FREAKS(6)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
6
校門のところで南と別れ、すっかりオレンジ色に染まった坂を僕は下っていく。
途中で様々な人とすれ違う。
疲れたような顔のサラリーマン風の人、僕と同い年ぐらいの制服の女の子、携帯ゲーム機を操作しながら塾の鞄を肩に下げて歩く小学生、買い物袋を下げた母親と、その母親に昼間、幼稚園で起きた他愛もない出来事を特ダネのように訴える女の子。
この時間帯なのだから、きっとみんな家へと帰っているのだろう。
人によっては誰もいない部屋が静かに待っているだけかもしれない。
家庭の問題を抱えた家が待っているのかもしれない。
それでもみんな帰るべき場所を持っていて、望む望まざるを別に家路を急ぐ。
そうなのだ。
みんなに帰るべき場所はある。
じゃあ僕の帰るべき場所は?
愛子さんが帰るべき場所は?
そんなの決まっているじゃないか。
坂の途中のスーパーによって今晩の食材を買い込んで、僕はアパートの僕の部屋のドアを開ける。夕方のタイムセール時の主婦の皆さんの、まるでえさに群がるホオジロザメのような獰猛さにもすっかり慣れた(慣らされた?)僕は、お目当ての食材を安くゲットできてなかなかご機嫌だった。
「ただいまー」
………………。
僕の声は寂しく六畳一間にこだまして、すぐに消えた。
返事はないけれど誰もいないのではなくて、部屋の真ん中では、まるで置物のように木星が体操座りをして、こちらを向いている。
まあ、僕の機嫌が良かろうが悪かろうが、こいつは変わらず僕には返事さえしないんだけどね。
にしても。
「……どうした?木星?お前が押入れから出ているなんて珍しいじゃねえか」
木星は僕が部屋にいるときはほとんどその姿を見せることはない。まるで座敷童子のように姿を見せない。見せるとしたら飯を食べる時ぐらいなものだ。
それが自分から率先して出てくるだなんて、何となく気になってしまう。
いい予感も悪い予感も、そのどちらもをビンビンに感じまくっている。
ああ……なんてちっぽけな僕。
「……話がある」
木星は体操座りのまま、いつも通りの冷めきった視線を僕に投げかけて、いつもではありえない言葉を吐いた。
「えっ?……今、なんつった?」
僕は思わず聞き返してしまう。
それはそうだ。木星という生き物は自分から率先して他人に、とりわけこの僕になんか話をするようなことは今までなかったし、きっとこれからもないだろうと思っていたのだから。
どうやら僕は認識を少し修正する必要があるのかもしれない。
「いや、違うな……お前、私に話があるんじゃないか?」
「………………」
絶句だ。
まさか、木星が僕の話を聞こうとするなんて……。
今、目の前にいるのは本当に木星なのか?
もしかしたらパーマンに出てくるコピーロボットかなにかじゃないのか?
疑心と暗鬼が心の中をランデブー。
といった具合に、その木星の言葉は、僕を戦慄の谷底へと叩き落すのに十分だった。
「おい、お前、話がないのならこれ以上は聞かないが……」
「いやいやいやいや!どうしたのぉ?木星ちゃん?急に人間みたいな事を言うから驚いちゃったじゃなぁい!」
思わずオネエ言葉にもなるってものだ。
「気持ち悪いから殺す」
「ああ、やっぱり本物の木星だったんだな」
凍てつく視線を浴びながら、僕は何故か安堵していた。
その視線に安堵するなんて、僕の変態性も取り返しのつかない所まできているのかもしれない、と自分が心配になった。
「話がないなら……」
「いやいや!ある!あるってばよ!」
思わずナルト言葉にだってなるってものだ。
……なるか?
「ないなら……」
「分かったって!話すから!」
木星は頷いて体操座りで僕をジト目で睨む。
「話というか……」
僕は木星の正面に座って、話し始める。
「あのメール、お前が送ったんだよな?」
あのメール、つまりこの数日に僕の近しい人達に送られてきた送り主不明のメール。
こんな事が出来るヤツなんて限られる。まして僕の周りにいる人間なら、まず間違いなく、木星で決まりだ。
「なあ?そうなんだろ?木星?」
「ふん」
木星はいつも通りの無感情及び無感動極まりない声で
「だとしたらどうだと言うんだ?」
と言い、僕を睨みつける。
「いや、なにも文句が言いたいわけじゃなくてだな……」
怒ってんのか?
「何ていうか……僕はこの数ヶ月ずっとモヤモヤを抱えて過ごしていたんだけど……まあ、木星も知っての通り、僕たちはあの時負けてしまったわけで、そのせいで愛子さんは僕たちの元を去ってしまったわけなのだけれど……」
僕は自分の気持ちを整理させるように、木星に話し始める。
木星も珍しく何も言わずに、そのままの姿勢で話を聞いている。
「そのことを僕は受け止め切れなくて、ずっと何かいい訳ばかり考えていたんだ……まったく恥ずかしい……」
「お前が恥ずかしいのは生まれつきだ」
「ぐはっ……そりゃ、酷くないか?木星……?」
ツンとした木星は早く先を話すように、と催促するみたいに顎で合図する。
「あ、ああ……わかったよ。つまり僕が何を言いたいかというとだな……」
木星のジト目をしっかり見据えて、僕は言う。
「お前にありがとう、て言いたいんだよ」
「はあ?」
木星はあからさまに馬鹿にしたような声で聞き返す。
「何故、お前に感謝されなくてはならない?」
「えっとそれは……お前があのメールをみんなに送ってくれたおかげで立ち直れたというか、もう一度あの事件の事をきちんと考え直す事ができたというか……そのおかげでやっぱり愛子さんを迎えにいこうと思うことだって出来たし、だから――」
「勘違いするな」
そんな僕の心からの感謝を踏みにじるかのように、冷たく遮った。
「あのメールはお前のためのものではない」
「えっ……?」
そうなの?
「あれはあくまでも愛子を連れ戻す為の有効な手段だとして、ジュピターシステムが導き出した答えだったから決行したまでのこと。勘違いするなら、殺すぞ」
「……木星さん、最近、ますます口が悪くなっていません?」
もうそれは悪口も暴言も通り越して、ただの脅迫だよ。
「それはそうと、ジュピターシステムって?あれって、あの時一緒に燃えたんじゃなかったのか?」
木星お手製の超高性能スパコン、ジュピターシステムは噤くんたちの襲撃を受けたときに火事で燃えてしまったはずなのだけれど……。
「ああ、それは……」
木星はそう言うと、いつも潜んでいる押入れを開ける。
「こ、これは……!?」
開かれた押入れには、ぎっしりとコードやら基盤やらコンデンサーやらモニターやらが所狭しと詰まっていた。
「ジュピターシステムならここにある」
「テメエ!何やってんだよ!僕の家の押入れに何てことしてやがんだ!」
「違う。私がしたんじゃない。ジュピターシステムの自己修復機能でこうなっただけ」
「こうなっただけ、じゃねえよ!どうすんだよ!これ!」
絶対わざとだ!
僕の抗議を受け、木星はいつも通り冷め切った、無感情極まりない声でこう言った。
「てへぺろ」
「それで誤魔化してるつもりかもしれないが、その言葉はもっと可愛らしく言わないと意味がないし、そもそもそんなんじゃ誤魔化されないからな」
押入れの事はキッチリと訴えさせてもらうことにして。
「それで?愛子さんを連れ戻す有効な手段ってなにをすればいいんだ?」
「それは、分からない」
「分からないってどういうことだよ?」
「分からないものは分からない。ジュピターシステムが導き出した答えがお前の手助けをしろというものだったから、そうしたまでのこと。ただ……」
木星はそこで珍しく少し口ごもった。
「ただ?」
「……なんでもない」
「何でもないことないだろう?」
「これは言うべきことではないから、言わないだけだ、気にするな。あと死ね」
「気にするなって方が無理があるだろう。それと最後の一言は余計だよね?」
言うべきことでないのは、どう考えても最後の言葉だよな。
「……愛子を連れ戻すにはお前じゃなくてはダメなのだ」
「は?それってどういう意味だ?」
「……お前はそんなだから馬鹿なのだ。あと死ね」
「馬鹿ってなんだよ!」
あと死ねってまた言った!もう泣いちゃうんだから!
「まあ、いい。それで、僕はまずこれからどうすればいいんだ?」
愛子さんを連れ戻すにはどちらにしろ木星の協力が必要になってくる。
あの黒塚家を相手取っての愛子さん奪還作戦なのだ。僕だけではどうすればいいかも分からないからな。
しかし、
「今の所、お前がやるべき事は特にない。死んでろ」
「えっ?無いの?なんか拍子抜けだな」
最後の言葉はもう無視するとして、僕は色々と考えて気合を入れていただけに、声が裏返ってしまうほどに呆気に取られてしまった。
「じゃ、じゃあ、とりあえずジュピターシステムにでもこれからの作戦を立てさせて、それでこのまま――」
「いや……ちょっと待て」
僕が待機を言い出そうとした矢先、木星は何かを思いついたようで、酷く真剣な面持ちで僕を遮った。
「な、何だよ?何か僕がやる事でも思いついたのか?」
「ああそうだ。お前に……いや、お前にしか出来ない事がある。しかも今すぐ、出来るだけ早くしなければいけないことがある」
木星は僕の目をじっと見つめる。その表情に、僕は思わず息を飲む。
「そ、それで……?僕は何を……?」
「それは私は――」
木星は静かに言う。
「私は空腹を感じている」
「…………は?」
何言ってんだ?
「は?じゃない。私は空腹だと言っているんだ」
「…………だから?」
「今すぐ晩御飯を作れ。あと死ね」
「なんじゃそりゃ!?」
何を言うかと思えば……。
「早くしろ。最優先事項だ」
「はいはい……」
仕方ないな。
僕は肩をすくめて、お世辞にも広いとはいえない我が家の台所へと向かうのだった。
その後、僕たちは食事を(その間に「安い肉ばかり食わせるな」「そんな事いう子はうちの子じゃありません」と言った会話をはさんだけれど)無事済まし、食器を片付けようとした時だった。
「……来たか」
木星が突然そう呟いた。
「来たって、何が?」
お皿を重ねながら僕は木星に訊いた。
その時だった。
バラバラバラバラバラバラ
遠くの方からヘリコプターの飛ぶ音が近づいてきた。
「何だ?この音――」
その音が気になった僕は、外を見ようと窓に近づこうとした、その瞬間。
ガッシャーーンッ!
派手な音を立てて窓ガラスが割れ、全身黒いコンバットスーツに身を固めた特殊部隊がロープを伝って窓から室内に侵入してきた。
「えっ?」
窓から入ってきたその人物はすばやくホルスターから拳銃を取り出すと僕に突きつける。同時に部屋の入り口のドアも蹴破られ、数人の同じ格好の人物が室内に侵入してきて、同じように僕に銃口を向ける。
「えぇー……」
僕は両手を挙げて、ただただ自分の置かれた状況を飲み込めなくて混乱する頭でお手上げのポーズをとるだけだった。