで読んでください。
毎週、水曜日午前0時(火曜深夜)に次話投稿します。
2
愛子さんに連れられて、僕は謎の人物『道標』に会いに行くことになった。僕は一応、愛子さんの助手という事になっているので、その義務は果たさなくてはいけない。つまりは、
ついて来いといわれればついて行くし、
走れといわれれば走るし、
待てといわれれば待つ。
近所の老舗和菓子屋で豆大福を買って来いといわれれば、ダッシュで買ってくる。
……って、あれ?これって助手か…?ただのパシリか、最悪、犬だぞ……。
ま、まあとにかく僕の役割は大体こんなものだ。何だか良いように使われているような気もするが、愛子さんには一応、負い目(かなり強引だけれど)があるので、おいそれとは逆らえない。僕が助手になるまでは流鏑馬さんがこの役目だったらしく、あの人の苦労もかなり強く共感できる。きっと大変だっただろうな……。
その流鏑馬さんはいつも神出鬼没で、最近では、あまり姿も見せない。愛子さんによると僕に助手の仕事を、南に執事の仕事を任せられたから、本来のボディーガードの仕事に専念しているそうだ。にしても姿も見せないボディーガードって大丈夫なのか?いざという時は僕が守らなくてはいけないのかもしれない。
……それは、嫌だな……。
「あなた、今、良からぬ事を考えていたでしょ」
少し前を歩く愛子さんが突然振り返ってそんなことを言い出した。
「そ――んなことないですよ……」
愛子さんは眼帯を着けたままだから心を視られたわけでは無いはず。でもこの人、妙に鋭いところがあるからな。
「その間は何よ。そこにはきっと良からぬ考えが詰まっているわ」
「……何ですか良からぬ考えって……?」
「そうね…例えば、エロい姉の存在とか?」
「人を何だと思っているんですか!」
「じゃあ、あの子のパンツは何色かな~とか」
「僕をそんな目で見ていたんですか!」
「はっ!まさか…私の裸を思い出しているんじゃないでしょうね!」
「思い出してません!てか、何で全部エロ方面なんですか!僕を一体どんな変態だと思っているんです?心外です!断固、抗議します!」
「悪かったわよ。そんなに怒らなくても良いじゃない、もう。分かったわ。あたしが間違っていました。前言撤回します。これで良いんでしょ?」
かなり投げやりな態度で愛子さんは言った。
あれ?怒らせちゃったかな?
「ま、まあ、分かってもらえればいいんですよ……」
僕はあくまでも渋々という表情で頷く。
その表情を見て、愛子さんは少し申し訳なさそうにして言葉を続けた。
「いえ、確かにあたしが間違っていたわ。あなたがまさかパンツや裸に興奮するような並の変態じゃないっていうのに、過小評価してしまったわね。悪かったわ。あなたはもっと凡人には到底理解できないようなド変態だものね」
「ちっがぁーーーーーうっ!」
何だ?その『あたしはあなたの事をちゃんと理解しているわよ』的な顔つきは?
いや、頷くなよ……。
「そうよね。誤解されたままじゃ嫌よね。大丈夫、あたしはあなたがどんなド変態でも、ちゃんと助手として雇ってあげるから。安心して自分の世界に突っ走りなさい」
「そんな心配は要りません!僕はあくまでもノーマルですから!」
ていうか、裸にマントの人に変態扱いされたくない。
まあ、その変態に雇われているのだけれど。
「自分じゃ分からないものなのよね……現実を見なさい。ちゃんと真実を知るのよ」
「あんた、この前は真実は人を傷つけるとか何とか言ってなかったっけ……?」
「うふふふ…冗談よ。」
愛子さんは意味深な笑みを浮かべる。
「……悪い冗談ですよ」
しかも、どこまでが冗談か分からない。
「それはさて置き、一体どこに向かっているんです?」
僕たちは事務所を出てからだいぶ歩いてきていた。この辺りは町からだいぶ外れて、川沿いに工場が立ち並んでいる地区になるので、誰かに会いに行くにしてはちょっと場違いな気がする。
「心配しなくても変なところになんか連れて行かないわよ。もう少ししたら見えてくるから」
「はあ……そんなもんですか」
「そんなものよ」
愛子さんは相変わらず僕の少し前を先導するように歩いている。僕はそれに付き従っているような形だ。
「じゃあ、この豆大福もその人への手土産か何かですか?」
僕は手に提げていたビニール袋に入った豆大福を指して言う。
「そうね、手土産っていうかお供えかな?」
「お供え……?お供えってどういう――」
「ほら、見えたわ。あそこよ」
首をかしげて訊ねる僕の言葉を遮って、愛子さんは指をさした。
「あ、あれ…ですか……」
愛子さんが指差した方向を見て僕は言葉を失った。
そこにあったのは河原一面に点在するダンボールハウス。つまりホームレスの集落だった。所々に雑草が生えている河原に、まるで小さい村のようにダンボールで出来た家が点在する様は、異様というか、異界のように見えた。
僕が怖気づいて足を止めても、そんなことは全くお構い無しに愛子さんは河原へと下りて行く。
「ちょっ、待ってくださいよー」
こんなところに一人にされるのも気味が悪いので、僕も愛子さんについて河原に下りる。遠くからはあまりよく分からなかったけれど、こうやって近くにやってきてみると、ダンボールハウスの一軒一軒に人の生活の息遣いが現れていて、何だか生々しく感じる。本当にこんなところで人が生活しているのかと思うと、まるで地獄に迷い込んだみたいな気分だ。幸い、住人の姿は見えないけれど、其処此処に気配だけはありありと感じる。それがまた一層、気持ち悪くもある。
「愛子さーん……なんでこんなトコに来たんですか…?早く帰りましょうよ……」
恐る恐る僕は愛子さんについて行った。すると、
「ここよ」
と愛子さんは一軒のダンボールハウスの前に足を止めた。
「えぇー……ここ…ですか……」
僕たちがたどり着いたのは一軒のダンボールハウス、しかもとびっきり汚くて、おまけに倒れかかっている様なそんなボロボロな家……とも呼べないゴミの前だった。
「こんにちはー」
バンバンと愛子さんはそのダンボールの家を叩く。そんなに叩いたら崩れるんじゃないだろうか。
「こんにちはー。髑髏塚愛子です。ごめんくださーい」
バンバンと愛子さんは相変わらず叩く。
「おおぉーぅい、入ってこーい」
それ以上叩いたらもうもたないと思っていたら、中から声があがった。
「はーい。おじゃましまーす」
そう言うと愛子さんはダンボールの端をめくって中に這入っていった。
「あ、愛子さん…?」
仕方がないので僕も後に続いてダンボールをめくりあげる。中はとても狭く、しかも天井も低いので、とても立つ事ができない。僕は膝立ちで中ににじり入る。
「久しぶりじゃのぉ、愛子ちゃん。また一段と綺麗になって。おっ?今日はまた随分と若い男を連れてきたんじゃの。なんじゃ?新しい恋人かい?」
中には一人の老人がニコニコと胡坐をかいて座っていた。この老人座っているのだけれど、それでも分かるぐらい身体が大きかった。しかも何というか――小汚い。服もすすけたような布を身体に巻きつけたようなものだし、頭は禿げ散らかしていて口の周りは無精ひげでびっしりと覆われていた。ニカッと笑うと黄色い歯が何本か抜けている。人は良さそうだけれど、絵にかいたようなホームレス、浮浪者だった。
「ご無沙汰しています、如来さん。こっちはあたしの助手で田中太郎です。あと、これ、一応お納めください」
そんなホームレスの爺さん相手に愛子さんはひどく改まって挨拶をして、もってきた豆大福を差し出し、ぺこりと頭を下げる。
「おっ!さすが分かってるねぇ、愛子ちゃんは。豆大福といえば、やっぱり海老屋本店にかぎる」
そう言ってその爺さんは早速、包装を破り、箱を開けて豆大福をほおばりだす。
「あの……愛子さん…もしかしてこの爺さんに会いに来たんですか……?」
「そうよ。この方が『道標』といわれている如来さんよ。あなた、爺さんなんて言ったらバチが当たるわよ」
「そうじゃぞ、小僧。頭が高いわい」
口の周りに白い粉をいっぱい付けて如来さんはふんぞり返る。どこからどう見てもただの小汚い爺さんにしか見えないと思うんだけど。
「それで、わざわざこんな所まで来るって事は何か道に迷っているのかい?」
「そうね…今日教えてもらいたいのは、依頼がなくて困っているのだけど、これからあたしはどっちに行ったら良いかってことなのだけど……」
「なるほど…よし、見てみよう」
如来さんは頷くと、ぐいっと顔を愛子さんに近づけて目を大きく見開いた。大きく見開いた目はとても大きかったのだけれど、その瞳は真っ白く濁っていた。この人、もしかして目が見えないんじゃ……。
「………あっち、じゃな」
如来さんは右を指差す。
「あっちに……九百三十三メートル」
「分かりました。ありがとうございます」
愛子さんは如来さんに深々と頭を下げた。
「えっ?今ので何が分かったんですか?」
僕が訊ねると、愛子さんはまるで当然じゃないか、とでも言いたそうな顔で言った。
「何って、あたしがこの後どこに行けばいいか、よ。あっちに九百三十三メートル行けばいいのよ」
「何ですか、それ。そこに行けば何があるって言うんです?」
「何があるかなんて知らないわよ。行けばわかるんじゃない?」
「行けばわかるって…そんな適当な……」
なんだそりゃ?
「まあ、そう言うな小僧。わしにはその場所しか教えられんのじゃ。それを信じて行くのも良し、疑って背くも良し。つまりわしはあくまで道標なのじゃよ」
そう言ってくくっと如来さんは肩を揺らして笑う。
「それって占いみたいなものなんですか?」
「占いとはちょっとちがうのぉ」
僕の問いを如来さんは否定する。
「わしが見ているのはその者のこれからの道筋、有体に言うと運命ってやつかの。それを見失っているのなら教えてやるし、分かれ道に来ているなら案内もしてやる。でも実際にそこに向かうかは本人しだいってやつかの。わしはこの盲た目と引き換えにこの力を手に入れ、それで皆を導いてこうやって細々と生きておるのじゃ」
ニカッと笑って如来さんは豆大福をもう一個、頬張る。
「なるほどね……それで〝道標〟ってわけか」
愛子さんの左目と同じようなもの。
心が見えるっていうのも厄介だけれど、人の運命が見えるってのも厄介かもな。
「そうだ!」
愛子さんが手を打つ。
「太郎、あなたも見てもらいなさいよ!」
「えっ、僕はいいですよ…」
何か怖いし。
「まあ、そう言わずに。今ならきっとサービスしてくれるはずだから、ね?」
愛子さんが如来さんのほうを向くと
「いいぞ。サービスしてただで見てやろう」
と如来さんは頷いた。
「そう…ですか……。じゃあ、お願いします……」
モノハタメシと僕は見てもらうことにした。
「ふむふむ…お主は……」
如来さんは今度はぐいっと僕のほうに顔を近づける。そして見えていないはずの目を見開いて、僕を上から下までながめ透かして見る。白く濁って見えていないはずなのだけれど、何だか全てを見透かされているような感覚に陥り、少し『嫌な感じ』だ。
「あ、あの……どうなんでしょうか……?」
「そうじゃのーお主は……こっち!」
如来さんは勢い良く指を指す。そこには――愛子さんがいた。
「こっちに一メートル弱」
「……あ、あたし?」
愛子さんが自分の顔を指差して目を白黒させて言った。
「何であたしが行き先なのよ!」
「そんな事、僕に言われても知らないですよ!こっちが訊きたいくらいです!」
僕たちの言い合いを聞いて、如来さんはガハハハハと大口を開けて笑った。
「お主は当分、愛子ちゃんに付いていれば間違いないじゃろう」
「はあ……当分ですか……」
いつまで、とは怖くて訊けなかった。
「何?嫌なの?」
愛子さんがじろりと僕を睨む。
「いやいやいやいや、ぜんっぜん嫌じゃないです!光栄の極みでございます!」
「そんなに言うと逆に怪しいわよ!」
愛子さんは僕の頬にぐりぐりと拳を押し付けてくる。
「い、痛いです……愛子さん」
その様子を満足そうに眺めていた如来さんが頷いて言った。
「仲良くしろよー」
そう言ってガハハハと笑って、如来さんは最後の豆大福を一口で頬張った。
僕たちは如来さんのダンボールハウスを辞して、とりあえず指差された方向へ行く事にした。出て行くときに如来さんに、頑張れよ、といわれた事が少し気になるけれど、意味がよく分からないし、きっと深い意味はないのだろう。まあ、なんせ適当な感じの人だったし、気にする事は本当はないのかもしれない。
「それで愛子さん、九百三十三メートルってどの辺なんですか?もちろん分かってるんですよね?」
「ん?分かるわけないじゃない」
やっぱり、か……。
「まあ、心配しないでも迷わず行けよ。行けばわかるさ。ありがとーっ!1!2!3!」
「だぁーーーーっ!……って何か途中から別もんになってるし……」
そう言う僕もしっかりノっちゃってるけれどね。
「あたしの行き先……ていうかそこに行けば依頼があるはずなんだけど……」
愛子さんは辺りをキョロキョロと見回す。
「依頼っていわれてもな……」
僕も同じように辺りを見回す。
正確に九百三十三メートルかどうかはわからないけれど、多分この辺りだろうと予測される辺りは、とても閑静な住宅街だった。立派なおうちが整然と並んでいる。きっちり区画整理されているので碁盤の目状に道が走っているのだけれど、そのどれもに人っ子一人見当たらない。まるでゴーストタウンのようだ。とてもじゃないけれど、こんなところに依頼が転がっているようには到底思えない。
「……愛子さん、やっぱりどこにもそれらしいものも無いですし、諦めて帰りま――」
「ちょっと待って」
僕の言葉を遮って愛子さんは前を指差して言った。
「あれ、なにかしら?」
「えっ?どれですか?」
僕も前方に目を凝らす。
僕たちが進んできた道の先に何かが横たわっているのが見える。
あれは――
「あれって……人、じゃない?」
愛子さんに言われて気が付いた。僕たちはその横たわっている影に駆け寄る。駆け寄ってみると、一人の中年女性が倒れていた。
「……まさか、死んでないわよね…?」
愛子さんが青い顔で訊いてきた。
「まさか……」
僕が様子を伺おうとかがんで顔を覗き込もうとしたら
「……!」
いきなり倒れていたおばさんの手が伸びてきて僕の腕を掴んだ。
「ひいっ!」
驚いてとっさに腕を振りほどいたら、おばさんは起こしかけていた身体をまた地面に叩きつけて動かなくなってしまった。
「……太郎、あなたとどめを刺してしまったようね。悪いこと言わないから自首しなさい。そのほうが罪も軽くなるって言うわ」
「あんなことされたら、普通驚くでしょ!事故ですよ!事故!」
僕はもう一度かがんで声をかける。
「すみませーん…大丈夫ですか……?」
「………………」
返事が無い。どうやらただの屍のようだ……っておい!死んじゃだめだ!
「……け…て……さい……」
僕が絶望しそうになっていると、倒れているおばさんから声が聞こえてきた。良かった。死んでなかった。
「どうしたんですか?大丈夫です?」
僕はおばさんの上半身を抱えあげる
「たす……けて……くださ……い……」
おばさんはうわごとの様に繰り返す。
「た…すけて……私の……むす……こ……あいつら……から……たすけ……て」
そう言うとおばさんは気を失ってしまった。
「……私の息子をあいつらから助けて……?」
おばさんが言った内容を復唱しても何のことかは全く分からないが、明らかなのはこれが――
「どうやらこれが依頼って訳ね」
愛子さんが呟く。
「それにしてもあいつらって……」
無事、依頼が舞い込んできたけれど、何だかトラブルの予感……。