FREAKS(10)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
10
「ボックスくんはヴードゥーチャイルドに最後に入ったんだよ」
ひまわりちゃんはいつもと違い、大人びた口調で話し始める。
部屋の向こう側のボックスには、まだ動きはない。それでも、ものすごく異様な気配を放っている。これが殺気というものなのか。
「あの子、本当に人見知りだったから、一ヶ月部屋から出てこなかったんだけど、それをハンドレットが無理やり連れてきたんだよね」
「へえ……」
意外にいい奴なんだな、百夜。
「本当は優しいんだよ、ボックスくんは。だからいつも断れなくて、いつも人のことばかり考えて、誰かを喜ばせようとして、誰かを殺すんだよ。それしかボックスくんにはできないから……」
「誰かを殺すって……そんなの、悲しすぎるよ……」
「そう、悲しすぎるんだよ……だから――」
ひまわりちゃんはグッと腰を下ろして、構えをとる。
「誰かが止めてあげないと……」
静かにひまわりちゃんは言う。
「勝てる…よな?」
さすがのひまわりちゃんもあのボックスを相手にしては、心配にもなる。
大体、もとヴードゥーチャイルドの二人なのだから、お互いの手の内なんて知り尽くしている。あの大晦日の時みたいな騙まし討ちまがいなことなんてお互いに出来ない。言わば総力戦なんだから、実力だけがものを言う。
「いくらひまわりちゃんでも、あのボックスなんだから……」
「……おにいちゃん」
ひまわりちゃんは僕の不安を払拭する、大輪の花のような笑顔を見せる。
「おにいちゃん、それ、誰に言っているの?ボクが負ける訳ないじゃない」
「そうか……そうだよな」
「そうだよ!」
僕はひまわりちゃんに微笑んでみせる。
「よし!じゃあ、ひまわりちゃん、やっつけちゃいなさい!」
「りょーかいっ!」
元気良く答えて、ひまわりちゃんはボックスの方へと駆け出す。
「ボックスくん!覚悟!」
ひまわりちゃんはボックスの手前で飛び上がる。そのまま、ボックスの背後に回ろうとボックスを飛び越そうとした時。
「っ!?」
ひまわりちゃんの体が、空中で急に反転する。
その向こうに右腕を伸ばしたボックスが見えることから、どうやら見えないぐらいの速いスピードの拳がひまわりちゃんを襲ったようだ。
しかし、その拳もひまわりちゃんを捕らえることはなく、空を切る。
ひまわりちゃんはボックスの伸ばした腕の下に潜り込む。
そのまま、その腕を取り、関節を逆に決めながら、
「せーのっ!」
ひまわりちゃんはそのままボックスを背負い投げする。ボックスはそのまま吹っ飛んで襖に叩きつけられる。
「やった……訳ないよな」
それはひまわりちゃんが構えを解いていないことからも分かる。
そもそも、これぐらいで倒せる相手なら苦労はしない。
「やっぱ、つよいな~」
へへへ、とひまわりちゃん。
吹っ飛ばされたボックスは、何のダメージも無かったようで、すでに壊れた襖の前で立ち上がり、ファイティングポーズをとっている。
「これは、ボクもちょ~っとだけ本気にならないとかな~」
そう言うとひまわりちゃんは、ぐっぐっ、と屈伸してから、勢いよく飛び出した。カタパルトから飛び出した戦闘機みたいに、ニ、三歩地面を蹴ったかと思うと、つま先を少しだけ浮かして、ローラー付きスニーカーで文字通り滑るようにボックスとの間合いをつめる。
「そうか、そのためにあんな靴を履いていたんだ……」
すごいスピードでボックスに近づいたひまわりちゃんは、そのまま真っ直ぐボックスに仕掛けるかと思ったけれど、その手前で急に90度方向転換。
スピードが弱まるどころか、どんどん早くなる。もしかしたら、ひまわりちゃんのあの靴も何か細工がしてあるのかもしれない。
方向転換をしたひまわりちゃんは、ボックスを翻弄するように四方をグルグルと走り、いや、すべり回る。前後左右、だけじゃなく壁(!)そして天井(!!)までも駆け回る。
「すげえ……」
僕なんかの目ではまったく捉える事ができない。
ボックスはその場で、何事も無いかのように佇んでいる。
ひまわりちゃんはその勢いのまま、背後からボックスの首筋に飛びつき、
「ボックスくん、ごめん!」
ラリアートみたいな格好で、ボックスを床に叩きつける。
ボックスはそのまま動きを止めた、かのように見えたけれど。
「危ない!ひまわりちゃん!」
間一髪、いつの間にか立ち上がっていたボックスの消える拳は、ひまわりちゃんの頭上を掠めて空しく空を切った。
避けた勢いで、ひまわりちゃんは僕のところまで転がってくる。
「あっぶな~!なんで~?」
「ボックスはもう痛みとかの苦痛を感じないように調教されているんだよ。だから痛みであいつを止めるのは無理だ」
「そんな……酷すぎる」
ひまわりちゃんはその瞳に怒りを滲ませる。
「じゃあ……ボクが殺してあげるしかないじゃん……」
「ひまわりちゃん……」
それ以上、僕は声がかけられなかった。
ひまわりちゃんはもう一度、勢いよく飛び出していく。
一直線にボックスに向かって加速していくひまわりちゃん。
また同じように翻弄するのかと思ったけれど、そうではなかった。
真っ直ぐ突っ込んでいったひまわりちゃんは、ボックスの目の前でかがんでスライディングして、股をくぐり、そのときにボックスの足を掴む。
ボックスの姿が一瞬消えたかのように錯覚する。
その時。
――ゴギン。
耳を塞ぎたくなるような、痛々しい音が部屋に響いた。
見ると、ボックスの膝に伸びたひまわりちゃんの腕と、明らかにおかしな方向に曲がったボックスの右膝があった。
ひまわりちゃんはそこで一度、間合いを取る。
「これで……も、ダメか……」
ひまわりちゃんの視線の先、ゆらりと陰が立ち上る。
ボックスは立ち上がろうとしては、右ひざから崩れおちる。
また立ち上がろうとして、膝から崩れ落ちる。
何度もそれを繰り返して、やっと片足で立つということを思いついたようだ。
立ち上がったボックスは、ファイティングポーズをとる。
「痛みがないということは、そういうことなのか……」
痛みをまったく感じないから、自分の体の状態を知る事ができないのだろう。それに痛みを感じないから、攻撃を避けるという事もしない。ただ反射的に拳を突き出しているだけなのだ。
それがボックスの長所であり、弱点なんだろう。だから、ひまわりちゃんはまず足を狙った。動きを止めて、確実に仕留めるために……。
「ひまわりちゃん……?」
「わかってるよ、おにいちゃん。ボクが何とかするから……」
ひまわりちゃんは表情に悲壮感を滲ませながら、僕にそう言う。
さすがに元仲間を手にかけるのは、思う所がありそうだ。
「大丈夫。ボクがおにいちゃんを守るから……そのためには……」
ひまわりちゃんは悲しそうに笑った。
「やっぱり殺さなきゃいけないのかな……」
その笑顔に胸が締め付けられる。
「ひまわりちゃん……こんな事を言うのはわがままかもしれないけれど、ボックスを殺さないでくれないか……?」
「おにいちゃん?」
「出来る事なら、今回のことで誰にも傷ついてほしくないんだよ」
「でも、シスターと約束して……」
「ああ、覚悟はある。何があっても……たとえ僕や誰かが傷ついたとしても、僕は後悔しないと覚悟はしている。でも、それとこれとは別だよ。出来る事なら誰にも傷ついてほしくないし、まして死んだり殺したりしてほしくない。きっと、僕がボックスを止める為には殺すしか無いだろうけれど、君なら出来るよね?ひまわりちゃん?」
「フフッ」
ひまわりちゃんは思わず吹き出す。
「まったく、おにいちゃんは無茶ばかり言うな~」
「出来ない?」
「それは誰に言っているのかな?」
ひまわりちゃんは珍しく不適な笑みを浮かべる。
「やれって言うならやるよ。だって――」
僕に向かってひまわりちゃんはピースサインを送る。
「お仕事だもん!」
「それは頼もしいね」
僕は肩をすくめる。
「じゃあ、お願い」
「まかせて」
とても、この殺伐とした状況で話しているとは思えないほど軽く答え、ひまわりちゃんはグッと腰を落とし、力を溜める。
次の瞬間。
目の前から消えたかと思うほどのスピードでひまわりちゃんは飛び出していく。僕はそれを目で追うのが精一杯だった。
何かと何かが激しくぶつかる音が数回鳴り響く。
悲しいかな、僕にははっきりとは見えないけれど、ボックスの体がそのたびに揺れて、腕から先が消えるのでひまわりちゃんに対してボックスは拳を繰り出し、それを避けながら果敢にひまわりちゃんは攻めているのだろうと想像できる。
その音がどれ位続いただろうか。
数分、いや数十分だったかもしれない。
唐突にその音が止まり、同時に揺れていたボックスの動きも止まった。
見ると、繰り出した拳にひまわりちゃんが体ごと取り付いて、腕を巻きつけている。
そのままひまわりちゃんは脚でボックスの首を絞め、腕と肩を締め上げる。
「これで決まって!」
ひまわりちゃんは渾身の力で攻め続けながら、懇願するような声をあげる。ギリギリと音が聞こえてきそうなほど、ボックスの腕、そして首が絞められていく。さすがにボックスの顔色も変わってきた。止めていた動きを、今度は激しく体を揺さぶりひまわりちゃんから逃れようとする。
痛みや苦しみはないのだとしても、戦闘の勘がそう体を動かすのだろう。
ひまわりちゃんに取り付かれている左腕とは逆の右腕が、おかしな方向に曲がっていく。
「まさか……」
僕は目を疑った。
ゴギン!
大きな音を立てて、ボックスは右肩の関節を自ら外した。
なぜ?と僕が思うより早く、ボックスの右腕がすばやく動く。
ボックスの右腕はその体をぐるりと回りこみ、左腕に取り付いたひまわりちゃんを襲う。
「危ない!ひまわりちゃん!」
僕の声とほぼ同時に、ひまわりちゃんの体が左腕からはじかれたように離れる。
やられた!
そう思ってしまうほど、ひまわりちゃんは勢いよく吹っ飛ぶ。
しかし
ひまわりちゃんは一度離した腕を、今度は右腕もそのうちに取り込んで、両腕一緒に締め上げる。
ボギン
痛々しい鈍い音が響いた。
その時、やっとボックスが崩れ落ちた。
「ひまわりちゃん!」
僕は思わず駆け寄る。
「えへへへ……なんとか勝ったよ、おにいちゃん」
ボックスの腕にまだ取り付いたまま、ひまわりちゃんは僕に向けて照れ笑いを浮かべる。
「でも……ちょっと、やられちゃった……」
駆け寄ったひまわりちゃんの腕が真っ青に内出血しているのが分かる。腫れているのか、太さも変わった様に見える。
「大丈夫なのか?ひまわりちゃん!」
「大丈夫、大丈夫……それよりもボックスくんは……?」
ひまわりちゃんの脚の下、ボックスはまるで眠るように倒れていた。どうやら息はしているようなので、死んではいないだろうと思う。
「そうか……それはよかった……」
ひまわりちゃんは僕にボックスの様子を聞くと、朦朧とそう答えた。
「ひまわりちゃん、ちょっと待ってろ。今、手当てしてあげるから……」
僕は木星に呼びかける。
「木星!ひまわりちゃんが負傷した。どうすればいい?」
木星からすぐに返事があった。
『置いていけ』
「はあっ!?」
思わず言葉も荒く、僕は聞き返す。
「お前、今、なんつった?」
『負傷者は置いていけ』
僕は頭に血が上るのをありありと感じる。
「てめえ、自分が何を言ってるか分かっているのか!?」
『わかっている。今回の作戦では治療班は用意していない。だから、負傷者は置いていくしかない』
「そんな……」
言葉を失う僕の腕を掴んで、ひまわりちゃんが上体を起こし、
「木星の言うとおりだよ、おにいちゃん……」
と静かに言う。
「何を言っているんだ?ひまわりちゃ――」
「目的を見失わないで!」
ひまわりちゃんは強く、僕の目を見つめる。
「おにいちゃんは何のためにここにいるの?ボクは何のためにボックスくんと戦ったの?それを見失ってはダメ……だ……よ……」
そこまで言うと、ひまわりちゃんは力尽きた。
「ひまわりちゃん!ひまわりちゃん!」
僕は肩を掴んで揺するけれど、ひまわりちゃんがもう一度目を開く事はなかった。
「ちくしょーっ!」
叫んだとしても傷つき、意識を失ったひまわりちゃんを癒す事は僕には出来ない。
そんな自分の力なさを実感するけれど、今の僕は止まる事を許されてはいない。
ひまわりちゃんをそっと畳の上に寝かせる。
「ここで待っていてくれ、すぐに愛子さんを連れて戻るから……」
僕は前に進むしかないんだ。
止まる事も戻ることも出来ない。
僕は襖を開けて、木星に尋ねる。
「愛子さんの居場所はどっちだ?」